三話 「画策」

「えっ?

 ごめん志条坂しじょうざかくん。

 ぼくの聞き違いだったかな」


 しゅうは目の前に座る恋歌れんかを見やった。


「いいえ、室長の耳は地獄耳ってもっぱらの噂よ。

 だからこのお話は、もうすでに知ってるのじゃなくて」


「いや、初耳だな。

 それにぼくは、いたって平凡な耳しか持っちゃいないし」


 指で左右の耳たぶを引っ張る。


「室長は福耳なのね。

 それはよしとして。

 現生徒会長は今までの流れをご自分の代で断ち切って、生徒会と体育委員会を一枚岩にしたいと思われてるのよ」


「ははあ、そうなんだ。

 まあ一般生徒からすればそのほうが体育祭も文化祭も盛り上がるから、大いに結構なことだよね」


「そうね。

 いちいちそれぞれにおうかがいをたてるなんて、面倒ですもの。

 だから中間考査も終了したわけなので、明日から体育祭に向けて各学年各クラスで準備に入ります」


 恋歌は色の薄い茶色の、大きな瞳をクルリと動かす。


「はい、了解しました。

 でもさ、それなら明日にでもみんなの前で発表してくれていいんだけど、どうして前もってぼくに話したの」


 周の意見はもっともであったが、恋歌は少しうつむいた。


「代議員は、体育委員と一緒に色々と準備をするように言われてるの」


「はあ、そりゃそうだろうね。

 あっ」


 ここで周は気づいた。


 ~~♡♡~~


「だからさ、彼女はいつもムスッとしている孝蔵こうぞうくんの機嫌を損ねるんじゃないかと心配してだな。

 前もって盟友のぼくから孝蔵へよろしくお願いします、と伝えて欲しかったわけなんだな、これが」


 孝蔵は眉間にしわを寄せる。


「おい、それじゃあまるで俺がどこかの国の独裁者みたいじゃないか。

 顔色をうかがわれるような、嫌な男ではないつもりなんだが」


「ああ、すまんすまん。

 ちょっと誇張しすぎた。

 まあ当たらずとも遠からずだけど」


「おい、真剣に怒るぞ」


「だからゴメンって。

 彼女いわく、おまえさんは、勉学はむろん弓道部一本やりだからさ、できるだけ部活の邪魔にならないようにするから、と伝えてくれってことなんだ」


「だったら俺に直接言えばいいじゃないか」


 電話の向こうで周がほくそ笑む。


「きみは本当に堅物だよなあ」


「どういう意味だ」


「あのなあ。

 志条坂くんは、孝蔵がタイプなんだよ」


「えっ?」


 孝蔵の寄っていた眉が開く。


「周、もう一度言ってくれ」


「はあっ、そういう天然の孝蔵は嫌いじゃないよ。

 つまりだ。

 志条坂くんは、孝蔵に惚れているってこと」


 孝蔵は息を止めた。

 

 惚れている?

 それはどういう意味だ。

 まさか、好きってことなのか。

 えっ、ちょっと待て。

 なぜ?

 どうして?


「おーい、こーぞーくーん、こちらの世界に帰って来ておくれー」


 周の言葉に我に返る。


「周、まさか俺をからかっているんじゃ」


「ないんだよなあ、これが。

 まっ、そういうことでさ、明日から仲良く二組を盛り上げるために頑張ってねえ。 

 では、おやすみ」


 ツーツーと切断された音がスマホから流れる。


「おっ、おい、周、周!」


「どうしたの、おにいちゃーん」


 部屋のドアを開けて、妹の理枝りえが顔をのぞかせる。

 今年中学二年生になった理枝は孝蔵に良く似た目元をしている、可愛い顔立ちの女の子だ。


「なんでもない。

 それとドアを開けるときは、ノックしろっていつも言ってるだろ」


 孝蔵は、照れ隠しのようにわざと声を荒げた。


「ノックしたもーん。

 おにいちゃんが大きな声を出してるから、心配してみにきてあげたのに」


 唇をとがらす理枝。


「あっ、いや、それは済まない。

 何でもないんだ。

 理枝も早く寝ないと、かあさんに叱られるぞ」


 威厳を込めて言う。


「はーい、おやすみなさーい」


 理枝はドアを閉めた。


 孝蔵はスマホをベッドの隅に置くと、周から聴いた話を反芻はんすうする。

 そういえば志条坂恋歌とはまともに口をきいたことがなかったな、とこの二か月間を思い返してみた。

 というよりも、教室内で雑談している輪の中にはいったことすらない。

 せいぜい朝や帰りの挨拶をする程度だ。

 周とはたまに会話するが、それはどちらかが用事のあるときで、無駄口を言い合ったこともない。


 孝蔵は苦笑した。

 けして人嫌いなのではない。

 現に弓道部内では、結構積極的に会話をしているのだから。

 でもそれも、よく考えてみれば雑談ではなく、あくまでも弓の世界についてのみの会話であったな、と自省する。


 孝蔵には将来なりたい職業がある。

 そのために今は勉強して、万全の態勢で大学受験に臨みたい。

 周の言葉がどこまで本当なのかはわからない。

 食えない男であることは知っているから。

 だけど万が一告白されたとして、毅然とした態度で断ることができるのだろうか。

 孝蔵だって、思春期真っ盛りであることは事実なのだから。


「はあっ」


 ため息がもれる。

 

 志条坂恋歌は見栄えもいいし、頭も切れる。

 たしかに素敵な女子だ。

 孝蔵は中学時代には何回か、女子からお付き合いしてほしいと申し込まれた経験はある。

 だけどすべて断ってきた。


「そうだな、無口で無愛想なやつに話しかけるってのは、案外むずかしいよなあ」


 まぶたを閉じる。

 そこに浮かんだのは、恋歌の顔ではなかった。


 ~~♡♡~~


「ふうっ、やれやれだな」


 周は勉強机に突っ伏した。

 自宅は桔梗が丘ききょうがおか高校のすぐ近く。

 新興住宅街にある。

 両親は自宅隣に、パン屋を営んでいる。

 周には三歳上の姉がおり、将来パン屋を継ぐために専門学校でベーカリーシェフの勉強をしていた。


 どうやって孝蔵に言おうかとシミュレーションを描いては首を横に振り、ようやく思い立ったのは、「孝蔵にはシンプルに伝えるのが一番良い」であった。


 夕方に恋歌から受けた相談。

 体育委員会と生徒会が、今後は合同で行事に臨むこと。

 そのために恋歌と孝蔵が一緒になる時間が増えるが、室長としてその点は理解していてほしいということであった。


「以上のことをまず各クラスの室長へご報告申し上げることと、生徒会執行役員から各代議員へ連絡されてるの。

 だから、全体へ報告する前に室長へ」


 恋歌は歯並びの良い、真っ白な歯をのぞかせる。


「了解しました、志条坂代議員。

 ところでさ、この件、体育委員は知ってるのかな。

 いや、このクラスの体育委員ってこと」


三船みふねくんよね」


「うん。

 やっこさんからは、何も報告がないもんだからね」


「はあっ、やっぱりなあ」


 ため息を、桃色の唇から吐き出した。

 少し伏せた目元に周はドキリとするが、もちろんおくびにも出さない。


「どうしたの」


「この件は、生徒会長と体育委員長両名の署名された宣誓書が作成されてね、校長に届けられてるの。

 だから間違いなく決定事項なんだけど」


「もしかすると、体育委員会の中に反対している連中がいるんだ」


「うん、そうだと思うわ。

 だから体育委員全員に周知されていないのかもしれない」


 恋歌は、やれやれといった表情を浮かべた。


「それなら孝蔵が知らなくて当然かもな。

 ちょっと待てよ」


 言いながら周は考え事をするときの癖で、額を指で叩く。


「明日さ、志条坂くんがクラス全体に発表するんだよね」


「そのつもり」


「孝蔵にとっては、寝耳に水ってことだ。

 彼のことだから、もしかすると勝手に決められたと、体育委員の執行部役員に怒鳴り込んでしまうかもしれんなあ」


「えっ、彼って普段無口だけど、切れやすいってこと?」


「いや、いたって冷静沈着な男だよ。

 だけど、ほら、孝蔵って昔のさむらいってイメージ、ないかな」


「ええ、私もそう思う。

 ということは、彼が怒る理由として、執行役員たちのウジウジとした態度に対してってことかな」


「うん。

 いったん決定したことを、本来知るべき立場の体育委員全員に、前もって伝えていないこともふくめてね」


 周は腕を組んだ。


「この件、ぼくが今夜にでも孝蔵に伝えておくよ。室長としてね」


「悪いわ、それでは」


「大丈夫。

 どう伝えたら孝蔵の逆鱗に触れないかは、ぼくは熟知しているから」


「わかった。

 では室長にお任せします」


 恋歌とのやり取りを思い返す。

 恋歌は孝蔵に好意を持っているなんてことは、一言も打ち明けてはいなかった。

 やはり、食えない周である。


「志条坂くんなら、孝蔵にお似合いだしな。

 このぼくでさえコロッといっちゃいそうなんだから、あの子の目を見ると」


 周は勉強机に伏せていた顔を上げた。

つづく

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