針剣嵐大剣嵐

「始まったみてえだな――」


 気配を察したのは、傾奇者の津神天次郎である。

 例の両刃の大剣剣を背中から紐解いて、構える。

 刃を交える剣声が、遠くから響いてくる。


「さあて、吉原の忘八衆ぼうはちしゅうも出向いてきたでおじゃるな」


 もうひとりは、自称公家の芦屋晴満。

 すっと呪符を扇のように広げた。

 忘八とは、仁義礼智忠信孝悌の八徳を持たぬものという廓の男たちへの蔑称である。

 先に解説したように、吉原は権力の庇護を受けられぬ。そのため、忘八衆の中には自衛手段として武術を体得した者もいる。

 ちょうどこの時期、二天一流開祖の宮本武蔵みやもと むさしも吉原に逗留し、楼主の何人かにその技を授けている。


「吉原で迎えつというのは名案だとは思いますが」


 困ったような顔で言うのは、抜刀小町の美鈴。

 本来なら遊郭とは縁遠いのだが、夢見客人が千鶴姫を守るためならばと足を踏み入れたのだ。


「おお、お三方ともこっちだ」


 三浦屋を後にした想庵が、千鶴と高尾太夫を連れて暇人長屋の面々と合流する。


「太夫に想庵先生、ご苦労でおじゃる」

「こちらのお姫さん、確かにお引渡ししんす」

「夢さんは後から来るか?」

「あい。夢見様は、遊里で敵なしのお方でありんすえ」

「はっはっはっ、確かに夢さんなら吉原で不覚はとらんだろう」


 月明かりの下、太く笑う天次郎である。

 しかし、和んだ雰囲気も束の間のこと――。

 所狭しと立ち並ぶ傾城の屋根を、音もなく影が走り、取り囲んだ。

 皆が皆、覆面に黒装束姿。逆卍党の忍びに違いなかった。


「こやつらが逆卍党の忍びか。揃いも揃って、遊里の風情には似合わん奴らよ」


 天次郎は、構えた両刃の大剣を例によって槍のごとく構える。

 一方の忍びたちも、背負った忍者刀を抜き、屋根から一斉に襲撃する隙を覗う。

 その数、ざっと十を超える――。

 月に雲がかかったその刹那、一斉に忍者たちが襲いかかった。

 しかし、優に重さ一貫を超える大剣を振るえば、忍者たちが片っ端から残骸へと変わる。

 技も何もなく、単純に重さを叩きつけるだけだが、それだけに防御法もない。

 天次郎は、一振りで三人ほどまとめて薙ぎ払い、夜の仲見世通りを壮絶な光景に変えた。


「なんじゃ、あの剣は……」

「こいつは当家に伝わる家宝でな。日の本にはこれを振り回せる者はいまいと伴天連バテレン坊主が信長公に献上したものだ。東照神君おつきの足軽だった俺のご先祖様が見事に振り回して拝領したものよ。南蛮では、矢衾やぶすまを斬り払うものというぜ」


 この両手剣、津神家伝来の一品である。

 旗本津神家の部屋住みの次男坊、天次郎がどうせ蔵で眠っているばかりであればと出奔の際に持ち出したものだ。

 戦国の頃、海の向こうの神聖ローマ帝国で編成された傭兵ランツクネヒトたちが、騎兵の突撃を止めるパイクの矢衾を斬り払う目的で使ったツヴァイハンダーという大型剣である。

 刀身の根本には刃がついておらず、持ち手とできるリカッソを持てば槍のように使うこともできる。

 この剣で斬り進む傭兵は、倍給傭兵ドッペルゼルドナーとして二倍の取り分があった。

 巨漢怪力の天次郎が振り回せば、まさに鬼に金棒だ。


「しからば、残りはこちらが。急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう――」


 晴満が呪符に呪言を込めると、たちまちに小鬼や鷹に変じて忍者たちを撹乱する。

 安倍晴明も使役したという式神符の術だ。

 三人を斬られ、式神に翻弄された忍者たちは、すっかり戦意を失ってたじろいた。

 すると、忍者も式神も、全身に穴を穿たれて倒れ、同時に空をつんざくような轟音が響いた。


「その程度で色を失うとは逆卍党忍び組の恥さらしよ」


 現われたのは、背は低いものの、鞠のように丸く肥えた忍者であった。

 式神ごと下忍と蔑んで葬ったのは、この怪忍者の忍法によるものであったのだ。


「さっきのはおぬしの仕業か? ずいぶんおかしな技を使うじゃねえか」

「逆卍党が一忍、針一貫はり いっかんの忍法“針剣嵐はりけんあらし”の妙技よ」


 針一貫、鞠のような忍者はそう名乗った。

 葬られた忍者の亡骸に目をやれば、全身に小さな穴を穿たれ、あるいは切り裂かれ、襤褸ぼろのようになっている。


「いかなる小細工を弄したか知らんが、俺に通じるとは思わんことだ」

「小細工かどうか、その身をもって味わうがいい――」


 言って、針一貫は刀印を結ぶと一気に息を吸い上げる。

 続いて、鞠のような腹がさらに膨れ上がった。


「――ぬっ!」


 身に迫る危機を察した天次郎が、さっと真横へと飛んだ。

 瞬間、ぼっ――と太鼓の膜を破るような音が響くと、針一貫が何かを吐き出した。

 天次郎が寸前までいた地面から、雨霰のごとく弾丸を打ち込まれたように弾け飛び、抉れる。

 飛び退いた天次郎を追い、脛のあたりを掠めて激痛と流血を与えた。


「こやつ、針を吹いたのか……!」

「小細工と侮った針剣嵐の威力はどうじゃ。ひと息に百針は吹けるぞ」


 針一貫はにやりを笑う。

 武術には、含み針といって口に含んだ針を吹く技がある。

 刀印を結んだのは、その動作の中で口に針を呑むことを悟らせぬためだ。

 含み針は本来なら、目を狙って数本程度を吹きつける牽制の技であるが、針一貫は驚異的な肺活量によって百針近くを一気に、それも超音速域で吹き出すことができるのだ。

 ご存知であろうが、音速域に達すると空気が圧縮され、いわゆる音の壁に突き当たる。

 しかし、音速を超えるとこの壁は破られ、強烈な衝撃波が発生するのだ。

 針剣嵐とは、この衝撃波によって貫通力を増した針が対象を破壊する、恐るべき忍法である。

 さいわいにして天次郎に命中したのは一針のみだが、それでも脛にめり込むほどの威力であった。


「天次殿、大事ありませんか!?」

「なあに、針一本程度ではどうということもねえ。ここは任してもらうぜ」


 天次郎は、美鈴に答えて大剣を構え直す。

 ぐっと腰だめに引き、切っ先を針一貫に定める。


「変わった構えだのう。我流か?」

「ふん、穀蔵院こくぞういん一刀流を知らんか」


 穀蔵院一刀流――。稀代の傾奇者、前田慶次郎利益まえだ けいじろう としますが開いたという武術といわれるが、いかなる武術であったかは資料が残っていない。

 天次郎は、幼き日に龍砕軒不便斎りゅうさいけん ふべんさいと名乗る老人から、この流名の技を槍捌きの技を伝授されたが、これを大剣に活かす工夫をした。


(さて、間合いを詰められるか……)


 天次郎は、その姿勢のまま間合いを測る。

 構えたものの、両手剣の間合いと針剣嵐の射程では、圧倒的に後者に有利がある。

 十間(約十八メートル)先から、一気に針を吹いて忍者と式神をまとめて始末するほどのものだ。

 今の間合いは、十歩以上は離れている。

 針を吹かれる前に、一気に詰められるかどうかだ。

 猛烈な勢いで針を吹く針剣嵐を繰り出すためには、大きく息を吸わねばならない。

 針一貫も、おのれの技の隙は承知しており、針が届きつつ、踏み込まれない距離をじりじりと保つ。

 天次郎が間合いを見誤って踏み込めば、たちまち針剣嵐の餌食となろう。


「カカカ、その巨体も得物も虚仮威しかな? 我が忍法に恐れを成して腰が引けておるぞ」

「おうとも、恐ろしい。吉原の大座敷で、おぬしの芸に叶う者はおらんであろう」

「おのれ、ほざいたなっ」


 先に挑発した針一貫の方が激昂した。

 並ならぬ修行のすえに会得した自慢の忍法を、座敷芸扱いされてはたまらぬ。

 目にもの見せてくれようと、針一貫は肺に空気を送ろうと、一気に息を吸い込む。

 待ってましたとばかりに、天次郎が踏み出した。

 もちろん、針一貫も針剣嵐を吹きつける。

 頭に血が上ったとはいえ、これほどの忍法を体得した忍者である。

 間合いを読み違えることはない。

 ボッ―――! 針が大気を破る音が響く。

 巨漢の大剣使いは、無数の針によって穿たれることを確信した。

 天次郎は腰だめの構えから、獣のごとき雄叫びを上げて横薙ぎに剣を振るう。


「おおおおおおおおおおおおおっ――!!」


 その切っ先は、針一貫には、あと半歩のところで届かなかった。

 しかし、である――。

 大剣は針剣嵐と同じく空を劈く轟音を響かせ、無数の針を巻き上げたのだ。


「な、なんとっ――!?」


 針一貫は驚愕した。

 天次郎のツヴァイハンダーもまた、音の壁を突破したのである。

 針が発生させた衝撃波を相殺し、その場にばらばらと落ちる。

 そして、忍法針剣嵐は放った後に息を吸って針を吹かねばならぬが、天次郎はそれよりも早く大剣の刃を返せる。

 両刃ゆえに、刃を翻さずともそのまま斬撃を繰り出せるのだ。

 膨れ上がった針一貫の腹が刃に引き裂かれ、破裂した風船のように爆ぜていった。


「――ざっとこんなもんよ。なかなかに手強い相手だったがな!」


 怪忍者を倒した天次郎は、切っ先を地に立てて荒い息を吐いた。


「ぬし様、お見事でありんす。さっ、男衆が迎えにきさんす。こちらへ」


 高尾太夫が千鶴の手を引き、暇人たちを連れて郭を案内する。

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