第38話 死の天使

 ホムンクルスの軍勢を引き連れたフェルシは、その手に握られた勇者の剣を苦しそうに見つめていた。かつて美しく輝く剣だったそれは、もはや美しいとはいえない姿に変貌している。


「この世界に溢れる罪を断罪して、この剣に禁忌の力を集めれば、今度こそ神を殺せる」


 ルトロスに言われた言葉を、自分自身に言い聞かせるかのように反芻した。自分の中の迷いを振り払いたくて、激しく首を振る。


「これは、正義のため。みんなのためだ。そのために犠牲が生まれるとしても、これ以上苦しむ人を生み出さないためには、神を殺さなきゃ」


 フェルシは崩壊していく世界を、いくつも見てきたのだ。神に見捨てられ、無残に踏み潰される命を。もう二度と、あんな光景を見たくはない。


 けれど。


「正義のためには犠牲が必要で。その犠牲の数は少ない方がいい、わけで。だったら、さ」


 フェルシは一粒の涙をこぼして、今はそばにいないルトロスに問いかける。


「彼らが犠牲になるのは、あんたを殺せなかった俺のせいかな? 命の重みも知らないで、あんたさえいればいいと願った俺の罪なのかな?」


 彼は愛しい少年の姿を思い浮かべた。思い出の中のまっすぐな瞳に、無邪気な笑顔に、彼は心をかき乱される。


「ねえ、ルトロス。俺、サターンを見てると分からなくなるんだよ」


 その声が届かないと知っていても、フェルシは訴えずにはいられなかった。


「俺たちは本当に、正しいことをしてるのか?」


 彼の問いに答えるものはいない。ホムンクルスたちは黙り込んだまま彼の命令を待つばかりだ。創り主の支配を逃れても、結局彼らは自分の意思で生きることを許されはしない。禁忌を支配する魔王の力に絡め取られて、操り人形となるしかないのだ。それはフェルシとて変わらなかった。ルトロスのために生き返り、ルトロスの願う未来のために戦う。それでいい、ルトロスの信じる道に間違いはない、そう信じ続けてきたのに。



「もう、分からないよ」


 それでも、フェルシは進むしかなかった。再び勇者になるために、ここまで歩んできた道のりを無駄にすることはできない。神を殺し、世界を上書きし、欠陥のない完璧な世界を創るのだ。


 目を閉じて、深呼吸する。断罪が終わって神殺しのために聖都に戻ったら、きっとサターンは自分たちを受け入れないだろう。今のうちに罵られる準備をしておかなければ。


 フェルシは走り出す。罪ぶかき人々を断罪するために。その後を、ホムンクルスの軍勢も追いかけた。あっという間に町が、村が、焼け野原と化していく。炎の真ん中に立つフェルシの姿は、まるで死の天使に見えた。

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