歩き巫女美人剣
「おひさしゅうございます、夢見様――」
一団の中でも、先頭を歩いて率いる巫女がそう声をかける。
年の頃は、三十路に届こうかという年増である。
艷やかな黒髪とぽってりと厚い唇に真っ赤な紅を指し、切れ長の視線にはなんともいえぬ色気を湛えていた。その右目の目尻には、泣き黒子が二つある。大きく張り出した胸と蜂のようにくびれた腰は、神職らしからぬ妖艶なものがあった。
続く旅装の巫女たちも若い者は、十七、八。二〇半ばの見目麗しい女ばかり。
その巫女たちも、夢見客人の美貌を見るなり、思わず感嘆の吐息を漏らした。
「今は、おぬしたちには構ってやれん」
「なんとつれないお言葉でありましょう。さような小娘を連れてのふたり旅をしながら」
嘆息するような声で巫女は言う。
まるで、恋い焦がれていたかのような物言いだ。
「……夢見客人、お前の知り合いか?」
「少しな。あれは
隠した左目ではなく開いた右に刺すようなものを込めて問う瞳鬼に、客人は悪びれずに答えた。
信濃国の諏訪大社は、
この古来からの信仰は、諏訪信仰として関東にまで広がったが、これを伝導したのが歩き巫女の起源とされる。
特定の神社に属せず、各地を遍歴して祈祷や託宣、鳴弦、口寄せの神事を生業とする漂白の巫女たちだ。
芸事の他、春もひさいで
信州
「……歩き巫女? そのような連中にまで目をつけられておるのか」
「望んで敵に回した覚えはないのだがな」
やれやれといった風情で答える客人である。
しかし、諏訪の歩き巫女といえば、戦国の世で武田信玄が使ったくのいちという側面がある。
川中島の合戦で討ち死にした信玄の甥、
歩き巫女は、外法箱という荷物入れと風呂敷包みだけで各地を巡り、世俗にも明るく、借金をしても必ず返したので民衆にも歓迎された。
このため手形なしで歩けると言われたほどで、土地々々の情勢を探る役目にはうってつけであった。
「敵だなどと。わたくしどもは、真田のお家と諏訪の大社の復興を願うのみ」
綾女は、まろやかに微笑む。
武田氏の滅亡とともに、諏訪大社も戦禍に巻き込まれた。
織田信長の息子、信忠の軍勢が高遠城を落とすと大社の上社に火を放ったのである。元々、信濃の豪族であった真田氏は祢津村とも関わりが深く、歩き巫女たちがその血筋を拠り所にしようと客人を欲するのも道理といえた。
「拙者は、一介の素浪人。真田のお家など縁なきこと」
「何をおっしゃいます。そのお腰のお世継ぎ殺しこそ、徳川に祟って滅ぼせとのお父上の悲願の表れでありましょう」
「さてな。物心ついたときより父の顔など覚えておらん」
真田氏は、
幸村の血筋は、嫡男
娘は他家に嫁ぎ、次女の阿梅の方は仙台藩の
残る男子は、逆賊の子とされながらも名を変えて仕官して生きながらえている。
だが、豊臣の隠し財宝の在処と神君家康をして「日本一の兵」と言わしめたその血筋は大きな意味を持つ。
「なれば、夢見様よりお子を授かりとうございます」
「な――」
瞳鬼も、これには絶句するほかなかった。
すなわち、夢見客人と交合して子種を受け、真田の血を引く子を生むと、そう言っているのだ。
「我ら巫女衆の中でも、夢見様のお目に叶う美しいものばかりを選りすぐって参りました。皆、貴方様のお情けを頂戴するつもりでございます」
なるほど、綾女を含め、巫女たちは皆美しい娘ばかり。
そのすべてが、客人の子種を宿すつもりだという。
並みの男であれば、望んでもなかわぬ夢だ。
しかし、巫女たちのほうが惚けたような顔でいる。
絶世の美貌の持ち主に抱かれようというのだから、さもありなん。
「さあ、夢見様も女子はお好きでございましょう? 望めば皆がお相手し、羽化登仙の心地に至りましょう」
「――断る。あいにくと、不自由してはおらん。押し売りならお引取り願おう」
綾女と巫女たちに、険しいものが走った。
女がその身を差し出そうというのに、押し売りと断じられては引き下がることはできない。
まして、諏訪大社の復興もかかっているのだ。
なにより、自分たちよりも美しいものにこう言われては、なお一層憎しみが沸く。
「よくもおっしゃいましたな。手足を切り落としても、殿方は精は放てましょう。なれば、無理矢理にでもあなたの子種をいただきます。お覚悟を――」
綾女の言葉とともに、巫女衆が懐剣を抜いて刃を光らせた。
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