妖刀御世継ぎ殺し

 噂というものは、往々にして思いもよらぬ早さで広まるもの。

 特に、四郎兵衛と晴満という組み合わせがよくなかった。

 噂に尾びれどころか、背びれ、胸びれもついてゆく。あのふたりが面白がって触れ回ったおかげで、夢見客人のもとに押しかけ女房が現われたという噂は、半日もしないうちに広まった。

 決めた女はいないが売り文句だった遊び人、夢見客人もこうなっては形無しである。

 普段なら、目にした途端駆け寄ってくる街の娘たちも、今日は冷たい視線を送るばかり。

 そんな具合だから、何処へ行っても肩身が狭い。

 だからといって長屋に居着いていると、今度は千鶴と顔を合わすことになる。

 これも具合が悪い。

 千鶴は、暇さえあれば客人に見惚れてばかりいる。かなりの重症だ。

 女に惚れられることはそれこそ星の数ほどだが、千鶴のような純な相手は苦手だ。

 ふたりきりでいるときにそんな顔をされると、既成事実を作られているようで何だか落ち着かない。なので適当に用事を作り、ぶらりと江戸を散策していたのだが。


 ――つけられている。


 そう感じたのは、長屋を出て幾許もしないうちだった。

 首筋に、ちりちりとした殺気を感じる。

 よほどの恨みを持った相手らしい。

 裏家業に手を染めると、どこで恨みを買うかわかったものではない。

 さらには諸々の事情で、客人は闇討ちや刺客に狙われることには慣れている。

 わざわざ人気のない湯島天神の境内に足を向けたのも、そうした不心得者を適当にあしらうためであった。


「そろそろ出てきたらどうだ? こそこそつきまとわれるのは、あまりいい気がせん」


 答える声はないが、殺気が高まったのがわかる。


 ――これは、少々厄介かもしれぬ。


 その殺気に並ならぬものを感じ、客人は、柄に手をかけた。


 ザッ――!!


 玉砂利を蹴散らし、電光の疾さで影が迫った。

 それは十分に修練を積んだ者にしかできない動き。

 繰り出される刺突を、客人は抜刀せずに柄で払った。


「不意打ちとは感心せんな。一体誰に頼まれて――うっ!?」


 客人が言葉を失ったのは、剣を向けている人物に覚えがあったからだ。

 小袖に袴姿の、凛々しい女人剣客である。

 彼女も暇人長屋の住人で、名を美鈴みすずという。

 縁日ともなれば女だてらに居合抜きの妙技を披露して生計を立てている。人呼んで、抜刀小町ばっとうこまち


「性根は腐り果てても、剣の腕は衰えていないようですね。夢見殿」


 と、美鈴はにっこりと微笑んだ。

 麗しいはずの笑顔が、何故だかとてもなく恐ろしく感じる。


「……さて、美鈴殿にいきなり命を狙われる覚えはござらんが」

「しらばっくれるおつもりですか? とことん見下げ果てました、今日という今日は許しませぬ。天に代わって成敗いたしますっ!」

「待ってくれ、せめて斬られる事情くらい教えてもらえぬだろうか?」

「黙りなさい! 年端もゆかぬ姫君を篭絡し、長屋に住まわせていると聞きました。前からだらしのない人だとは思っていましたが……まさか人の道まで踏み外すとは思いませなんだ。あなたは女の敵です!」

「……もうそんな風に噂されておるのか」


 もうどうにでもなれという、一種諦めの気持ちさえわいてくる。

 さて、問題は美鈴をどうなだめるかだ。下手な言い訳はできない。

 美鈴は田宮流抜刀術から戸田流小太刀を修め、この前も紀州の関口柔心せきぐち じゅうしんに柔術を学びにいったばかりという凄腕の女武芸者だ。本気を出されれば客人とて危ない。


「さあ観念なさい! 今度産まれてくるときは、せいぜい女遊びは慎みなさいませ!」


 もう無茶苦茶である。


「せめて、言い訳ぐらいさせてもらえないかな?」

「この後におよんで言い訳などっ! 問答無用です!」

「千鶴姫が拙者のところに押しかけたのは事実だが……その、姫をたぶらかしているというのは真っ赤なでたらめ。大体、誰がそのようなことを」

「それは、公家殿が面白そうに言っているのを耳にして――」

「……あの御仁の言葉を、鵜呑みにされたか。美鈴殿ともあろうお方が」

「あっ、う、それはその……」


 美鈴とて、暇人長屋で暮らす者のひとり。

 芦屋晴満がどのような人物なのかは十分知っている。

 だとしても、彼女には冷静になれない瞬間がある。

 それが夢見客人に関することだった場合など、特に――。


「だ、大体の事情は呑み込めました」


 照れたように咳払いをひとつして、さっと刀を納めた。

 まずは一安心と言ったところだろうか。


「いや、美鈴殿に焼き餅を焼いてもらえるのはまんざらでもないが」

「だ、誰があなたなどにっ!? 大体、夢見殿がいけないのですよっ、普段からふらふらしているから、無用な誤解を招くのです。これを機会に態度を改めてはいかがですか」

「やれやれ、とんだ薮蛇やぶへびだ……」


 とはいえ、こういう美鈴の純情なところは嫌いではない。

 なごやかな空気が訪れるところだが、ふと客人の表情が鋭さを増す。

 研ぎ澄まされた刃のような光が、その目に宿る。


「ところで美鈴殿。旅の途中、つれなくあしらった男なぞおらなんだか?」

「いえ、とんと覚えはありませぬが」

「ふむ、ならば拙者の客か――」


 客人は、ふたたび柄に手をかける。

 つけられていると感じた気配は、美鈴のような感情を露わにしたものとは違っていた。極力気配を押し殺し、じっとこちらの隙を覗う蛇ような殺気――。

 ひとつふたつ三つ……その数、七人。

 ゆらりと現れたのは、全員が紋なしの二重と深編笠という、恐ろしく没個性な集団だ。

 じりりっ、と客人は間合いを取った。


「これは、少々まずいことになったな」


 客人は思わず舌打ちした。

 想定していた刺客連中の中でも、最悪の部類に入る連中である。


「夢見殿、これは?」

「刺客でござるよ。美鈴殿はこの場から離れた方がいい」

「相手は七人です。およばずながらご助勢いたします」

「いや、美鈴殿はかかわってはならぬ」

「ですが……」

「早くっ!」


 いつになく、客人は真剣な表情だった。

 頬を伝うのは冷や汗だろうか?


「わかりました、すぐに人を呼んできます!」


 美鈴は刺客たちから十分に距離を取ると、背を向けて駆け出した。

 刺客たちはあくまでも客人が狙いであるのか、あえて追おうとはしない。

 心配そうに一度だけ振り返る美鈴に、客人は大丈夫だと頷いてみせる。

 やがて美鈴が見えなくなると、刺客のひとりが誰何してきた。


「素浪人、夢見客人に相違ないな?」

「いかにも」


 客人が答えると、刺客たちは次々に無言で抜刀し、構えた。


「柳生新陰流、公儀隠密か」

「…………ッ!?」


 客人は刺客たちの構え――柳生新陰流では位と呼ぶが――から、彼らの流儀と正体を見破った。

 将軍家指南役、柳生新陰流にはの顔があると言われている。

 江戸柳生の総帥、柳生但馬守宗矩やぎゅう たじまのかみ むねのりは剣術だけではなく政治にもその才能を発揮し、反幕府勢力や諸大名の監視、諜報活動を統べる大目付に就任した。

 柳生家はその功績により一万石を超える禄高を得て、晴れて大名となる。

 宗矩は天下の御留流おとめりゅうという威光を利用して高弟たちを指南役として各地に派遣し、諸大名の動向を探っているという。

 この刺客たちも、そうした裏の道に従事しているに違いない。

 並の剣士とは殺気の質が違う。ただ人を斬るという手段のために研ぎ澄まされ、純粋化された殺気だ。

 美鈴に場を去るように言ったのも、彼らのような者に関わらせたくないという、客人の配慮だった。


「さて、御公儀が拙者のような浪人者に何のご用向きか?」

「抜け―――」


 客人の問いには答えず、刺客はただそれだけを言った。

 問答無用、それが彼らの流儀。


「断わる、と言ったら?」

「ならば抜かせるまで!」


 即座にひとりが仕掛ける。

 迫るは柳生新陰流、飛燕の太刀。

 十分に鋭い斬撃だったが、客人の音無しの居合いによってあっけなく斬骸と化す。

 しかし、刺客たちの目は魔人のごとき剣技ではなく、その佩刀に釘付けとなった。

 血にぬめり、妖しい光を放つその刃紋の冴え。の目を交えたたれ調が表裏に揃った箱乱刃はこらんばは、まさしく――

「やはり村正! “御世継殺およつぎし”村正!」


 伊勢千子村正いせせんごむらまさ――。


 室町期の名匠で伊勢国桑名いせのくにくわなで千子派を旗揚げした。その作刀は名高く斬れ味は抜群。なれど徳川将軍家に祟るとして知られる妖刀である。

 村正の妖刀伝説は、まず家康の祖父松平清安まつだいら きよやすが臣下の阿部弥七郎あべ やしちろうに討たれるところから始まる。このとき用いられたのが、村正であった。

 また、家康の父松平広忠ひろただも近臣の岩松八弥いわまつ はちやの脇差によって股を斬られるが、この脇差も村正。

 さらには家康の嫡男信康のぶやすが織田信長に武田家との内通を疑われ、切腹に追い込まれたときの介錯刀も村正であった。

 家康自身も、村正の槍で指を斬ったこともある。

 次々と徳川家に起こる村正の不吉な凶事を祟りと恐れ、家康は家中の者に村正の廃棄を命じた。以来、村正を佩刀とすることは徳川家への叛意と見なされ、暗黙のうちに禁じられている。

 さて、刺客のひとりは客人の佩刀を御世継ぎ殺し――すなわち信康の介錯刀であると叫んだ。それは数ある村正の中で、もっとも忌み嫌われるものだ。

 何ゆえ、夢見客人はこのような忌み刀を持つのか? しばらく謎としておこう。


「村正の所持は謀反も同様。神妙に縛につけい!」

「おかしなことを。謀反の嫌疑ならば刺客なぞ送らず、正々堂々としょっ引けばよかろう。それとも、一介の浪人者を大っぴらに引っ張れぬ理由でもおありか?」

「ぬ……」

「図星のようだな。なるほど、但馬守たじまのかみ殿は謀反人の証、御世継殺しをご所望か」

「黙れ、浪人風情が何をほざく!」


 刺客は吐き捨てると、一斉に動いた。

 怒涛のような刃の連携を、客人は最小限の動きで躱してゆく。

 そして、一瞬の隙を見極めて刃を跳ね上げてひとり、返す刀でふたり目、続けざまに三人目を斬った。

 あっという間に囲みを破り、客人はそのまま雑木林に駆け込む。

 障害物が多ければ、他方向からの攻撃を制限できるという考えからだ。


「追えっ! 逃すな!」

 玉砂利を蹴散らし、刺客たちは客人を追う。

 ひとりが後ろから追い、残るふたりが左右に別れて行く手を塞ぐ。


「さすがに、簡単には逃がしてはくれんか」


 客人は苦々しく呟き、足を止めた。

 そして大木を影にするように、正眼に構えて待ちうける。

 その瞬間、左右から間合いを詰めた刺客が同時に迫る。大上段からの袈裟斬りと、胸への突き。幾度も鍛錬し、絶対に躱せぬ必殺の連係に仕上げた斬撃だった。

 だが、逆に仕掛けたふたりの方が絶命した。

 一方の諸手突きが届く前に籠手ごと斬り落し、その切っ先をま止めずに頸動脈を断つ、そしてもう一方の突きを体裁きで躱すとともに延髄を斬る。

 すべてが無駄なく、一連の動作の中で行われた。

 その理合を理解しても、その通りに身体を動かせるものではない。

 自然な動作というが、実は人間の身体は不自然に動いてしまうものなのだ。

 思考を経ていない本能の動作は、怪我をしないために硬直させたり、不必要な筋肉の収縮によって本来持ち得る力や速さを阻害してしまう。これを自然で無駄のない動作とするために、思考によって身体を制御し、理想的な身体動作を実現するのである。

 そのためには、並外れた修練、そして天賦の才を必要とする。

 夢見客人の業は、まさにその理想の極地にある。

 あっという間に六人を斬り伏せ、残る刺客はただひとり。

 だが、そのただひとりは只者ではなかった。


「あと一太刀あればどうなっていたかわからぬものを、何故だ?」


 客人はそのひとりに問うた。

 この刺客、あえて連携に加わらず仲間を見殺しにしたのだ。


「貴殿と、手合わせしてみたく――」


 刺客の答えは、恐ろしく豪胆なものであった。

 つまりは客人の絶技を目の当たりにし、立ち会いたくなったというのだ。

 深網笠を脱ぎ捨てると、猛禽類のような鋭い眼光が露わになる。

 それは、人を殺すことを生業にしてきた者しか持ちえぬ眼光だ。


「しかし、柳生新陰流は天下の御流儀。他流仕合は禁じられているのではないのか」

「表のことは知らぬ。それに“死合”となれば話は別よ」


 覆面で覆った口元が、確かに笑ったようだった。


「恐ろしいことを言う」

「柳生新陰流、斎藤丈之介さいとう じょうのすけ


 刺客――斎藤丈之介は名乗った。

 刺客が名乗るということ。それは必ずこの場で抹殺するという意思の現れである。


「素浪人、夢見客人。流儀は……」


 客人は静かに名乗り、下段に構える。

 そして静かな声でつぶやき、流名を明かした。


「――轟天流ごうてんりゅう」と。

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