三つ巴四つ巴
「ほら、こっちこっち!」
お縫の案内で、仲見世通りから横道に入る。
殿は、津神天次郎と芦屋晴満が引き受けている。
剛力無双の大剣使いと式神を使役する陰陽師が相手となれば、安々と追っては来れないであろう。
「お縫殿は、忍びの術の心得があるのですか?」
千鶴は、すいすいと先を行くお縫を追いつつ訪ねた。
その身のこなしと忍び装束、苦無を始めとする忍び道具を見れば、察するに十分であった。
「そのお縫殿ってのはやめとくれ。くすぐったいから」
「じゃあ……。お縫ちゃん」
「それいいよ。あと、あんたも暇人長屋に来たんだから、もう大名家の姫様とか身分は関係ないからね」
「はい。わたくしもちょっと前までお鶴ちゃんって呼ばれることもあったのです」
「お鶴ちゃん……?」
「そこから先は、秘密です」
さっきまでの意趣返しとばかりに千鶴は言う。
身分を問わないのも暇人長屋の決まりというなら、秘密を聞かないのにも決まりである。
「だったら言うよ。あたしのじっちゃんは、今でこそ漆塗りの職人だけど、元は忍びの出なのさ」
「忍びの術はそのお祖父様から?」
「うん、あたしは筋がいいって、じっちゃんが術を仕込んでくれたんだ。じっちゃんは、名のある忍びだったからね。どうして抜けたかは教えてくれないけど」
そこから先は、お縫の祖父である幻兵衛爺さんの秘密なのだろう。
「お縫ちゃんも、よい姉さまができたではないですか」
年下の娘たちのやり取りを、微笑ましく感じた美鈴である。
「だからさ、あたしはそんなこと言われて喜ぶ子供じゃないんだよ、美鈴さん」
「子供じゃないと背伸びするのもよござんすが、子供らしゅうできるのは子供のちでござんすよ」
「太夫の姐さんまで……」
お縫は、少しばかりふくれっ面になる。
生意気ざかりのお縫とって、年上ふたりからこう言われると立つ瀬もない。
「うむうむ、花の吉原を綺麗どころを連れての道中とは華やかであるな。次作の草子の種としよう」
「想庵先生、あまり気を抜かぬようにな」
「やっ、わかっておるとも」
追手が迫る中での、ささやかなやり取りが幾分か張り詰めた気もほぐれた。
まして、針一貫や佐取明玄という恐るべき使い手と相対した後であるから、殺伐とする中での安らぎとなった。
だが、それも束の間のことでしかなかった。
「左だ――!」
どこから鋭く声がして、客人が咄嗟に身を転じる。
寸前、片手突きの刃がそれまで客人のあったところを貫き通す。
鞘を払った抜き打ちをくらわぬよう、左の半身から仕掛けたのは、深編笠に文無し羽織の刺客――。
これまで隙を覗い、廓の路地に身を潜めていたのだ。
なんというときに出くわしたのだと、戦慄するしかない。
「斎藤丈之介か……!」
まさしく、裏柳生の刺客、斎藤丈之介であった。
網代笠を投げ捨てると、殺意にぎらつく
煮えるような怒りも沸き上がり、溢れてくるようだった。
「誰だ、邪魔をしおって――!!」
声の上がった方に怒声が飛び、さっと何かが身を隠した。
溢れるばかりの丈之介の殺意は、客人の危機を告げて必殺の刃を台無しにした者にも向けられる。
異様な気迫を孕んだ様子に、客人の表情も険しくなる。
「お縫坊、姫たちの案内を任せる」
「でも、夢さ――」
「加勢はいらん、急いで離れるのだ!」
「う、うん……」
「美鈴殿、太夫も」
相手のただならぬ恐ろしさ。背筋に冷えた刃を当てられたかのようなものがある。
客人が声を荒げるほどのことであると察したお縫が頷くと、一行とともに駆け出した。
その場から離れていくのを背で感じ、客人は丈之介に相対する。
丈之介は、逃れる者たちには露ほども興味もない。
あるのは、ただ夢見客人の命のみ――。
中段の構えを取った丈之介が握るのは、堂々たる身幅の太刀。
その刃が尋常ならざる
「この三池典太なら、おぬしの村正にも引けは取らぬ」
黒い布で口元を覆う覆面姿の、その下から喜悦の声が漏れ出てくる。
「拙者の命を、それほど所望か……?」
「斬る! 斬っておぬしなぞに遅れは取らぬことを示してくれる」
「浪人者ひとり斬ったところで、なんの示しにもならんであろう。まして遊里で及んだ刃傷ならばなおさらだ」
「知ったことか。おぬしを斬って帰れば俺の身は浮かぶのだ!」
吉原遊里で刀を抜いての斬り合いなど、武士の体面を思えば身の恥として隠すものである。
しかし、斎藤丈之介は柳生の刺客である。
表向きの体面など、身に及ぶ生き方をしていない。
なれど、狙った相手を殺すという丈之介のただひとつのあり方を破った。
それが許せぬ――。
憤りと刺客としての矜持が、三池典太の切っ先に殺気として宿る。
「手合わせが所望なら、後にしてもらえると助かるのだがな」
「手合わせだと? 俺は、うぬを殺しに来たのだ」
「それほど惜しい命とも思わぬが、今は取り込み中ゆえくれてはやれぬ」
「そうか。やらぬというなら、あの
「む――」
暗く、激しい情念であった。
ここで受けねば、いずれまた客人の命を狙うだろう。それだけではなく、千鶴やお縫も殺すという。
もはや、使命も何もない。
ただ、夢見客人を殺すということを目的に研ぎ澄まされた刺客――。
「ならば、やむを得まい」
「ようやく立ち会う気になって何よりだ」
客人も、応じるべく剣を構える構える。
斬るしか止めることができない、そういう相手だと理解した。
「ほう、湖月には構えんのか?」
「轟天流の手の内、すべて見せたわけでない」
「面白い、その手の内ごと葬ってくれよう」
客人が取った構えは、対して下段。逆袈裟に斬り上げようというのである。
柳生新陰流は、後の先を取る。
仕掛けた相手に対して、千変万化に転じて倒す
つまりは、みずから仕掛ける技はその流儀に反する。
狙った者を仕留める刺客の剣はない、表向きにはそうなっている。
だが、裏の柳生は違う。
丈之介が使うのは、湯島天神で見せた凄まじい殺気に裏打ちされた仕手の技だ。
だが、丈之介がざっと動いたのと同時に、黒い影が複数襲撃を仕掛けてきた。
伊賀の忍びたちである。
「ええい、邪魔をするか!」
怒り狂った丈之介が、
一刀のもと、骨まで真っ二つとなっていく。
「――今のうちだ、夢見客人!」
「おぬし、拙者を見張っていた忍びだな」
前髪で片目を隠した、伊賀のくのいち瞳鬼である。
頑然では、暴風のように仲間たちが斬り払われているが、それは捨て置く他ない。
柳生がお世継ぎ殺し村正を手に入れるのを阻止するのが、伊賀者たちの使命だ。
逆卍党が吉原に襲撃をかけるのと同時に、彼らも動いていたのである。
「お前の刀が、他の者に渡っては困るのだ」
「なるほど、それで拙者の手助けか」
「手助けなどではではない! 勘違いするな」
瞳鬼は、強く否定した。自分でも思いもよらぬほどに
その心の動きは、彼女もまた自身ではどうにもならぬものであった。
「公儀の犬どもが戯れておるとは愉快じゃのう――」
不気味な声が響くと、忍びたちと丈之介に何かがまとわりついた。
忍法“乱れ髪”である。
「糸巻、随軒っ!」
瞳鬼は、その名を知っている。
七人の忍者をその忍法であっという間に切断した、逆卍党の恐るべき忍者だ。
「ええい、まだ邪魔立てするかぁ!!」
一方で、丈之介が獣のように猛った。
獲物を仕留める段になって邪魔をされ、なおまた新手が現われたとあれば、怒りが収まらない。しかし、随軒の乱れ髪は夜の影に紛れて伊賀者と丈之介たちをまとめて絡めとったのだ。
「さっきも十人ほど殺したが、今宵はまだまだ殺せそうじゃ。そこな女を生かしてやった甲斐があったというものよ」
「だ、黙れ!」
「ほおう、おぬし変わった面相をしておるな。その醜い目で、わしらを見張っておったのか?」
丈之介と伊賀組を絡め取った随軒には、左目が肥大しているという瞳鬼の異貌を嘲るほどの余裕があった。
非情の忍びの世界に生きていたとしても、その心を殺しきれるものではない。
捨てたはずの悔しさと惨めさがこみ上げてくる。
「……この左目は、お役目を果たすためのもの! 笑わば笑え!」
「未熟者がようほざく。なら、またおぬしの仲間から殺してやろう。ほれ――」
「ああっ!?」
びんと弦を弾くような音がして、一人がもがき苦しんで切断された。
およそ人間らしい失った随軒には、人の心を嬲るという喜びのみが残されている。
それを存分に楽しむつもりであった。
「あまりにむごいな……」
「お、おぬしは今のうちここから逃れろ!」
わずかに怒りを曇らす客人に、瞳鬼は振り向いて言った。
――見られてしまった。
おのれの醜さを客人に晒したことで、その胸が疼く。
だが、これも役目のためである。
「くっ、こうなれば――!!」
瞳鬼は煙玉を、随軒目がけて投げつける。
それはみだれ髪の細糸に阻まれたが、もうもうと煙を上げて煙の膜を貼った。
たちまち、強い刺激臭が立ち込めると、うめき声が上がる。
毒を含んだ煙だ。命にかかわることはないが、目や鼻、喉などの粘膜に触れると激しい炎症を起こす。
その煙が晴れると、客人と瞳鬼の姿はそこにはなかった。
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