無念死屋敷

 某藩江戸屋敷――某藩としたのは資料が乏しく、正確に特定することができないためであることをお断りしておく――その門を、夢見客人が叩いたのは、暮れ前のことだった。

 仕官にきた食い詰め浪人とでも思ったのか、応対した者は門前払いを食らわすつもりだったらしい。

 しかし、客人が千鶴の名を出した途端、態度は急変。留守居役るすいやくとの面会と相成ったのだが……。


「――亡くなられた?」


 客人は眉をひそめた。

 千鶴のことを切り出した途端、留守居役はそっけなく言った。


「姫は幼少の頃より奇病に冒されておられた。それが先日悪化し、身罷みまられたのだ」

「いや、しかし――」


 客人は、そこで言を止めた。

 留守居役の不審な態度もさりながら、それ以上にこの部屋に潜んでいる殺気――それも研ぎ澄まされたもの――を感じたからだ。

 さっと村正を取り寄せて抜刀し、畳に突き立てる。


「――……ぎゃっ!?」


 柄に伝わる確かな手応えと、こもった呻き声が上がった。

 それを合図に、襖を踏み倒して押し寄せる数名の忍びたち。

 だが、客人相手に不意を撃てなかった彼らに勝ち目はない。

 まばたきする間もなく、皆斬り払われた。


「さすがは噂に違わぬ腕前、感服つかまった。これなら、心置きなく姫をお任せすることができる。どうか無礼のほど、お許しくだされ」


 留守居役は、深々と平伏した。


「この刺客、留守居役殿の手の者ではないな」

「いかにも。そやつらは逆卍党の者ども」

「やはり」


 招き入れられたときより、客人はこの屋敷を取り巻く不気味な気配を感じていた。

 留守居役が自分を消そうとする罠かと疑ったが、その目を通して伝えられたのは苦悩と覚悟、そして嘆願だった。

 逆卍党の名を聞いて得心したのは、そのためである。


「……恥ずかしながら、当家はお世継ぎを巡っていざこざがあります。そこを逆卍党とやらに突け込まれた次第……。姫様を邪魔に思う者どもが逆卍党と手を組み、かどわかしに見せかけて連れ去ったのでござる。そこを、夢見殿に救い出していただいた。姫が夢見殿を頼ったのなら、それがしも安心できましょう……」

「ならば、ひとつ気がかりなことがある。何故、逆卍党は千鶴姫をすぐに殺さなぬのか?」


 後継ぎを巡るお家騒動は、取りたてて珍しいものではない。

 長子相続が範となった寛永の頃は千鶴姫が家を継ぐことはないが、年頃となって子ができるとなれば事情も変わる。

 千鶴を亡き者にしようとする一方の勢力と凶賊逆卍党が結びつくのもあり得る話でもある。

 しかし解せないのが、その場で千鶴を殺さなかったことだ。

 留守居役の話どおりなら、逆卍党の役目は千鶴を害するはず。しかし、宇頭間刃角ほか忍びたちは千鶴を生かしておいてどこかに去ろうとしていた節がある。


「お、おそらくは……姫様の秘密がかかわっている、かと………」

「秘密、とは?」

「そ、それは……ど、どうかご容赦願いたい。それがし、墓場まで持ってゆく所存……」


 留守居役の顔色が、みるみる悪くなってゆく。額には大量の脂汗が浮き出ており、尋常の様子ではない。ついに耐えきれず、手をついて崩れる。客人は、思わず駆け寄った。


「留守居役殿――!」

「姫をかような目に遭わせたうえ、怪しげな賊を藩政に関わらせてしまったのは……ひ、ひとえに、それがしの不徳の為すところ。こ、こうして腹を切らねば、国元の殿に申し訳が立たぬ……」

陰腹かげばらを召しておられたか」


 留守居役の腹部から、じんわりと血が滲んでいた。

 腹を切ったあと、さらしを巻いてそのまま客人と対面していたのだ。


「ゆ、夢見殿。さ、最後の頼みでござる。姫を、どうか……お守りくだされ……」


 留守居役は、震える手を客人に伸ばした。

 面倒を嫌って無頼暮らしに身を置いている客人だが、死にゆく者の願いを無下にするほど割り切った生き方をしているわけでもない。


「ご安心なされよ。その依頼、しかと引き受けた」


 差し伸べられた手を取り、客人は答えた。

 留守居役は満足そうに微笑み、死出の旅路についた。

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