五話 「提案」

「どうした、奈々咲ななさき


 玉子焼きを箸でつまんだまま、瑠奈るなは首をかしげた。

 昼休みの静かな音楽教室。

 めぐりは瑠奈に誘われ、お弁当を食べている。


「えっ、どこか変?」


「ああ、身体の具合でも悪いのか。

 なんなら保健室へ連れて行ってやろうか」


 めぐりは手を振る。


「熱なんてないし、いたって元気ですよ」


「そうかあ、なんかいつもより暗いぞ」


「わたしって、やっぱり普段からネクラなのかなあ」


 しょんぼりするめぐりに、あわてて瑠奈は否定した。


「いや、だから違うって。

 奈々咲はネクラではないぞ。

 ただちょっと人見知りでおとなしくて引っ込み思案なだけ」


「それって、ネクラってことですよ」


「ああ、違う違う!

 ウチの語彙ごいが少ないだけだから」


 めぐりは必死な瑠奈の姿に微笑む。


「ありがとうございます、二井原にいはらさん。

 でも本当に具合は悪くないですから、ご心配をおかけしてごめんなさい」


「そ、そうか、ウチと奈々咲の仲なんだから遠慮なんてしないでくれよな」


「うん、嬉しいです」


 朝の場面をめぐりは心の中で引きづっていたようだ。

 孝蔵こうぞう恋歌れんかが、ふたりきりで話していたことに。

 恋歌はめぐりの姿を目にし、「おはよう、奈々咲さん。三船くん、そういうことでね」と席を立ったのだ。

 孝蔵はめぐりが頭を下げると、「うすっ」といつものように挨拶を返してはくれたのだが。


 せっかく瑠奈がお弁当を誘ってくれているのに、暗い気持ちで接しては申し訳ない。

 めぐりは話題を変えようと頭を巡らせる。


「二井原さん、ちょっと訊いてもいいですか」


「うん、好きな男子のタイプとかか」


「違いますよ、もう。

 あの、二井原さんはスマホですよね」


「ああ、一般的なスマートフォンだな」


「では、ウエブ小説サイトって、ご存知ですか」


 瑠奈は相槌をうつ。


「うん、聞いたことはあるかな。

 作家志望の連中が自作を発表し合うサイトだろ。

 ウチはのぞいたことはないなあ。

 だって、所詮は素人だろ。

 そんなの読む暇があったら、ウチは奈々咲お奨めの書物を選択するよ」


「わたしはスマホもパソコンも持っていないので、いったいどんな小説が投稿されているのかなあって。

 わたしのクラスにいる九堂くどうさんは、『小説ラウンジ』ってサイトを利用されて、自作の小説を発表しているんだそうです。

 ペンネームは『城ノ内じょうのうちイリア』だったっけ。

 それで結構人気のある物語を公開されているってお話なんですよ」


「九堂? ああ、あの女子な。

 ウチが奈々咲を誘いに行くとさ、ギロってにらんでくるんだぜ」


「ええっ、じゃあわたしのせいで二井原さんが迷惑するのでは」


「タハハッ、おい、奈々咲。ウチを見くびらないでほしいな。

 別にこちらはやましいことなんて、なにもしちゃいないわけだし」


「でも、九堂さんは広報委員だから」


「だから?

 奈々咲、もしかしてその九堂にイジメられているんじゃないだろうな。

 ウチは大切な友だちがイジメられているのなら、絶対に許さない!」


 今にも立ち上がりそうな剣幕の瑠奈を、めぐりは必死に止める。


「大丈夫ですから。イジメられてなんかいませんから。二井原さん、落ち着いて下さい」


「うん、そうだな。すまん、つい頭に血が上りかけてしまったぜ。

 で、なにか。その九堂は小説を書いているのか」


「はい。二年生の初登校の日に、わたしにそのサイトでアカウントをつくって、九堂さんを応援してくれって頼まれたの。

 でもわたしはインターネットにつなげる手段がないからって説明しました」


「ふーん、アカウントをつくって応援ねえ。

 よし、わかった。

 いったいどんなサイトで、九堂がどんな小説を書いているのか、一度調査してみようかな。

『城ノ内イリア』ってか。可愛らしいペンネームだこと。

 だけど今は素人でも盛んに小説を発表できるんだなあ」


 瑠奈は指先でシャープなあごをなでる。

 プルンっとポニーテールがゆれ、眼鏡の奥の両目が光った。


「おい、奈々咲」


「はい」


「書いてみなよ」


「はい?」


「小説だよ、小説」


「ええっと、二井原さん。わたしはクラスの九堂さんが小説を書いているってお話をしたんですよ」


 めぐりは眉をしかめた。


「だからだよ、奈々咲。

 前にも言ったけどさ。ウチが読書を再開したのは、奈々咲が書いた読書感想文を聴いたからだって。

 奈々咲の文章って凄いって正直思ってる。

 これはもう類まれなセンスなんだ。ウチにはとてもじゃないけど、ひとを感動させる文章なんて無理。

 数学や音楽なら、誰にも負けないと自負してるけどさ。

 だからだよ。

 奈々咲なら書けるんじゃないかな、ひとを感動させる小説が」


 瑠奈の言葉は衝撃であった。

 これまで何百、いや軽く四ケタの書物を読んできた。

 それに勉強のためと思い、矢島やじま鈴子りんこの「小説を書きたいあなたへ」も丁寧に読んだ。

 しかも要点まで書き写して。

 でもそれは自身が小説を書きたいからではない。

 あくまでも知識欲のなせる業にすぎない。

 そう思っていた。


「気負わないこと。

 焦らないこと。

 思いつめないこと。

 小説を書くんだと気合を込めるのは良いのですが、どうしても壁にぶつかることがあります。

 私は今でも壁に当たります。

 そんなときは思い出してみましょう。

 言葉や文章を使って、あなたはなにをしたいのですか。

 誰のために小説を書こうとしているのですか。

 必ず壁は乗り越えることができます。

 あなたに、小説を書きたいという想いがある限り。

 長い道のりも一歩一歩前進していけば、必ずゴールにたどりつきます。

 だから、もうひとつだけ。

 あきらめないこと」


 矢島鈴子の文章を思い出す。


「なっ、いい考えだろ。奈々咲も読書以外の趣味を持たなきゃ」


「ええ。でも、小説を、わたしが」


 めぐりは教室の窓をつたう雨の模様をながめながらつぶやいた。

 つづく

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