秘剣轟天流湖月

 ――……轟天流だと?


 耳慣れぬ流名に、斎藤丈之介は首を傾げた。

 柳生新陰流は天下の御流儀――つまり常に最強でなくてはならず、その王座を守るために他流派の動向にも気を配っている。

 夢見客人ほどの剣客を輩出した流派なら、その情報網にもかかっていよう。

 しかし、轟天流なる流名に心当たりはない。

 名の知れた流派なら、同時にその特徴も知られているため対処の仕方もあるが、未知の流派の場合、どのような手があるのかわからない。両者の技量が伯仲している場合、これは心理面での差となって現れる。


 ――迷うな。当流こそ随一の剣よ!


 丈之介は自分自身に言い聞かせる。柳生新陰流こそ最強、天下の剣――。

 あえて一対一の立ち合いを挑んだのも、そうした自負があったからだ。

 たとえ裏の柳生であろうとも、華奢な優男に多数でかからねば勝てぬとあってはその沽券にかかわる。斬られた者たちが未熟なのであって柳生新陰流が弱いのではない、その証明を自身の手で行おうというのだ。

 裏の道に生きるからこそ、守らねばならぬ矜持もある。

 おのれの信念を刃に乗せ、丈之介は地を蹴った。


「きええええっ!!」


 客人の喉元を狙った鋭い突きが繰り出される。

 だが、客人はそれを最小限の動きで躱す。まるであらかじめ見えているようだ。

 丈之介はすぐさま次の突きを、それも躱されるとまた突きを繰り出す。

 目にも止まらぬ刺突の嵐だが、客人は流れる水のごとくすべて躱しきった。

 逆に、攻撃に意識を集中した丈之介の隙を突き、下段から刃を跳ね上げる。


 ――キィィィィン!


 刃同士を打ち鳴らす、甲高い金属音が響き渡る。

 間一髪、丈之介は凌いだ。

 丈之介はすぐさま反撃に移る。そのまま、柄に力を込めて押し返した。


「むうううんっ!」


 膂力に任せて押し込まれる刃が、客人の眼前で凌ぎ合う。

 両者の力が拮抗し、鍔迫り合いとなった。

 体格と腕力は自分が勝る――そう判断した丈之介は、さらに力を込めた。

 丈之介と客人、ふたりの視線が近い距離で交わる。

 瞬間、丈之介は柄から左手を離し、目突きにいった。


「むっ……!」


 危険を察した客人は、咄嗟に開かれた指の間に柄を立て、目突きを止めた。


 ザッ――!!


 ふたりは同時に飛び退いて、間合いを取った。


「ちっ、仕損じたか……」


 丈之介はうなるように言った。

 純粋に剣術の技量ということであれば、夢見客人の天分にはかなわぬだろう。

 しかし、殺し合いは、小手先の技量よりもその覚悟や意志が問われる。

 なんとしても殺す、ためらいなく殺す。温かな胎内に指を突き入れ、遠慮なく掻き回せるかどうか。

 必殺の気迫とは、そういうもの。

 その丈之介の殺意は、さしもの美麗剣客、夢見客人ですらおののかせるものだ。


「どうやら、簡単にはすませてはくれんようだ」


 客人はそう呟くと、剣を大上段に――いいや、さらに引き絞り、ついには剣を背負うように構えた。


 ――なんだ、あの構えは?


 丈之介は、その客人の構えに戸惑いを覚えた。

 あれでは隙だらけだ。

 確かに、あの構えなら上段から威力ある一撃を打ち下ろすこともできよう。

 だが、胴ががら空きだし、大振りにならざるを得ない。

 自分を誘う罠かとも思ったが、だとしても先に胴を分断できる自信がある。


「貴様、なんの真似だ?」

「轟天流、湖月こげつ――」


 客人は静かに言う。どうやら、この構えの名らしかった。

 いや、これが業であるはずがない、あってはならない。

 丈之助の知りうる剣術にはおよそありえない。


「舐めるなっ!」


 剣を脇に構え、一気に間合いを詰める。


 轟ッ――!!


 丈之介の剛剣が、そのまま客人の無防備な胴を――

 胴を、薙ぐはずだったのだ。


「――な、何ぃっ!?」


 切っ先は、わずかに客人の着流しを切り裂いたに過ぎない。紙一重とはいえ躱された。

 躱されたというよりも、自分が外したという方が正確だった。

 絶対に躱すことができない、そういう一太刀を繰り出したはずであった。

 

 ――何故だ?

 

 疑問の渦に叩き込まれたが、丈之介の身体は反応した。

 丈之介の頭上から、峻烈なる一撃が振り下ろされる。

 あまりの疾さに、刀身が消える。


「く、くそっ!?」


 咄嗟に十字止めに構えながら、さらに真後ろへと飛んだ。

 完全に姿勢を崩したとはいえ、瞬時に二間ほども飛び退くことができたのは丈之介の勘の良さと瞬発力によるものだった。


 ――躱した、のか……?


 客人の剣は完全に振り下ろされ、残心を取っている。

 丈之介が安堵した、その刹那のこと。

 澄んだ金属音が鳴った。


「ば、馬鹿なっ……!?」


 自分の刀が鎬の部分からすっと二つに折れた。

 いや、折れたのではない。折れるなら、まだわかる。

 一刀のもとに、刀が斬られたのだ――。

 しかも刀だけではなかった。

 二重の下に着込んだ鎖帷子までもが、綺麗に斬られている。

 飛び退く寸前、わずかに切っ先が掠めたのだろう。

 なりふり構わず飛び退いていなければ、どうなっていたことか。


「勝敗は、決したかな」


 呆然とする丈之介に、客人は言った。

 その言葉で、丈之介はようやく我に返った。


「だ、黙れ! この程度で勝ったと思うなっ……!」


 丈之介は脇差を抜き、客人に食ってかかる。


 ――果たしてそうか?


 威勢のよい言葉とは裏腹に、丈之介の心は完全に打ちのめされていた。

 自身との技量の差を、認めざるを得ない。

 まして剣の腕が立つならば、なおさらその差の大きさがわかる。

 気づけば、客人はいつの間にか斬り合いの間合いから離れている。


「今日は人を斬り過ぎた。さすがに御免こうむりたい」


 言って、丈之介に背を向けて駆け出した。


「ま、待てっ……!?」


 丈之介が追うも、その目の前に次々に木々が倒れ、その行く手を阻む。

 駆けざまに客人が切り倒していったものだ。


「ちっ!」


 客人が咄嗟に飛び退いて倒木を躱す。

 その間に客人の姿は消えていた。

 丈之介はただ立ち尽くし、拳を握り締めてわななかせた。

 猛禽類そのものの双眸には、触れれば焼け爛れてしまいそうな怒りが滾っている。


「お、おのれ……」


 刺客の矜持をへし折り、剣の腕でも上回ってみせた相手。

 そして、おのれの不甲斐なさ。

 何より、それを認めてしまった自分。

 絶対の自信を打ち砕かれ、刺客としての存在意義も奪われた。


「おのれえぇぇぇぇ……! 夢見客人ぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 震える唇で、丈之介は憎きその名を叫ぶ。それは、獣の咆吼にも似ていた。

 裏柳生の刺客、斎藤丈之介が夢見客人抹殺に執念を燃やすのは、このときからであった。

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