第36話 崩壊の始まり

 初めは、勇者を倒すために旅に出た。愛する魔王、ロベリア・セシリフォーリアを殺そうとする勇者など、悪そのものだとしか思えなかったから。


 その後、色々なことがあって、色々なものを見て、リリーと出会った。そして、勇者を殺さなくても、和解して共存していく方法があるんじゃないかと思い始めた。


 そして、最も愛していた二人から、そんな未来は訪れないと突きつけられる。混乱を極める状況の中、自分が倒そうとしていた勇者が誰だったのかを知って。サターンは頭がおかしくなりそうだった。


「リリーが、勇者……?」


 サターンの呟いた声はあまりに小さかった。それなのに、静寂で満たされた部屋では、大音量で叫んだかのように響き渡る。しばらく、誰も何も言えなかった。サターンの声があまりにも悲痛だったから。


「サターン……」


 リリーが苦しそうに彼の名を呼ぶ。躊躇いながら、彼はゆっくりとサターンに近づいた。


「俺、勇者だったみたい。でも、俺はお前たちと一緒に旅してきたんだ。お前たちが優しくていい奴だって、よく知ってる。一方的にお前らを悪と決めつけて殺すことなんて、俺にはもう出来ないよ」


 リリーは優しくサターンを抱きしめる。


「俺を、受け入れてくれる?」


 サターンはしばらく何も言わなかった。リリーに抱きしめられたまま、ロベリアを見る。勇者に殺される運命を背負った魔王は、迷い子のような眼差しを向けたサターンに優しく微笑んだ。その笑顔が「私は大丈夫よ」と告げている。彼女の力強い眼差しが、サターンの背中を押した。


「リリーの髪が茶色でも白でも、どっちでもいいよ。僕はここまでずっとリリーと旅して来た。リリーはロベリアを殺したりしないし、魔族を迫害したりもしないって分かってる。リリーは勇者なんかじゃないよ」


 サターンはまっすぐにリリーの瞳を見つめる。今までずっと前髪に隠されていたから、サターンが彼の瞳をちゃんと見るのはこれが初めてだった。


「リリーは、リリーだ」


 はっきりと告げたサターンに、もう迷いはなかった。リリーは心から嬉しそうに笑う。つられてサターンもロベリアも微笑んだ。教皇と側近も温かく三人を見守っている。穏やかな空気が一堂に流れたそのときだった。


「教皇様!」


 突然、教会の衛兵の一人が部屋に飛び込んできた。


「何事ですか!」


 側近が問いかければ、衛兵は切羽詰まった様子で状況を報告する。


「アセディアの街で、ホムンクルスたちが暴走し始めたそうです! その一部がこの聖都に向かって攻め込んできているとの情報が!」

「ホムンクルスの暴走!? 一体なぜそんなことに……」


 すると、衛兵は決定的な情報を告げた。ホムンクルスたちを先導したものが誰なのかをはっきり示す情報を。


「目撃情報によれば、ホムンクルスの軍勢を率いているのは白い髪に桃色の瞳の男と、紫の蝶の羽根を持った男だそうです!」


 サターンは目を見開いた。震える声で、彼らの名を呼ぶ。


「フェルシ……ルトロス……!」


 世界が崩壊していく音が、聞こえたような気がした。

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