双月相撃つ

「貴様を斬る機会が機会がようやく回ってきたようだ」


 深編笠を脱ぎ捨て、丈之介は言ってたのけた。

 あまりの殺気に、逆卍党の忍びたちもたじろいたほどだ。


「……その勝負、今は預けてるつもりはないか? 将軍家菩提寺を荒らし、江戸市中に火をかけようという賊がおるのだ」

「知らぬ、俺は貴様を斬りに来ただけだ」


 丈之介の両の眼からは、火の出るほどの憎悪が溢れている。

 大目付柳生但馬守の門弟にありながら、幕府転覆を目論む賊にも目もくれず、ただ夢見客人ひとりを斬る――。

 これほどまでに純粋な殺意も他にない。

 三池典太光世が、呼応するかのように燃える炎の揺らめきを映している。


「公儀の大事を思わぬか、柳生……!」


 瞳鬼が丈之介の前に降り立った。客人との間に割って入ったのである。


「伊賀者め、土井大炊頭の犬が邪魔をしよる」


 丈之介は、ゆらりと無造作に進む。

 まるで狼が獲物を前に舌なめずりをしたかのような表情。

 背筋に走る戦慄に、思わず瞳鬼の足も下がる。


「こ、ここは私が引き受ける! お前は早くあやつを止めに行け」

「下がれ、瞳鬼! おぬしの敵う相手では――」


 殺気に呑まれた瞳鬼に、客人が言ったときには、もう遅かった。

 無造作に振り払った斬撃が、瞳鬼の胴を薙いでいた。


「……瞳鬼っ!」

「あ――」


 赤い血が、ぱあっと花が咲いたように散る。

 あまりにあっけなく、おのれが斬られたことを瞳鬼は理解し、よろよろとよろめいった。


「ああ、瞳鬼ちゃん……!?」


 悲痛な叫びを、千鶴が上げた。

 駆け出した客人が、倒れる寸前で瞳鬼を抱きとめる。

 刃は、肝臓と腎臓までに達し、何が起こったかを――命が絶えることを――瞳鬼は悟った。


「あ、ああ……。だめだな、私は、き、斬られた……」

「瞳鬼、しっかりいたせ」

「未熟な私でも、わかる。死ぬんだ……」


 呆けたような顔で、瞳鬼は呟く。

 その大きな左目から、涙が一筋伝った。

 死ぬのが惜しいのではない、もう夢見客人を見ることができないから。


「やっぱり、お前はきれいだ……。私と違って、右も左も、ぴったり一緒……。近くで見ると、わかる」


 客人に抱きとめられて、初めてその顔を間近で見た。

 力なく、整えられた白磁のような形のよい頬に触れた。

 瞳鬼の鋭い観察眼は、夢見客人のこの世ならざる美身と強さの一端を解き明かした。

 この美貌の剣客は、左右が寸分違わず揃うの身体を持つ。

 だからこそ、美しい。

 美人の条件のひとつに、顔の左右が対象であるというのがある。

 人間の体というものは左右同じに見えて、利き腕利き足がわずかに太くなったり軸が揃わなかったりと、その実歪みがあり非対称である。しかし、数万人にひとりという割合で左右対称の持ち主が生まれるという。夢見客人は先天的な資質と後天的な鍛錬が合わさり、数百数千万にひとりの類稀なる身体を持つ。

 だからこそ、立ち姿までもがまるで一幅の絵のような流麗な印象を与えるのだ。

 この均衡の取れた骨格肉体は、また超絶の剣技を生む。

 武術というものは、身体の運用の完璧さが求められる。

 身体の左右がわずかな歪みもないというのは、精密無比な技を繰り出すのに理想的であるのだ。

 そしてまた、左目が肥大し、左右が非対称の瞳鬼が惹かれてしまったのも、自分が望んでも手に入らないものであったから――。


「ずっと、近くで見たかった……。ようやく……」

「斯様な顔でよければ、もっと見せてやったものを」

「ばか、きれいすぎる、から……。あ、あやつも、同じだ、気をつけ、ろ……」

「榊世槃のことだな。ああ、わかった。礼を言うぞ」


 榊世槃も、夢見客人と同じく完全対称の身体を持つ。

 構えた立ち姿が同じという印象は、当然だった。


「瞳……私の、ほんとうの名……」

「瞳か、よい名だな」

「あぁ、うれしい。夢の、よう……」


 それっきり、瞳鬼は動かなくなる。

 あまりに多くの血が流れ、失血によって命を散らした。


「夢見様、瞳鬼ちゃんが……。お願い、生きて……! 天主デウス様……!」


 動かなくなった瞳鬼に、千鶴が駆け寄って手を当てる。

 聖痕が神の奇蹟というのなら、あの富岳風穴のように癒やしの力を与えてくれるはず。

 そう信じたというのに。奇蹟は、もう起こらない。

 列聖された聖人でも、何度も奇蹟を起こしてはいない。


「…………」


 客人は静かに首を振り、冷たく光を失った瞳の瞼をそっと閉じてやる。

 こうしてしまえば、ただの娘と何も変わらぬ。

 だというのに――。


「はっ、とんだ愁嘆場しゅうたんばよな!」


 太刀を血振りして、丈之介が吐き捨てた。

 さも、死んで当然とばかりに。


「斬り捨てることはなかった、そのはずだ。お互い公儀の側であるなら」

「貴様を斬る邪魔をした、それだけで十分値する。それとも、左様に醜いくのいちが惜しかったか?」

「二度と――」


 丈之介の言い捨てた言葉に、客人は静かにその顔を上げる。

 絶世の美貌に、ぞっとするほど冷たく怖いものが宿る。

 常には憂えを湛える瞳に、凍るようなほどの怒りが滾っていた。


「二度と、そのようなこと言わせぬ」

「ほう、ようやく本気になったな。それでいい、構えてみせろ、湖月に」


 豪天流湖月――。

 斎藤丈之介を根津権現の鎮守の森で破った技だ。

 この技を破るため、丈之介は伝通院に現れたといっていい。


「拙者は、これまで人を望んで斬ったことはない。今も、轟天流の剣でおぬしを斬りたいとは思わぬ」

「何を言うか、貴様も所詮は俺の同類よ。平然と何人も斬り捨てておろう。ゆえに覚悟は俺が勝る。おのれがただの人斬りと認められぬ甘さを知るがいい」

「甘さか、かもしれぬな」


 言って、客人は御世継ぎ殺し村正を大上段に構え、さらに引き絞る。

 月を背負い、胴が空くほどに。


「豪天流、湖月。破ってくれる……!」


 対して、斎藤丈之介は柳生新陰流水月すいげつに構える。

 湖面に映る月に対し、その同じく水中の月。

 剣を真横にする脇構えで、胴を狙う。

 本堂屋根の世槃が、この対決を見下ろした。


「これは思わぬ見ものとなった」


 美貌の剣客と殺気溢れる刺客の立ち会いが始まろうとしている。

 勝つのは、果たして――。


 柳生新陰流、斎藤丈之介の必殺絶命の刺客剣か。

 豪天流、夢見客人の峻烈華麗な一刀か。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る