秘薬秘術

 夢見客人たちが暇人長屋に戻り、明け六つ(午前六時)近く。

 千鶴姫をさらい、文字通り姿を消した逆卍党の首魁、榊世槃なる妖人の気配はいずこにもなかった。

 この頃になると、吉原大門も開く。

 客と遊女が別れる後朝きぬぎぬの別れを迎えるわけだが、それから間を置いて天次郎と晴満が戻ってくる。


「おい夢さん、なんでまた刃洲先生んとこに集まってるんだ? その、お姫さんは? ……美鈴姐さんは一体どうしちまったんだ?」

「すまぬ、天さん。すべては拙者の不覚だ」


 苦々しくいう客人であった。

 気配を消し、姿を消す呪物じゅぶつを使われたとしても、おのれの未熟をを痛感する他はない。

 裏柳生の刺客、伊賀組の乱入によって混迷のさなかにあったが、むしろこちらの利に傾いたというのに。


「まさか、夢さんほどの剣客が遅れを取ったってのか」

「いや、吾輩も見たがあれは人智を超えた法術である。夢見殿を責めるのは酷であるぞ」

「法術だぁ? 逆卍党ってのは、忍術使いだけじゃねえのか」

「左様、血吸いの鬼を使役し、姿隠しの呪物まじものも使う。なんとも恐るべき輩である」

「ふうむ。術のことわりがわかれば、麿の術破りにかけてくれたものを」


 晴満には、陰陽道の心得がある。

 その術の中には、相手の呪詛すそを返す呪詛返しなど、その理を知ることで返したり破ったりする術もある。


「それと、そっちの娘はなんでえ?」

「伊賀の瞳鬼じゃ」


 ぶっきらぼうに名乗る。

 ここに至って名を隠して、どうにかなるものではない。

 瞳鬼としても、この大男が直参旗本津神家の部屋住みであることまでは調べをつけている。

 暇人長屋という無頼の吹き溜まりのような所に身を置いてはいるが、身分だけは確かな男なのだ。


「伊賀者ってことは、おぬし隠密か」

「御公儀の隠密がおっては困るというのか?」

「探られてよい気はせんが、夢さんが連れてきたっていうなら俺からどうこう口出しはせん」


 天次郎の答えに、拍子抜けする瞳鬼である。

 幕府の隠密から目をつけられても、大して気にした風がないとは、肝が太いのか足りないのか。

 夢見客人が連れてきたという、ただそれだけの理由でひとまず警戒を解くという。


「ぐっ……! う、うう、ああああああっ!!」


 突如、寝かせていた美鈴が悶え苦しみ出した。

 具合を見ていた刃洲も、未知の症状ゆえにどうしたものかと対処に苦慮している。


「日が昇ってきたのだ。向こうの言い伝えでは、血吸いの鬼も物の怪ゆえ陽の光を嫌うという。戸を締めるのだ」


 想庵の指示で、お縫と瞳鬼が戸を閉めて日光を遮る。

 窓には布を被せて、さらに暗くする。


「美鈴姐さん、物の怪になっちまうのかよ……」


 お縫が、心細さに今にも泣きそうになっている。

 猿ぐつわを噛ませたままの美鈴は、肌は生気を失い始めて青白く変容し、糸切り歯や爪も獣のように尖り出している。


「想庵先生、美鈴殿は必ず救い出せるのだな」

「うむ、そうなのだが……」

「渋っている場合ではなかろう?」

「渋ってなどおらん! ……貴重な品であろうとも、美鈴殿のためなら惜しくはない。惜しくはないが、多少は覚悟がいるのだ」


 などというやり取りを客人と交わした想庵であったが、すぐに細長い木箱を開けた。桐の箱であり、余程の物が入っていることを窺わせる。


「これは、角か……?」


 客人が覗き込むと、中に入っていたのは捻じくれた一本の角のようなものが入っている。

 漢方の生薬には、鹿茸ろくじょう犀角さいかくといって鹿や犀など、動物の角を使うのは珍しくはない。

 しかし、それらの角とはまた違ったものだ。


「西洋には、生娘にしか背を許さん一本角の獣の言い伝えがある。その角には、万能の毒消しの効能があるという」


 無縁亭想庵が語るのは、ヨーロッパに伝わる幻獣ユニコーンのことである。

 ユニコーンの角とされたものはイッカククジラの角であったともいうが、古くから優れた解毒の効能を信じられ、非常に高価な値で取引されたのは事実である。


「私も、医者をやってそれなりだが、そのようなものは見たことがないな」

「吾輩が手に入れた者の中でも、珍品中の珍品でな。身を切る思いであるが、美鈴殿のためなら致し方なし」

「では、その角を煎じて飲ませればよいか?」

「処方は、刃洲先生にお任せいたそう」

「わかった、ともかくやってみよう」


 さっそく、刃洲が煎じ薬と分と鮫皮で粉末にする分を切り取るのだが、いちいち想庵の顔が青くなる。

 美鈴は、変容する苦痛と血の乾きに苛まれているが、客人がその手を取り、握り締めるとその症状も幾分か柔らいだようだ。


「できたぞ。夢さん、美鈴殿を押されていてくれ」

「ああ、承知した」


 猿ぐつわを外し、客人と刃洲で美鈴を押さえつけて水差しでその口に含ませようとする。

 しかし、錯乱の中にある美鈴はこれを拒む。


「……と、おとなしくしてくれぬか、美鈴殿!」

「やむなしか。しからば、御免――」


 客人は水差しの煎じ薬を口に含むと、暴れる美鈴の口移しで呑ませた。

 まず、お縫と瞳鬼が揃って「あっ」と声を上げる。

 あんなに暴れていた美鈴も、とろんとした表情で客人にしがみつく。

 やがて、すっかりおとなしくなった。

 おとなしくなったと言うよりは、骨抜きになったといったほうがいい。

 色を失い始めた肌も、特に頬のあたりは紅く血が通い始めているように見える。

 自我を失いつつある意識の中で、美鈴は客人に切なげな視線ですがっていた。


「さすがは刃洲先生の煎じ薬、効果は覿面てきめんだな」

「……いや、薬のせいではなかろう。悔しいが、医者もかなわんな」


 思わず、頭に手をおいて苦笑する刃洲である。

 容態についてはなんとも言えぬが、まずは落ち着いたように見える。


「……美鈴姐さん、これで助かるの?」

「三日三晩で毒が回って血吸い鬼となるともいう。まだ油断はできぬな」

「もう、早く助けてあげてよ!」

「毒と言っても、呪いのようなもの。毒が回りきらぬうちに血を吸うた鬼を退治いたせば元に戻るともいうが」

「だったら、すぐに探し出してあの邪々丸って鬼を退治しなくっちゃあ」

「しかし、どこに姫を連れ去ったものか」


 お縫も、想庵の見立てを聞いて、気持ちが逸る。

 だが、邪々丸も榊世槃も不可思議な魔術によって姿を消し、その手がかりを掴めぬまま今に至っている。


「ふうむ、失せ物探しとなれば得意であるぞよ」

「できるの、公家さん!」

「人目を避けて身を隠しておるというなら、式占しきせんによって方位を占えばよし。式神に探らせてもよし。その世槃とやらと術くらべになろうか」


 陰陽道は、十干十二支の天と地の理を読み解き、方違えや鬼門など方角や地相の吉凶を占う術がある。これを式占と言い、方位を示す式盤を使って天文暦道を当てはめて簡単な計算を行うのだ。

 しかし、榊世槃なる怪人が魔道に通じているとしたら、術にも対策していよう。

 そうなれば、どちらの術が勝つかの対決になる。

 道摩法師と安倍晴明の術くらべの故事にあるように、どちらが相手を出し抜けるかの勝負だ。


「すまんが頼めるか、公家殿」

「お任せあれ、千鶴姫も見つけ出して進ぜよう」


 晴満は、さっそく失せ物探しの術の儀式に取り掛かるようだ。

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