破邪の暁
臥龍堕つ
寛永十三年、皐月二十四日の早朝――。
江戸城近く外桜田の大屋敷の門前に、藍の着流しに朱鞘を履いた夢見客人の姿を求めることができた。
空はこれから白んでくる頃で、清水湊を出ての船旅を終えてから、間をおかずのことである。
尋常ならざる美貌が
「何奴じゃ、この屋敷におわす御方を、どなたと心得る!」
「存じ上げている。その御方にお目通りしたく参上した」
「怪しげな……。名を名乗れ!」
「素浪人、夢見客人――」
明らかに変名であろうその名乗り、名乗ったとおり通り夢から抜け出てきたような容姿、そして堂々とした立ち振る舞いに圧倒されつつも、門番ふたりは六尺棒を交差して押し留めようとする。
その六尺棒が、真ん中からふたつとなって落ちた。
音無しの居合いによって、客人が抜く手も見せずに切り落としたのである。
「お、おのれ……!」
「急ぎの用にて押し通る、御免」
御世継ぎ殺し村正の刃を返し、踊りかかってくる門番たちを難なく峰打ちで打ち払った。
「曲者じゃ! 方々、出会え、出会え!」
屋敷に詰めていた勤番侍、
大名屋敷に早朝乗り込まれ、これを制止できなかったとあっては武門の名折れである。
次々に抜刀して斬りかかるも、夢見客人の振るう剣によって難なく打ち倒された。
襖を開け放ち、奥へ奥へと進んでいくと、控えの者たちが次々にかかってくるが、一太刀も浴びることはない。
手槍でかかってくる者、ひるまずに刀を抜いて斬りかかる者、それら多勢無勢をものともせず、まさに無人の沃野を進むがごとしであった。
屋敷の騒乱の中を進むと、太刀持ちの小姓たちが構えていた。まだ前髪を落とさぬ年若い者たちが、襖の奥にある貴人を守ろうと、立ち向かおうとする。
「奥の殿にお目通り願いたい。病で臥せっていると聞いているゆえ、用を済ませたらすみやかに退散いたす」
「な、なにを……! 殿には指一本触れさせぬ!」
震えながらも、非常時には主君の盾となる若者たちである。
客人は、彼らにいささかの健気さを感じていた。
「三文銭の夢見客人が、逆さ卍についてうかがいたく参上した。騒動は誓って口外せぬゆえ、お目通り願いたい。伝えてもらえぬか?」
「な、何を抜かすか……!」
小姓たちが、覚悟を決めて柄に手をかけたときであった。
「よい、入れ――」
奥から、しゃがれた声が聞こえた。
声の主は、病床にあるとのことで、いかにも苦しげであった。
「で、ですが、殿……」
「構わぬ、わしが許す。話が終わるまで、誰も通してはならぬぞ……」
小姓たちがその命を聞き、襖を開ける。
「しからば、御免」と短く言った客人が入ると、襖は閉ざされた。
殿の命とはいえ、近習の者たちも襖の前に集まって、何事が起こってもすぐに乗り込めるよう、固唾を飲んで見守っている。
正座して、客人は刀を脇に置く。
その人物は、布団から身を起こし、客人を待ち構えていた。
齢は、数えで七十に届いている。
背はさして大きくはない。が、若いときはさぞ精悍であったことを思わせる猪首の老人であった。
しかし、今はすこぶる顔色悪く、病の重篤さを物語っていた。
その右目には、鍔で拵えた眼帯を当てている。
「ご無礼
客人が相対するこの老君こそ、奥州の独眼竜として知られた仙台藩六十二万石の藩主
参勤交代のために仙台を卯月に立ったものの、その頃から体調思わしくなく、病を押して将軍家光にお目通りしたのちは、外桜田の上屋敷で臥せっている。伊達の親父殿と慕う将軍家光みずからその病状を心配し、外桜田のこの上屋敷に出向いて見舞ったのが三日ほど前、政宗は潔斎して身を整えて迎えたという。
「この屋敷に単身乗り込むとは、見上げたものじゃ。逆さ卍について、何を知っておる……?」
「隠れ切支丹と当家の関わりについて、いささか」
「……なるほど、そこまで探ったか」
「巷を騒がした凶賊逆卍党、押し入った後には逆さ卍を残していく。何ゆえそのような真似をするのか、拙者も突き止め申した。その背後にいたのは、十字架公方なる切支丹の元締め……紋は、“逆卍に違い矢斜め十字――この紋所を使う者が、ご家中におられたはず」
「
支倉六右衛門
対外的に奥州王を名乗った伊達政宗の書簡を届ける慶長遣欧使節として海を越え、ヨーロッパの地に赴き、時のローマ教皇パウロ五世とも謁見した人物だ。
仙台藩で建造されたガレオン船サン・ファン・バウティスタ号で太平洋を渡り、ヌエヴァ・エスパーニャ副王領を経由してイスパニア王国のフェリペ二世に謁見すると洗礼を受け、キリスト教徒となった。
洗礼名をドン・フィリッポ・フランシスコという。
そののち、ヴァチカンに赴き、教皇に拝謁するとローマ市民公民権証書を授かる。このとき、支倉常長の一行のパレードは盛大に行われ、市民たちも歓迎したという。
しかし、これとは裏腹に、交渉は望み通りにはいかなかった。
通商貿易を望む使節側の意向と、キリスト教の布教を求めるヨーロッパ側との齟齬のためと言われている。
常長が帰国した頃には幕府の禁教体制が完成しており、帰国した翌年の元和七年、失意のうちにこの世を去った。
「その支倉殿が、死を偽ってこの寛永の世まで生きておられた」
現代の宮城県内には、支倉常長のものとされる墓が三ヶ所ある。そのうちのひとつ大郷町には、常長が隠棲して八十四歳まで生きたという言い伝えがある。
禁教令の手前、キリスト教徒となった常長を死んだと偽り、身を隠させたという生存説である。死を偽った常長が、十字架公方なる怪人物となって暗躍していたというのも、あながち突飛な奇想ともいえまい。
「おぬしは六右衛門に会うたのか?」
「いえ、拙者が富士の風穴に駆けつけたときには、すでに斬られておりました」
「……左様か。ぐ、ごふっ」
政宗は、苦しげに咳き込んでいた。
すでに食事は何日も喉を通らず、死相がありありと出ている。
しかし、客人にはまだ確かめねばならぬことがあるのだ。
「支倉殿は、あなたが天下を欲して南蛮の切支丹本山にやった遣いに相違ござらぬな」
「…………」
答えはしないが、政宗の残された左目がぎらりとしたものを帯びた。
伊達政宗が天下を望む野心は、豊臣秀吉の惣無事令が出された後も戦を止めず、臣従した後も一揆の煽動を行い、関ケ原の戦でも家康から百万石のお墨つきを受けながらも、岩崎一揆を焚きつけるなどあからさまなものであった。
支倉常長と欧州との交渉が不調に終わったのも、当時世界最強と謳われたイスパニア
「賊に逆さ卍の印を残させたのも、支倉殿があなたに決起を促すためにござろう」
地下に潜伏した支倉常長は、十字架公方となって隠れ切支丹をまとめ上げ海外のキリスト教勢力とも独自に交渉し、その軍資金も集めて準備ができた、今こそ動くべしとおのが家紋を残して強く訴えたのだ。
もし動かねば、幕府が感づき伊達家も危うくなるという脅迫も含んだものである。
「……あやつは、まだわしに天下を取らせるつもりでおった」
「奥州の独眼竜も老いには勝てず、天下取りを諦められたにもかかわらず……であられるか」
支倉常長らを遣わしたのは、慶長十八年の十月。帰国したのは、元和六年の九月。その間の七年のうちに豊臣は滅亡し、徳川の幕藩体制は確固たるものとなる。
すでに家康の六男
また、三代将軍家光が参勤交代を定めて発布した場において、「命に背く者あらば、この政宗めに討伐を仰せ付けくだされ」と居並ぶ諸侯の前で言い放ったという。
外様大名であった伊達家は、こうして別格の扱いを受けて松平姓も与えられた。
海の向こうに遣わせた支倉常長も、盤石の体制側となった今は、無用なる野望の燃え
「その六右衛門が斬られたと言ったな……。何のために、わざわざ伝えに来た?」
「政宗卿。あなたは徳川の世を覆し、江戸城下に火を放つ企てをなされたはず。これについてお聞かせ願いたい」
「六右衛門が、そういうたのか……」
「いえ、支倉殿を斬った者が、江戸を煉獄の業火で焼き払うと、そのように申したのでござる」
つまりは、伊達政宗が徳川の世を覆さんと、江戸城下に火を放つ計画を企てていたと客人は読んだ。
政宗が天下を取ることを投げ出した後も、十字架公方こと支倉常長は、いつか来る決起のために着々と進行させ、その手先であった榊世槃が引き継いだのであろう。
それを止めるため、張本人の口から聞き出すつもりでやってきたのだ。
「なるほどな。それを知って、いかがする……? お、おぬしの口を塞ぐくらいの、余力……まだ残しておる。……戦国の世で振るった剣、受けてみるか」
政宗は刀掛けを探って、引き寄せる。
機を見て江戸を焼く企てなどが露見すれば、伊達家謀反の証拠となる。
徳川政権での生き残りを選んだ政宗としては、夢見客人を亡き者として禍根を断とうとするのも、当然といえば当然であった。
「決して口外せぬと申しました。くわえて、我が差料は徳川に祟るもの」
客人は、横に置いた御世継ぎ殺し村正を引き寄せて作法に従って鞘から抜いた。
その刀身を見た政宗も、かっと隻眼を見開いた。
伊達者と言われた政宗であるから、一目で刀の目利きもできる。
「お、御世継ぎ殺し……。畳の上で死ぬる身で最期に斯様なものを見るとはな」
「今も江戸を焼くというなら、伊達にも祟りましょう。戦場で果てることかなわず、畳の上で往生を遂げる御身であれば、その野心の不始末を片付けて然るべき」
「さすれば、公儀に訴えはせん、と。フッ……」
「我が剣は、天下泰平のもと、暇を享受するために振るうと決めております」
「暇のためとは、よう言うた……」
妖刀村正を持つ夢見客人が幕府に訴えでたところで、その出自ゆえに捕らえられることとなる。
権力に頼れぬ、正真正銘の無頼の徒なのだ。
しかし、今も野心によって江戸に災禍をもたらすならば、伊達家もただではすますつもりもない。
それを、この浪人はおのれの暇のためだと言ってのける。
弱く笑って、政宗は言葉を続ける。
「……
江戸は、四神相応の地という風水の理想にかなう地である。
東に青龍が宿る平川、西に白虎が宿る東海道、北に玄武が宿る富士山、南は朱雀が宿る江戸湾と、方位の聖獣に護られる地となっている。天台僧にして将軍の側近として三代に仕えた
これに北東の鬼門封じとして東叡山寛永寺を置き、裏鬼門となる南西には大本山増上寺を、さらに府内には五つの不動尊である五色不動を置いて天下泰平を祈願した。
「しかし、とは?」
「江戸に凶事が現れるのは、
「天門……」
客人が問うと、政宗は右目の眼帯を外し、刀から目釘を抜いて鍔の部分とともに投げてよこした。
「持っていくがいい、天門の秘事は、この眼帯と鍔にある……」
「承知した、お受取りいたす」
政宗の愛刀は、京に遣わして学ばせた
客人が受け取ると、政宗は病床から出て身を糺し、合掌する。
「行け、我が最期の時じゃ……」
曇りなき 心の月を さきたてて
浮世の闇を 照らしてぞ行く
伊達政宗、辞世の句として伝わる。
この日の卯の刻(午前六時)、奥州の独眼竜は本人たっての望みにより、誰にも最期を看取らせることなく、浄土の西に合掌したたま身罷ったという。享年七十。
この日、伊達家上屋敷に現れたという美貌の浪人とその騒動については、一切の記録が残されていない。
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