夢の三文銭

「さて、帰るとするか。これからまた、喧嘩の続きがあるんでな」

「天さんも相変わらずだねえ」


 呆れたようにお縫が言う。

 天次郎は明けても暮れても喧嘩ばかりだが、相手が「夜更けに通るは何者か、加賀爪甲斐か泥棒か」と言われるほどの乱暴者の加賀爪勘十郎だからか、お縫もどこか痛快な様子そうである。


「あの伴天連様と想庵先生がご一緒ですから、まずは姫様も安心ですね」

「想庵先生は、各所に文献を求めて旅慣れておられるという。道中のことは、お任せしてよかろう」

「だがよ、あの物書き先生は穴の空いた知恵袋だぜ? 抜けたところがあるからな」

「なら、麿が式神を飛ばしておくかの」

「ああ、そりゃいいや」

「拙者も、公家殿の式神にはずいぶんと助けられたでござる」

「なあに、礼は吉原の揚屋あたりでうまいものを飲み食いできれば十分でおじゃる」

「……今、この脇差を新調したばかりで懐が寂しゅうてな」


 客人の腰には、大小が差されている。

 大は御世継ぎ殺し村正二尺三寸、小は磨り上げの救世正宗一尺五寸。

 そしてまた、村正の拵えも新しくしていた。


「おい、夢さん。その鍔、独眼竜の一文字透かしか」

「ああ、東北の鋳物は品もよい。放っておくわけにもいかぬしな」

「まあた面倒事を背負い込んでも知らねえぜ?」

「今更だ、天さん。お互いにやりあったときから、面倒事はいくらも背負い込んでおろう」


 さて、この独眼竜の一文字透かしの鍔を拵えとした御世継ぎ殺し村正は、のちに伊達家六十二万石を揺るがす伊達騒動にも関わるのだが、これはまた別の話である。


「おふたりが刃を交えたというのは聞いておりますが、一体なんの遺恨があったのですか?」


 思わず千鶴が訪ねた。

 今では気のおけぬ仲だが、このふたりの馴れ初めは用心棒と喧嘩の助っ人だ。


「遺恨なんざねえよ。ありゃあ本当にくだらねえ喧嘩だったぜ」

「まったくだ、もうニ年も前になる。伊賀上野でのことであったな」

「まあ、鍵屋の辻だったのですか」


 鍵屋の辻の決闘と言えば、日本三代仇討ちに数えられる。

 岡山藩主池田忠雄いけだ ただかつが寵愛する小姓渡辺源太夫わたなべ げんだゆうに藩士の河合又五郎かわい またごろうがちょっかいを掛けて袖にされ、これを斬り殺して逐電したことに端を欲する。

 要するに男色の拗れなのだが、河合又五郎が旗本の安藤正珍あんどう まさよしに匿われたことから、外様大名と外様の面子をかけた争いとなった。

 斬られた源太夫の弟、数馬が仇討の助太刀に頼んだのが、郡山藩の剣術指南役の荒木又右衛門あらき またえもんである。

 柳生新陰流の又右衛門は三十六人斬ったというが、この決闘の一方に夢見客人がおり、もう一方には津神天次郎がいた。

 事の起こりが起こりだけに、両名とも命を張って決着をつけるほどのものではないと放棄し、それからの付き合いとなった。


「おかげで柳生の剣を知れたのだから、どう転ぶかわからぬな」

「へっ、違えねえな」


 荒木又右衛門は柳生新陰流に入門して柳生宗矩、十兵衛親子から剣を学んだとされる一門の高弟である。このとき間近に技を見られたことが、刺客斎藤丈之介との立ち会いに利をもたらしたのは言うまでもない。

 独眼竜の鍔と、村正と正宗の大小を差す轟天流の剣客、夢見客人――。

 すれ違えば誰もが振り向かずにはおられぬ絶世の美貌と、その出生の秘事。

 江戸を行けば、さまざまなものを引き寄せる。

 長屋の帰り道にも、新たな騒動の種を拾うことになる。


「――もうし、其許そこもとは夢見客人殿ではありませぬか?」


 すれ違い、呼び止める者に足を止める。

 千鶴と入れ違いに中山道を上ってきたのだろうか、傘を抱えた旅装の男である。

 黒々とした総髪と、凛々しさを宿した双眸が目を引いた。


「そちらは?」

「これは失礼をば。それがし、由比ゆい民部之助かきべのすけ正雪しょうせつと申す」

「では、其許が連雀町れんじゃくちょうに道場を構えるくだんの兵法家にござるか」

「当方の名をご存知でおられるとは、汗顔の至り」

「拙者に御用かな?」

「いや、お見かけして、もしやとお声掛けしてしまいました。ご無礼つかまった」


 深く一礼し、由比正雪はそそくさと去っていく。

 その背を客人が視線で追いながら、夢見客人は波乱の予感を感じていた。


「おお、あれが噂の由比張孔堂か」

「斯様なところで出くわすとはのう」


 その名を知れば、神田連雀町に『軍学兵法ぐんがくひょうほう六芸十能りくげいじゅうのう医陰両道いいんりょうどう其外一切そのほかいっさい指南しなん張孔堂ちょうこうどう由比ゆい民部之助かきべのすけたちばなの正雪しょうせつ』の看板を掲げ、橘流軍学を教えると評判の軍学者である。

 すれ違っただけだが、客人も何やら因縁めいたものを感じずにはいられなかった。


「どうやら、夢さんに興味津々のようだぜ」

「さてな、拙者は今しばらく退屈を友としたいところだ。面倒は御免こうむる」

「でもさ、夢さんはなんだかんだ言って、ふっとどっかに行っちゃいそうだよね。千鶴ちゃん追って天竺にもさ」

「お縫坊、天竺は海の向こうだ。そう簡単にいけるところではないぞ」

「どうだかね。夢さんって女の人のためなら、富士の風穴でもどこでも行っちゃうくせに。もう、勝手にいなくなったりしたら嫌だからね」


 言って、客人の袖に縋りつくお縫である。

 これを微笑ましく思う客人であるが、なにやら美鈴の視線が刺さるようだ。


「さて、天下泰平世は事もなし。拙者もゆるりと暇を過ごすとしとう」


 逃れるように天を仰げば、江戸の空は青く、白い雲が棚引いている。

 この空もまた、海を越えて千鶴の旅路の先まで続いていよう。

 帰る先は、江戸神田明神下にある暇人長屋。

 『御用の無き者、まかり入るべからず』との立て札が出迎える。

 この江戸の暇人たちばかりが在所する長屋であるが、宝暦以降の江戸切絵図のどこを探しても載っていないという。



                             『夢見客人飛翔剣』

                                  〈了〉



 さて、ここからは余談となる。

 寛永年間に鋳造された寛永通宝は、国内流通を目的としたものであるが貿易商を通じて海外にも多数流出することとなった。中国、ベトナム、東南アジア、アムール川領域、カムチャッカ半島でも発見されている。

 遠くインドの地でも、三文の和銭が出たとか出ないとか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢見客人飛翔剣 解田明 @tokemin

現在ギフトを贈ることはできません

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ