死して願いし

 天次郎が破った門を破って中に乗り込むと、錫杖を構えた行者たちが出迎えた。

 さっそくとばかりに、客人と天次郎がそれぞれに斬り倒していく。


「やはり、こやつらただの行者じゃねえな」

「ああ、逆卍党は、この空き屋敷を江戸の根城としていたようだ」


 錫杖からは仕込みの刃や鎖分銅が現われ、斬りつけた鈴懸すずかけの下からは、着込みの鎖帷子が現れる。

 旅の行者ともなれば相応の備えはするものであるが、忍びが使う武具と身のこなしから只者ではないことは明らかだ。


「いや、しかし、こやつらは……」


 遅れて屋敷に入ってきた想庵は、斬り倒された富士行者の姿に何か違和感を覚えている。


「想庵先生、後回しに頼むぜ!」

「む、そうであるか」


 じっくり検分したいところであるが、いまや敵陣に踏み込んだ最中であればそうもいかない。

 屋敷の間取りはなかなかに広く、土蔵も三つほどある。隈なくあらためるとなると、それなりに手間取ることになろう。


「夢さん、手分けして探すか。ここから俺と想庵先生で右を行こう」

「では、拙者は左だ」

「待て夢見客人、私も行く!」


 瞳鬼が、慌てて客人に同行を申し出る。

 彼女の役目は客人が持つ御世継ぎ殺し村正の監視であるから、目を離すわけにはいかない。


「千鶴姫、おられたらご返事を」


 襲い来る者たちを斬り伏せては襖を開け放つ。

 無論、怪忍者集団がその根城とした屋敷である。

 開いた途端、畳の下から槍衾が突き立ってきた。

 すでにその気配を察していた客人は、一旦身を引いて躱し、穂先を斬り払う。

 どんでん返しや隠し戸から身を隠していた忍びが現れ、刀隠しの武具を手に取り、立ち向かってくる。


「忍び屋敷に造り変えられていたようだな」

「江戸の外れにこんなものを。油断するなよ? その御世継ぎ殺しを賊どもに渡すわけにはいかんのじゃ」

「心得ている。千鶴姫を取り返し、早々に退散いたすとしよう」


 瞳鬼に背を任し、客人は現れた敵を斬る。

 正面の二人を正眼からの連撃で倒し、天井から吹き矢で狙う一人には小柄を放って牽制し、瞳鬼に任せた。


「千鶴姫――!」


 向かう敵を斬り伏せ、次々に襖を開けて奥座敷まで進むと、顔を伏せた千鶴が置物のように座っていた。

 返事はない、怪訝に思った客人は歩を止める。


「…………」

「おい、何を!?」


 何を思ったか、客人は御世継ぎ殺し村正を一閃させた。

 バサリ――と着物が落ちる。

 千鶴ではなかったのだ。

 斬られた人形と、一房の髪があるのみ。


「……どういうことじゃ?」

形代かたしろの術だ、公家殿ですらあざむかれたのだ」


 戸惑う瞳鬼に、客人が答える。

 逆卍党は、こちらが式占で探るのも見越したうえで、その形代をこしらえていたのである。

 形代とは、呪術でその対象の身代わりとなるもののことをいう。

 千鶴姫の髪と人形を使って、あたかもそこに気配があるかのように錯覚させたのである。


「そうよ、まんまと引っかかったというわけよ――」


 不気味な声が聞こえた。その途端だった。

 「あっ」と瞳鬼が倒れ、奥に引きずられていく。

 開け放った襖も、次々に閉まって姿を消した。

 わずか一瞬のことであった。


「瞳鬼!」


 客人も追った。

 罠があるのは、先刻承知だが追わぬわけにはいかぬ。

 閉ざされた襖を開け、消えた先を追う。

 屋敷の中は意図的に光が行き渡らぬようにしてあるのか、薄暗く陰っている。


「む――!」

「く、来るな!」


 まるで、中に磔にされたような姿の瞳鬼がある。

 見えない糸に絡め取られているのだ。


「斯様なくのいちでも、大事と見える」


 ぼうっと影から現れ瞳鬼の背後に張り付いたのは、およそ人とは思えぬ姿――。

 枯れ木のようにやせ細ったひょろ長い手足の怪忍者、糸巻随軒であった。


「おぬしか、吉原の夜に会うたな」

「わしは、その前からおぬしを知っておったがな。夢見客人――」


 喉を鳴らして含み笑いをする随軒に、客人も剣を向けた。


「放してやれ。その娘は拙者について来ただけだ」

「いいや、こやつは一度は見逃してやった。ニ度目は邪魔立てに入った。三度目はない」


 吉原で、焙烙玉を使って客人を逃したことだ。

 柳生の刺客、斉藤丈之介もその場にいたが、まさに瞳鬼が相手を煙に巻くことで急を脱している。


「私に構うな! おぬしが相手をすることはない」


 瞳鬼の役目は、御世継ぎ殺し村正が誰かの手に渡らぬよう監視すること。夢見客人に同行したのはそのためであり、自分のために危険に晒したとなっては目的と逆のことになる。

 客人の刀には、豊臣の莫大な隠し財宝に繋がる手がかりがある。

 柳生と伊賀の隠密も、これを巡って暗闘を始めている。

 ましてや、怪しげな賊の手に渡ることがあってはならないのだ。

 だが、しかし――。

 役目のとは別に、おのれのために夢見客人の身を危険に晒したくはないとの感情も芽生えている。


「ふん、自分に構うなか。そうじゃのう、どうせこやつも公儀の犬じゃ。いくらでも代わりはおる」


 随軒に、加虐の喜びが沸いた。

 瞳鬼の胸元の装束を、一気に引き裂く。

 白い双丘と、薄紅の乳首までが露わになってしまう。


「ああっ――!?」

「ほう、左の目玉が飛び出し醜いが、女としては育っておる。どうせ貰い手もつくまい。わしが存分に可愛がってら殺してくれよう」


 瞳鬼の首筋に、随軒の赤い舌が這う。

 頬は羞恥に染まり、悪寒と辱めに身が震えた。

 忍びとなってから、女はとうに捨てたはず。

 だというのに、何故このような情が残っているのか。

 無様な様を、見られたくはなかった。この世にただひとり、夢見客人にだけは――。


「ん? こやつ泣いておるか。くくく、未熟者め。化け物の目から涙とは笑わせるわ!」


 随軒は、存分に嘲り、笑う。

 幕府の手の者である瞳鬼に対して容赦する心などなく、そうした獲物であるからこそ嬲り甲斐がある。

 心を苛み弄び、苦しめることこそが、この怪忍者の愉悦であった。


「よせ、そこまでにしろ」

「カカカ、人の心配をしておる場合ではないぞ。すでにおぬしはわしの術中にある――」


 随軒は、すっと黒い糸を手繰った。忍法“乱れ髪”である。

 すでに部屋中に張り巡らされており、客人が瞳鬼を追ってくるのを待ち受けていたのだ。


「そうであったな、これがおぬしの忍法であった」

「いかにも、わしの乱れ髪じゃ! 砕いたギヤマンの粉をにかわに混ぜて塗ってある。おぬしもバラバラにしてくれよう」


 アジア圏の喧嘩凧では、凧糸にガラスの粉を接着剤で塗ることがある。これによって相手の糸を切断できるようになる。

 客人が振り払おうとしても、容易に斬れるものでない。

 もがけばもがくほど、絡みつき、じわじわと食い込んでいく。


「……この髪、誰のものだ?」

「聞きたいか? わしの妻と娘のものじゃ。公儀の手によって無残に殺されたな!」


 乱れ髪に使われたのは、髄軒の妻と娘のものである。

 それを武器に変え、その恨みを幕府の手の者に向ける。

 随軒の恨みの源泉こそ、忍法“乱れ髪”なのだ。


「大坂側についたといって、公儀は残党狩りの名目でわしの妻子を無残に殺しおった。晒しとなった妻と娘の髪は、死んでからも伸びた! わしに仇を取ってくれと訴えてな」


 大坂の陣の後、幕府の残党狩りは熾烈を極めた。

 連座によって、一族郎党が刑場の梅雨に消えた例は珍しくはなかった。

 糸巻随軒は、その追求から逃れたものの、妻と娘を救うことができなかった。

 美しい黒髪が自慢の妻であり、娘も妻に似ていた。

 髪は、死後も伸びるという。

 実際に伸びているわけではなく、肉体が朽ちることによって相対的にそう見えるのだともいわれるが、随軒はこれを妻と娘の訴えだと信じた。

 悔恨と嘆きの中で見いだした救いが、この乱れ髪に込められた狂気である。


「そうであったのか」


 客人は、刀の切っ先を下げた。

 それは、観念して刃向かう気力を失ったかのように思えた。


「観念したか? それがよい。恨みの込められた髪は、うぬがいくらもがこうが切れることはないのじゃ」

「おぬしは、妻と娘がそうまでして仇討ちを望んでおると思っておるのか?」

「無論よ。こうしてわしの手によって恨みを晴らすことこそがせめてもの手向けじゃ!」


 随軒は目を剥いて抗いの言葉を吐いた。

 妻と娘が敵討ちを望んでいるのは確かなことだ、疑う余地などない。

 惨たらしく殺された亡骸から、幾日経っても髪は伸び続けた。

 自分たちの恨みは、まだ生きているのだと髄軒に訴えかけるかのように。


「不憫な……」


 哀切とともに客人は吐息を漏らした。

 その黒瞳から、優美な頬を伝って一粒こぼれるものがある。

 涙――。

 まさしく、朝露のように乱れ髪に落ちた。

 すると、どうしたことか。


「――な、何故じゃ!?」


 乱れ髪が、ひとりでに客人から解けていった。

 恨みが、晴れていくかのように。


「おぬしの妻子は、おぬしが人の道理から外れ、身も心も化け物となってほしいと願ったわけではあるまい」

「何を言うか! うぬに何がわかる!」

「拙者にはわからぬ。だが、聞こえる。もう恨みのために苦しまないでほしい、との声が――」

「お、おのれ、戯言たわごとを!」

「戯言ではない。大事な人に、ただ平穏に生きてほしい。誰もがそう願うのではないか」


 随軒は当惑した。

 伸びた髪は、本当に恨みが込められていたのか。

 おのれが、そう信じたかっただけではないのか。

 妻と娘は、そんな声を発していたのか――。

 いや、聞こえていたのだ。

 おのれの怨念こそ正しいとするために、聞こえていたのに耳を塞いでいた。

 あれほど、妻と娘の声を望んでいたというのに。

 その声を聞き届けてくれたからこそ、乱れ髪は夢見客人からほつれたのではないのか。


「うがあああああああああっ!!」


 絶叫とともに、随軒は背負った刀を抜いて客人に斬りかかる。

 人の情を捨、獣となった咆吼か、言葉にならない情が押し寄せたのか。

 すっと銀光が一閃する。それは慈悲の一刀ではなかったか。

 糸巻随軒は、そのまま乱れ髪の中にどさりと倒れた。

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