毒針舞

 巫女であっても、彼女たちは忍びの技を体得している。

 懐剣を構え、さっと散って取り囲もうとする。

 対する瞳鬼も旅装の娘姿のまま苦無を抜いた。

 しかし、肝心の夢見客人はというと眉をひそめたままでいた。


「夢見客人、何のつもりだ!? 剣を抜け」

「女人に向ける剣を知らんのだ」

「そんなことを言っておる場合か!」


 これには瞳鬼も呆れるしかなかった。

 無類の剣の腕を持ちながら、女は斬れぬという。

 逆卍党の忍者や柳生の刺客には存分に振るったというのに。


「ほほほ、お優しいことで。こちらも殺しはいたしませぬ。それで釣り合いが取れましょう」


 歩き巫女衆の目的は、夢見客人に流れる真田の血筋とお世継ぎ殺し村正に秘められた隠し財宝である。

 もっとも、その子種を得れば従わない客人を生かしておく理由もない。

 第一に客人の命を狙っては来ないが、相当に危険な相手ということには変わりがない。


「しかし、まったく手向かいせずというつもりもない」


 そういって懐から扇子を一本取り出し、片手で構えた。

 護身用の鉄扇でもなく、竹のものだ。およそ武器になるようなものではない。


「そんなものでどこまで持ちましょうや。皆の衆、かかりなさい――」


 まずは三人の巫女が挑みかかった。

 野の獣のような疾さである。

 左右、その間と、三方から襲撃する。


「ちっ!」


 舌打ちし、瞳鬼がその前に出た。

 だが、彼女の技量では間の一人を足止めするのがせいぜいだ。

 苦無で懐剣を止めると、左右の二人が扇子一本の客人に斬りかかる。

 夢見客人の技量は、やはり並みではなかった。

 小気味よい音が二つ響く。

 客人の構えは剣の延長にある。双方同時に繰り出された斬撃を舞うように躱し、。二人の巫女は小手を打たれて短剣を落としている。

 そのまま、二人の巫女の手を取って引き寄せた。


「そなたたちのような愛らしい娘を斬りとうはない。剣を置いておくれ」


 二人とも、耳元でそう囁かれた途端、腰から砕けてへたり込んでしまった。

 とろけたような顔をして、間近に迫った客人の横顔に見惚れることしかできない。

 まるでしゅをかけられたようである。


「何をしておるのです!?」


 巫女衆に忍びの技を仕込んだのは、綾女である。

 体術ばかりではなく、使命のためには死をも恐れぬ心法も叩き込んだはずだ。

 しかし、美しさに抗う術までは教えようもなかった。

 美を愛し、惑うのは人間の本能ともいえよう。


「瞳鬼、下がるがいい。元より、拙者の客だ」

「馬鹿にするな!」


 強がって見せる瞳鬼であるが、忍びとしてはその視力を買われている身である。

 選りすぐられた歩き巫女には遅れを取ってしまう。


「その小娘、まだ未熟です。そちらから狙いなさい」

「はい――」


 綾女の指示で、残る巫女たちが距離を置いて飛び道具を使う。

 一斉に手裏剣を放った。

 瞳鬼は、木々を盾にしてこれを凌いだ。

 異形の左眼のおかげで、動体視力は優れている。見切ることくらいならできるのだ。

 放たれた手裏剣は、菱形の刃に四角の穴が空いたものだ。

 戸隠流の忍者が使うとされた手裏剣で、“せんばん”という。

 どのような姿勢でも、どこからでも投げられるという利がある武器だ。

 隠れた瞳鬼を狙ってさらに飛んでくるそれを、瞳鬼の側に駆けつけた客人が扇子で払い落とす。


「余計な真似を。おのれの身くらいは守る」

「相手は手練のうえに数も多い。意地を張ることでもなかろう」

「ならば、お前もいい加減に剣を抜け!」

「おっと、藪蛇であったか」


 戦いの最中であるが、客人は苦笑する。

 確かに、斬りたくはないが侮っていい相手でもない。


「わたくしたちではなく、そのような醜い小娘を庇い立てるのですか?」

「……!」


 醜いと言われ、瞳鬼は思わず手で左眼を隠した。

 それこそ、綾女が誘った隙であった。

 同時にせんばんを放つ。瞳鬼は、咄嗟に苦無でこれを斬り払った。


「私とて、この程度――」

「やはり、未熟者でしたね」

「なんだと?」

「いかんな……」


 客人は、綾女の術を見抜いていた。

 だが、すでに時遅し。

 視線の先にあるせんばんには、大きな蜂が絹糸で括りつけられていたのだ。


「しまった……!?」


 その蜂は、オオスズメバチ。

 世界でも最大級の蜂であり、蛇や熊よりもはるかに多くの人間を殺している。

 その女王を、瞳鬼は苦無で潰してしまったのだ。

 蜂は、蟻と同じく女王を中心とした社会昆虫である。

 その複雑な構成の毒の成分にはフェエロモンも含まれており、女王が死ぬとこれに誘発されて兵隊が集まり、凶暴化する。

 歩き巫女たちの故郷である信濃には、蜂の子や蛹を食料とする習慣があり、これを捕るために目印をつけた餌を運ばせて巣を探す蜂追いをする。蜂の習性は経験則として伝わっており、これを忍びの技としたのだ。


「すぐに蜂の群れがやってきましょう。逃げることなどできますまい」


 言うと、綾女はせんばんを爪で弾いてカチカチと鳴らした。

 オオスズメバチは、その強力な顎を噛み合わせて威嚇音を立てる。

 やがて、いくつもの翅音と火口ほくちのような音が聞こえてきた。

 黄色と黒が鮮やかに映えるオオスズメバチがやってきたのだ。

 親指ほどもある大きさの蜂が、群れをなして飛来してくる。

 客人は扇子に加えて脇差を抜き、瞳鬼を敵と見なしたオオスズメバチの襲来に備えた。

 とはいえ、扇子と脇差で追い払うには限界がある。

 逃げようにも、その飛翔の速度は時速にして四〇キロ近くになる。到底人のかなう相手ではない。

 加えて、刺激すればするほど興奮し、攻撃性は増す。

 綾女を始めとする歩き巫女たちも、蜂の巻き添えをくらわぬように身をかがめて瞳鬼を狙ってくる。

 無数の蜂が群れとなって辺りを囲み、八方塞がりに追い詰められる。

 焦る瞳鬼に向い、蜂がその毒針を向けた。

 オオスズメバチの毒針は、皮膚を破るだけではなくその毒液を飛ばすこともできる。

 目にその飛沫が入れば、潰瘍となって最悪失明に至る。

 ばっと扇子を広げ、客人が寸でのところで瞳鬼の顔にかかるのを守った。


「す、すまぬ……」

「あの焙烙玉を使え。煙で燻せば少しは追い払えるはず。やれるか?」

「わかった!」


 瞳鬼は吉原で使った煙幕を放った。たちまちに煙が立ち込める。

 蜂は、火と煙を嫌う。

 巣の駆除、蜜や幼虫を採るときには燻して追い払う方法が知られている。

 そのうえ、煙幕に紛れて綾女たちからも逃げ出すことができるはず。


「お待ちなさい、逃しはしませぬ!」


 激臭を放つ煙に巻かれぬようにと、装束の袖で口と目を覆いながら客人と瞳鬼を追う。

 煙幕の向こうから牽制とばかりに飛んでくる扇子を、懐剣で払い落とす。

 しかし、その足元――。


「あっ――!?」


 ぐしゃりと殻を踏み潰してしまう感触が草鞋から伝わって、綾女は戦慄した。

 せんばんに括りつけた女王蜂の死骸がいつの間にか足元にあったのだ。

 客人が放った扇子は、その仕掛けから気をそらすためのものであった。

 煙が晴れれば、蜂たちに襲われるのは綾女の番となる。

 蜂は、煙に巻かれて気絶はしても死に絶えはしない。

 短時間のうちに目を覚まし、女王の死の匂いをまとった綾女に狂乱して殺到するだろう。


「口惜しや、夢見客人……」


 妖艶な美貌を般若のごとく歪めながら、その場を引き上げるしかなかった。

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