第33話 消えゆく世界の忘れ形見
世界から世界へと渡り歩く二人を、サターンはずっと見つめていた。二人は崩壊しかけた世界を巡って、その崩壊の間際に現れる神に挑む。だが、いつもあと一歩のところで逃げられてしまうのだ。その度、二人は壊れる世界には目もくれず次の世界へと渡っていく。その姿はあまりに恐ろしく、サターンは自分を育ててくれた二人と目の前の二人が同一人物だとは信じられなかった。
どうやっても神を仕留められない理由を二人は知っていた。フェルシの手には勇者の剣が握られていない。元の世界で勇者だったフェルシは、生き返ったときに勇者の剣を失っていた。世界の崩壊に巻き込まれて消えてしまったその剣がなければ、彼は完全な勇者とはいえない。『新たな世界を創るスイッチ』になるには、彼が勇者として完全であることは絶対に必要だった。
だが、どうすれば再びフェルシの元に剣が戻ってくるのか?
二人にはまだわからない。わからないから、数多の世界を犠牲にしてでも進むしかなかった。
その世界も、他の世界となんら変わらないはずだった。壊れて、跡形もなく消え去って。その世界が存在していた残滓さえ残らない、はずだった。二人がいつものように神の抹殺に失敗し、崩壊しかけた世界を後にしようとしたそのとき。聞き覚えのない音が聞こえて、フェルシは振り向いた。
「……赤ん坊の、泣き声?」
思わず、声のする方へ駆け寄る。世界がそれ自体の概念を失う間際、揺らいで消えかけた大地に転がる瓦礫の影に、小さな赤ん坊の姿があった。人間など世界の崩壊の過程で完全に消滅してしまったはずなのに、なぜかその赤ん坊だけは独り残されて泣いている。その姿が、フェルシの心を強く打った。まるで、桜の木の下に捨てられていた自分のようだと思ったのだ。
「フェルシ?」
フェルシの様子に気づいたルトロスが近づいてくる。フェルシは恐る恐る赤ん坊を抱き上げると、呆然とした表情でルトロスに差し出した。
「これは……」
「助けなきゃ」
「フェルシ」
眉をひそめるルトロスに、フェルシは怒鳴る。
「俺たちは正義のために戦ってるんだろ!? あらゆる世界の全ての命を守るなんてできないのは分かってる。でも、この赤ん坊さえ救えないなら、俺たち何のためにここまで来たんだ!?」
それを聞いて、ルトロスは目を見開いた。しばらく黙り込んだ後、ゆっくりと口を開く。
「俺とお前は特別だ。だから世界を渡り歩ける。だが、この赤ん坊を連れていくとなるとどうなるかわからない。最悪の場合、赤ん坊どころか俺たちまで死ぬかもしれないぞ」
「それはやってみなきゃわからないだろ? でも、ここでこの子を置いていけば確実にこの子は死ぬ」
「……この赤ん坊のせいで、俺たちが今までやってきたことが無駄になるかもしれないんだぞ」
「そうだとしても、見捨てるなんてできないだろ!?」
そのとき、フェルシに抱かれた赤ん坊が手を伸ばし、ルトロスの服の袖を引っ張った。潤んだ瞳がルトロスを見つめる。
「あんたが俺を見捨てなかったように、俺もこの子を見捨てたくないんだ。頼むよ」
赤ん坊とフェルシに見つめられて、ルトロスはもう首を振ることができなかった。ため息をついて赤ん坊を抱きしめたままのフェルシの手をとる。
「分かった。どうなるかわからないぞ。覚悟はいいか?」
「もちろん」
その答えを聞いて、ルトロスは紫の蝶の羽根を羽ばたかせた。世界の狭間を目指して、フェルシを抱いて飛び立つ。いつもと違い、世界から脱出する瞬間、強力な抵抗を感じた。進むたびに皮膚が切り裂かれ、血がほとばしる。フェルシは赤ん坊が傷つかないように、かばいながら強く抱きしめた。
もう耐えられない、と思った瞬間、二人は赤ん坊を抱いたまま次の世界に放り出された。そこは真っ暗で、太陽の光の差さない洞窟の中のようだった。魔石が放つ淡い燐光だけが、洞窟の中を照らしている。
その光景を見た瞬間、サターンはその赤ん坊が誰だか理解した。生まれ育った町の人たちの話を思い出す。
ルトロスとフェルシはよそ者で、赤ん坊だったサターンを抱えてゴスラーの町に迷い込んで来た。二人とも信じられないくらいボロボロの姿で、地下の洞窟の中に隠されて町人以外は入れないはずのゴスラーの町にやって来たから、最初はみんな怪しんだ。
間違いない。あの赤ん坊は。跡形もなく消え去った世界の、最後の生き残りであるあの小さな命は。
「僕、だ……!」
そして、サターンは長い夢から醒める。
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