惨禍忍法乱れ髪
さて、夢見客人と斎藤丈之介ら刺客との死闘が繰り広げられていた影で、それを監視する目があった。
殺気に対し鋭敏な客人や刺客たちも、彼らの目に気付くことはなかったのである。
音もなく、方々の影から忍び装束に身を包んだ忍者が集まる。
「……やはり、柳生が痺れを切らして動いたようじゃな」
「どうする? さっそくお伝えするか」
「いや、今しばらく様子を見よう」
彼らは、どうやら客人を狙った裏柳生を監視しているらしかった。
「ところで、七郎はどうした? 姿が見えんぞ」
「いや、ともに見張っていたはずだが」
うちひとりが、姿を見せぬ仲間を訝しんで周囲を見回した。
ふと、彼の顔にぽたぽたと雫が落ちる。
――雨か?
しかし、その金臭さによって、ただの水滴ではないことに気付いた。
それは、赤く生暖かい、血――。
「し……七郎っ!?」
七郎が、苦悶の表情を張り付かせたまま頭上に浮いている。
四肢は皮一枚で繋がっており、今にももげ落ちそうであった。
その死体から流れた血によって、その仕組みが明らかになる。
血は、木々の間に張り巡らされた、極めて細く、黒い糸を染め上げた。
七郎は、食い込んだこの糸によってずたずたに切り裂かれたのだ。
「い、一体何者がこのような――ぎ……ぎええええっ!!」
戸惑う忍びに、しゅるしゅると極細の糸が絡まり、すうーっと真上に吊り上げられる。
それと同時に、頭上から不気味な影が降りてきた。
「く、く、く、く……」
薄気味悪い嗤い声とともに現れた男は、あまりに異様な風体をしていた。
まず、手足が異常に長い。骨の浮くような痩身から黒装束に包まれて伸びている。
かなりの長身のはずだが、極端に背を丸め、地面に這いつくばっている。そのさまは、あまりに非人間的――まるで蜘蛛のようだ。
例の黒い糸の束は、この異形の忍者の手に巻かれ、紡がれているようだ。
「な、何奴じゃ!?」
「逆卍党が一忍、
蜘蛛のような怪人が名乗ると、糸をぴぃんと弾いた。
ブツリと肉を断つ音が聞こえ、骨まで輪切りにされた人体が鮮血とともに降り注ぐ。
一瞬にして描かれた地獄絵図に、忍者たちも絶句した。
「
「我らが御公儀の者だとしたらなんとする!」
忍びたちは次々と忍者刀を引き抜き、随軒を取り囲む。
「決まっておろう。公儀に繋がる者は、ことごとく殺し尽くすのよ。わしの忍法"乱れ髪"によってな」
蜘蛛のような怪忍者は、赤い舌をちらつかせ、嬉しそうに舐めずりをした。
「おのれ言わせておけば。逆卍党じゃと……? 盗賊風情が思い上がりおって!」
忍びたち――随軒の見立てどおり幕府の密偵である――は、動揺から立ち直ると、一斉に踊りかかる。
しかし、彼らの刃はこの怪忍糸巻随軒に届くことはなかった。
「……ぬ!? こ、これは……」
いつのまにか例の糸が絡みつき、彼らの自由を奪っていた。
「クカカカカッ! "乱れ髪"を風に流しておいたのに気付かなんだようじゃのう。風下に立ったうぬらの不覚を呪うがいいわ」
「おのれ……」
もがけばもがくほど、糸はますます絡みついてゆく。
短刀で断ち切ろうとするが、どうしても断つことができない。まるで蜘蛛の巣にかかった獲物のように、雁字搦めに糸が絡みつき、やがて身動きひとつできなくなる。
「わしの乱れ髪は、無残に死んだ女たちの恨みが込められた髪を束ねてできておる。簡単には断ち切れんぞ。八つ裂きになりたくなければ、天下の御公儀がいかなる目的で動いておるのか、しゃべってもらおうか」
「だ、黙れ! 死んでもしゃべるものか!」
「く、く、く、く、ならば死ぬがいい」
随軒は喜悦の笑みすら漏らした。
公儀隠密の忍びどもを殺せることが、うれしくてたまらないらしい。
そして、ぴぃんと張っている一本の糸を琴のように弾いた。
すると途端に糸が食い込み、絡め取られた獲物が一瞬にして残骸と化す。分断された手足が、まるで冗談のように転がった。
「さあて、こっちの犬はなついてくれるかのう?」
残虐な光を称えた目を、さらに細めて言う。
目の前で仲間が輪切りにされたのを見せつけられ、残るひとりは震えあがった。
糸巻随軒なる怪忍者は、命を奪うことに躊躇がないばかりか喜びすら見出している
「わ、わかった! 話す、何もかも話すっ!!」
仲間たちはすべて随軒の乱れ髪によって死に絶え、残るは自分ひとり。もはや恥も外聞もなかった。
「ではとくと話せ。わしの気が変わらんうちにな」
「な、何やら柳生の動きがあわただしくなったという報せがあった! その動向を、
「ほほう、土井大炊? ずいぶんと大物の名が出てきたのう。それと、あの浪人者にいかなる関係がある?」
「柳生も土井様も、村正を欲しておるのじゃ。そ、それ以上は何も知らん!」
「ふうむ、存外役に立たんのう。これでは生かしておく価値もないわ」
「そ、そんな――」
ブツ――と肉が弾ける音がして、また新たな人間の輪切りができある。
「そこの未熟者、見逃してやる。飼い主に伝えよ。手を出すなら、またこうなるとな」
随軒が言葉を投げた先、その枝葉がざっと音を立ててそよいだ。
何者かが潜んでいたのを、伝令としてあえて見逃したのだ。
続いて訪れる静寂、目を覆わんばかりの血の海――。
「く、く、く、く、く、く……」
怪忍者糸巻随軒は、みずからが描いた惨劇に満足し、気配を消した。
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