知恵袋無縁亭

「一体、今まで何処をほっつき歩いておられたのですかっ!!」


 暇人長屋に帰ってくるなり、客人まろうどは美鈴の一喝に出迎えられた。

 その言には大いに反論したいところだが、どうも只事ではないらしい。


「留守中に、何かあったようでござるな」


 周囲には、微かに血の臭いが残っている。

 流血沙汰は、実は暇人長屋では珍しいことではない。

 不逞の輩が押しかけて住人の返り討ちに会うなど日常茶飯事。

 亡骸の処理も、近くの投げ込み寺の住職に金を積めば手際よく片付けてくれる。

 しかし、美鈴とともに出迎えた天次郎と晴満の表情は晴れやかではない。

 大抵の荒事なら顔色ひとつ変えることなく片付けるこのふたりが、だ。


「よう夢さん。ようやく戻ってきたな」

「戻っておったのか天さん。喧嘩助っ人の武勇談は後で聞くとして、仔細を聞かせてくれ」


 夢見客人と津神天次郎は、お互い「夢さん」と「天さん」で呼び合うほどの仲だ。このふたりが友と認め合うまでには紆余曲折あったのだが、それはまたの機会に語らせていただこう――。


「いやな、夢さんとこに押しかけてきたお姫さんだが……妙な連中がやってきてな」

「さっそくきたか。で、まんまと刺客にしてやられた、というわけではなかろう?」


 留守居役との約束を、さっそく違えるようになっては客人としても目覚めが悪いところだが、あいにくとこの暇人長屋には腕だけは確かな暇人が揃っている。

 ここの暇人たちがいつものようにお節介を焼いてくれれば、千鶴が刺客の手にかかること万にひとつもありえない。


「それは無論。じゃが千鶴殿の様子がちと妙で……むむ、さっそくとな?」

「詳しい話は後回しだ。で、肝心の千鶴殿は?」

「医者先生に診てもらっておるのだが、これがどうも……ともかく、その目で確かめてもらうのが一番話が早かろ」


 晴満のいう医者先生とは、元はどこぞの藩医を務めていたという噂の早良刃洲さわら じんしゅうという医者崩れだ。さすがに腕は確かで、まっとうな医者にかかれない者たちから重宝されている。さっそく、客人は刃洲の部屋へ向かった。

 千鶴は、布団に寝かされていた。

 その周りには血の滲んださらし布が大量に丸められていた。

 相当の出血量でなければ、これだけの量は必要ない。


「……大丈夫なのか、千鶴姫は?」

「心配いらんよ。命に別状はない、というか傷ひとつないのだからな」


 千鶴の具合を看ていた刃洲は、しかめっ面で客人に答えた。


「言っている意味がわからんのだが……これは、千鶴姫の血ではないのか?」

「いや、この娘の血だ……そのはずだ。しかしな、何処を見ても傷口はひとつも見つからん。だというのに、拭っても拭っても血が滲み出す。ようやく止まったがな」


 刃洲は、千鶴の掌に巻かれた包帯を取りかえる。包帯には紅の花が咲いているように血が滲んでいる。が、言葉どおり傷口らしきものはひとつも見あたらない。


「しかし、脈に異常があるわけでもなし、顔色に不安があるわけでもない。放っておいても別段命に関わることもなかろう。ただ、この症状については、正直お手上げだな」

「ん……」


 小さくうめいて、千鶴が寝返りを打った。そしてゆっくりとまぶたを開く。


「わたくし、あれから気を失って……」

「安心しなさい、これでも私は医者だ」


 千鶴はあたりを見回し、自分の置かれている状況を確認する。

 どうやら医者の元に担ぎ込まれたのだと知り、ほっと安堵する。

 が、様子を見守る客人を認めると、胸に複雑なものがよぎった。


「気分がすぐれぬのか? 具合が悪いようなら、まだ休んでいたほうがよいぞ」

「いえ、ご心配にはおよびません。ときどき、あることなのです」

「何? こんな症状がよくあるのかね?」

「……はい。幼少の頃より気が昂ぶると、傷もないのに血が滲み出すのです」

「ほう、発作的なものなのか。で、痛みや目眩などは?」

「ありません。ただ、怖くて……」


 千鶴は、うつむいて答える。


「ふむ、まさに奇病だな。血筋に、同じ症状を持った者はおらなんだかね?」

「先生。お気持ちはわかるが、ほどほどにな」


 好奇心のおもむくままに質問を浴びせる刃洲を、客人はたしなめた。

 幼少の頃より病を患っていたとなれば、つらいい思いのひとつやふたつするものだ。

 千鶴も、おそらくはそうだったろう。


「や、これは私としたことが。失礼した」

「いえ。きちんと看ていただいたようで、なんとお礼を申してよいやら」

「正直、礼を言われるようなことはしておらんのだがな」

「というわけで、想庵そうあん殿にでも聞いてみようと思っての」


 無縁亭想庵むえんてい そうあんは、暇人長屋に住みついた草双紙くさそうし書きである。

 物書きだけあって古今東西の事情に通じ、暇人長屋の知恵袋を自称しているのだが、奇妙奇天烈な薀蓄うんちくばかりを垂れ流し、あまりあてにはならない。


「まあ駄目で元々というところでおじゃろ。――お、やってきたようであるな。ほれほれ想庵先生、もっと急がんか。部屋に篭ってばかりだから、無精が祟るのでおじゃるぞ!」


 外の様子を覗いていた晴満が、向かっているであろう想庵に声をあげた。


「わかった、わかった。そう急かすな」


 歳の頃は三十半ば、くたびれた着流しに総髪の学者然とした男――これが無縁亭想庵。

 急かされているというのに、まったく急ごうという様子がない。

 のっそりとした動作で、上がり込む。


「医者先生が匙を投げたというのでな。やむなく佳境に入った戯作の筆を止め、吾輩の知恵を授けに参上した」


 ずいぶん尊大なもの言いだが、刃洲はすましたものである。いつものことと慣れているのと、どうせ病のことはわかるまいという優越感があるからだ。


「で、想庵先生。姫の病に心当たりがあるのかね?」

「それは無論。この想庵、伊達や酔狂で“暇人長屋の知恵袋”と呼ばれておるわけではないぞ」

「誰も呼んじゃいねえよ。手前で言っているんじゃねえか」


 天次郎の横槍を、想庵は咳払いしてさりげなく無視する。


「まさか、医術のことでいい加減なことを言うものではないぞ、想庵先生」


 すまし顔だった刃洲も、この言葉にはさすがに慌てた。

 病や医術のことで、この胡散臭い学者気取りの物書きに遅れを取ろうとは夢にも思っていない。


「いやいやいや! さすがの吾輩も医術のことであれば口を挟むつもりは毛頭ない。もとより姫様の症状は“医”の領分にないと思われる」

「なんと。それでは元々私の出番ではなかったというわけか」


 ほっとしたとばかりの刃洲である。

 想庵の言い分は何やら怪しげだが、ともかく医者としての面目は守られた。


「しかし、病ではないとするとなんだというのだ?」


 客人が不思議に思い、想庵に訊いた。


「まあ少々待たれい。今からそれを確かめる。――姫、差し障りなければ、その血が滲むという個所を教えていただけませぬか?」

「あ、はい。両掌と額、それと脛と、背中からも、ときどき」

「なんと、それでは……」草菴、思わず息を呑む。「では、もうひとつ。吾輩の見立てでは、姫のご親族は、西国に縁があると思うのだが、相違ございませんか?」

「え? ええ、確かに母は西の生まれです」

「やはりな! いや、吾輩の睨んだ通りにござる」


 想庵は、ぽんと膝を打ってひとりで得心している。もちろん、他の者には何が何やらさっぱりわからない。皆、もったいぶっている想庵を歯痒そうに見ている。


「うむ。であるからして、血に変わる物を多く摂ればよろしい。この我輩が約束する。姫は断じて病などではない。なんの心配もいりません。むしろ、喜ぶべきこと」

「――これが、喜ぶこと?」


 千鶴には何が何やらわからなかった。

 皆からは気味悪がられ、得体の知れない恐怖を抱いたこの症状を、喜べという。


「何を寝ぼけたことを。事の吉凶を読み取る陰陽道を学んだ麿でも、傷もないのに血が滲み出すという、まっこと不吉な……おっと」


 うっかり滑らせてしまった口を、晴満は慌てて塞いだ。


「悪いけどよ、俺たちにもわかるように説明してくれねえか?」


 天次朗はただひとりだけ納得している想庵に問いただすが――


「いやいや、いや! そういうわけにはいかんのだ」

「ちっ、なんでえ。また知ったかぶりかよ。相変わらず当てにならねえなあ、あんた」

「無礼な! 吾輩は暇人長屋の知恵袋であるぞ。断じて知ったかぶりなどではない!」

「知っておるか想庵殿? 巷では『“暇人長屋の知恵袋”は穴が開いている』と、もっぱらの評判でおじゃるぞ」

「ぐ、ぐぐ……いや、仕方なかろう。姫様の秘密に関わることであるからな」

「……秘密?」


 その言葉とともに、皆の目が千鶴に向けらる。

 千鶴は、ひどく狼狽していた。

 想庵の言うとおり、千鶴には誰にも明かせぬ秘密があった。

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