第8話 二人と一人
サターンは自分が誰なのか知らない。両親は誰で、どこで生まれたのか、彼には分からなかった。物心付いた時には魔王城の城下町ゴスラーでルトロスとフェルシと暮らしていて。まるで兄弟のように三人いつも一緒だったけれど、彼らがどうして自分と一緒に暮らすことになったのか、なぜ自分を守ってくれるのか分からなかった。
町の人たちに聞けば、ルトロスとフェルシはよそ者で、赤ん坊だったサターンを抱えてゴスラーの町に迷い込んで来たのだという。二人とも信じられないくらいボロボロの姿で、地下の洞窟の中に隠されて町人以外は入れないはずのゴスラーの町にやって来た。最初は皆怪しんだが、その傷ついた体と必死に赤ん坊を守ろうとする様子を見て、町の人々は二人と赤ん坊を受け入れることに決めたという。そうしてゴスラーの町に住み始めた二人は、サターンを深い愛情を持って育ててくれた。だから、二人が本当に自分を大切に思ってくれているのは知っている。サターンにとって二人が絶対の信頼を置く家族であることは変わらない。けれど。
「ねえ、なんか、ゴスラーの町を出てからルトロスもフェルシもおかしいよ。なんか、いつも怖い顔してる。ゴスラーに住んでたときは二人とも僕だけじゃなくて、みんなに優しかったじゃない。どうしてユーには優しくしてあげなかったの?」
そう尋ねれば、ルトロスは難しい顔をする。
「うーん……」
「ユーは確かに悪いことをしたかもしれないけれど、もっとちゃんと話をしてあげたら何か変わってたかもしれないでしょう? ユーはお母さんを亡くして、寂しくて悲しかったはずだよ。それなのに、一方的に殴るなんてフェルシはどうかしてる」
一行はユーの小屋を出て、聖都オラシオンに続く道を歩いていた。心なしか、並んで歩く三人の間が以前より開いているように感じる。
「ゴスラーの町にいたときのフェルシはあんなに怖くなかったよ。暴力を振るうことはなかったし、そんなに頻繁に機嫌が悪くなったりしなかった。僕、今のフェルシ嫌いだな」
サターンがそう言い放った瞬間、フェルシは足元に落ちていた葉っぱを踏んづけて盛大に滑ってこけた。地面に倒れ込んだまま、ピクリとも動かない。
「え、フェルシ大丈夫!?」
「おいフェルシ!?」
サターンとルトロスが慌てて駆け寄るが、それでもフェルシは顔を上げなかった。代わりにぐすんぐすんという嗚咽が聞こえる。
「え……フェルシ?」
「うう……今すぐ死ぬ……俺もう生きてる意味ないから死ぬわ……頼むルトロス、殺してくれ……! もう俺の役目は終わったんだ……」
「何言ってるのフェルシ!?」
「あー……これはまずいな……」
壊れた人形のように死にたいと繰り返すフェルシの姿に、ルトロスが頭を抱えた。サターンは初めて見るフェルシの醜態に驚愕し呆然としている。
「サターン、悪いが予定変更だ。本来ならインヴィディアの町には寄らずに先を急ごうと思っていたが、こうなったフェルシはしばらく元にもどらないんだ。こいつが元気になるまで町で宿を借りて療養しよう」
「え……うん、分かった……。あのさ、ルトロス」
戸惑いながらサターンはルトロスに尋ねた。
「フェルシがおかしくなったのってもしかして僕のせい……?」
その問いにルトロスは困った顔で笑う。
「お前は気にするな。フェルシはちょっと疲れてるだけだよ。急を要するから町まで走るが、ついて来られるか?」
「分かった……」
ルトロスは未だに死にたいとだけ繰り返し地面に転がったままのフェルシを拾い上げた。インヴィディアの町を目指して走り出したサターンの顔が浮かないままだということに気づいていても、ルトロスはどうしていいか分からなかった。
※※※
いつもなら三人一部屋で宿を借りるのに、インヴィディアの町でルトロスは二つ部屋を借りた。この町はサターンが見たこともないくらい整っていて美しく、治安が良い。襲われる心配もないだろうとルトロスは判断して、サターンに告げた。
「フェルシのことは俺が看病するから、サターンは隣の部屋で休んでいなさい。この町は安全そうだから、町の様子を見に行っても良い」
「え……僕もフェルシの側にいるよ! なんで今日だけ別部屋なの?」
「フェルシは伝染病にかかっているかもしれない。お前にうつったら困る」
「伝染病? そんな風には見えなかったけど……」
「お前が知らない伝染病がこの世にはたくさんあるからね」
「そうかなあ……」
「だから、明日までこの部屋には入ってこないように」
「ええ!?」
「何かあったら大きな声で俺たちを呼んでくれ。すぐ駆けつけるから」
「ねえ、ちょっと待ってよルトロス! なんかおかしくない、なんか僕に隠してるでしょう!?」
「じゃあな、サターン」
容赦なく扉は閉まって、サターンは独り宿屋の廊下に取り残された。彼はしばらくドンドンと扉を殴りつけていたが、どうしても開ける気がないと分かって諦める。目に涙を浮かべながら、扉の向こうのルトロスに聞こえるように叫んだ。
「ルトロスもフェルシも大っ嫌いだ!」
そうして彼は二度と振り向くこともなく、一目散に宿屋を出て町に飛び出して行った。
※※※
「ルトロスの馬鹿」
フェルシは宿屋のベッドにぐったりと横たわりながら、ボロボロ涙を零していた。
「あいつまた俺のこと嫌いって言ったぞ! お前が無理矢理追い出したりするからじゃねーか! もう嫌だ……死にたい……」
「分かった、分かったから。お前があの子のこと大切にしてるのはよく分かった。でもさすがにこれは勘弁してくれ」
ルトロスは相当参った顔をしている。
「あの子に嫌いって言われただけで壊れられたら、今後が思いやられる……。お前を維持する魔力は膨大なんだぞ」
「分かってるよ! 俺だって驚いたわ……あいつに嫌いって言われただけであんなに苦しいなんて!」
フェルシの赤い瞳は涙で腫れて、黒い髪は乱れてその顔を覆い隠していた。
「あいつ、俺のことおかしいって言ってた。俺が怖いって。なあ、ルトロスには俺がどう見えてる? まだ、俺は俺のまま?」
「お前はおかしくなってないしお前のままだよ。ユーの件については俺たちの配慮が足りなかったんだろう。あの子はまだ子供で何も知らないのに、俺たちは長く生き過ぎてる。考え方が違うのは当たり前だ。今回のことはちゃんと謝ろう」
そう言いながら、ルトロスはフェルシの体の真上の空間を指でなぞる。その指から闇をまとった魔法陣が形作られるのを、フェルシは涙目で見つめていた。
「ごめん、ルトロス。心のバランスを崩すと体が壊れるってこと、分かってたのに気をつけなかった俺が悪かった。なあ、約束、覚えてるか? 俺が俺じゃなくなったら、その時は……」
「分かってるさ」
魔法陣を書き終えて、ルトロスは優しく微笑む。不安げなフェルシの頭を撫でて、耳元で告げた。
「ちゃんと殺してやるから、今は安心して眠れ」
その言葉に、フェルシは子供のようなあどけない顔をして頷く。彼が目を閉じたのを見て、ルトロスは魔法陣を起動させた。闇がフェルシを包み込んでいく。闇に飲まれる相棒を見つめながら、ルトロスは独り呟いた。
「お前が壊れた時は、俺も一緒に逝くよ。でも、あの子は置いていかなければね」
魔法陣が正常に起動したのを確認して、ルトロスも自分のベッドに潜り込む。魔力を使い過ぎたせいで体が重かった。サターンはどうしただろう? 様子を見に行くべきかな、と考えた次の瞬間にはもう、彼は眠りに落ちていた。
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