瞳鬼の視線
見ていた――。
彼女のことを、両親は
伊賀忍者は、独特の修業によって体術を磨く。
成長する足を飛び続ける、半紙や傘を身において一理以上走り続けるなど、過酷なものが多かった。
そしてまた、伊賀の里は国人衆の惣国一揆によって合議の慣わしがあるが、これは上意下達の絶対的な序列をも意味した。
戦国の昔、伊賀者は主君を持たず、雇い主のために働いた。その信用を得るためには、同じ伊賀者でも金のために殺し合った。
金を払えば親をも殺す非情そこが信用に変わる、それが忍の世界であった。
忠義への奉公という道徳よりも、徹底した実利と実績を範とする。
ゆえに、共同体の掟への絶対の服従が求められた。
裏切りを許さぬ抜忍成敗も、伊賀者の掟のひとつである。
そして下忍の娘である瞳鬼には、“視る”という忍務が課されている。
仲間が殺されようとなぶりものにされようと、見続けて報告するのが瞳鬼の役目である。
名が示すとおり、彼女は瞳の鬼だ。
生まれたときに秘術を施されて左目が肥大しており、右目の倍ほどはある。
なまじ娘らしく愛らしい顔をしているからこそ、その異様さは際立った。
“化け物娘”、“目玉のお化け”と嘲られ、気味悪がって避けられる。子供というものは残酷である。その言葉がどれだけ彼女を傷つけたかは誰も知らぬだろう。親を恨みもした。
しかし、逆らうことも許されぬ下忍の家が生き残るには、秘術によって常人を越えた視る力を持つしかなかった。
この目のおかげで、一町(約一〇九メートル)離れた先から、針の穴も数えられる。
だから、何も見逃さない。
体術も忍術も未熟な瞳鬼であったが、この左目の力で忍務を果たすようになると誇りへと変わった。いや、変えたのだ。
そうでなければ草として使い捨てられるか、くのいちの術を仕込まれる。
これもまた、忍びの世界でよくある不幸といえた。
醜い娘と不気味がられようとも、役目を果たすこそがすべて。嫉み妬みと跳ね返してきた。
仲間たちが糸巻随軒なる怪忍者に殺されようと、その一部始終を見て上役である土井大炊頭様に伝える――。
それが瞳鬼の使命であった。
そして、瞳鬼の左目は見た。見てしまったのだ、あの美麗剣客の姿を。
瞳鬼の新たなる使命は、御世継ぎ殺し村正によって裏柳生の刺客を退けた夢見客人の監視。
以来、ずっと見ている。
――なんと美しい男であろう。
見るたびに、心が奪われてしまいそうになる。
黒い絹糸のような髪、憂えた瞳、神仏の像もかくやという輪郭。
すべてが瞳鬼の視線を捉えて離さない。
ぼうっと、体の奥にある芯が揺らぐよう。
これは役目を果たすため、不埒な思いであるはずがない。
どんなに言い聞かせても、どんどん心が惹かれていってしまう。
なのに、これからも見続けならねばならない。
悔しい、憎い。
おのれの芯を揺らめかす、あの美しさが。自身の醜さを思い知らす、あの横顔が。
瞳鬼が、とうの昔に捨て去った胸の痛みが甦る。
親しげに話す、本来ならば同じであるはずの女たち。
嫉妬と羨望で、心が焦げそうになるほどに苦しい。
客人も、こちらの視線を気配として気づいたふうであった。
だが、夢見客人が自分の姿を見たらば、あの美貌も顔を背けるはず。
そのときが来るのを、瞳鬼はひどく怯え、何故か待ち望むのだった――。
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