スイッチ 〜Braves⇄Villans〜

三上 エル

第1話 言い訳の始まり

 神の創った世界はある一定のサイクルで腐敗し、再構築が必要になる。そこで神は再構築のスイッチとして「魔王」を作り、そのスイッチを押す者として「勇者」を作り出した。だから、「勇者」と「魔王」は生み出され続ける。世界が完全な崩壊を迎えないためには、必ずいつかスイッチを押さなければならなくなるから。全ては愚かな神が、完璧な世界を創れなかったことを「魔王」の悪行とするための、壮大な「言い訳」にすぎなかった。数多の命を贄として、神は今日も世界に君臨している。それを知る者は誰もいない、はずだった。ある「勇者」と「魔王」がスイッチを押すことを拒むまでは。



※※※



 サターンが生まれ育った場所は、とても優しくて温かかった。とはいっても、そこには太陽の光が当たることはなかったから、吸い込む空気はいつもひんやりとしている。魔石が放つ淡い燐光だけがそこに存在する光だった。暗くて冷たくて、とても人々が住みたがるような場所ではないとしても、彼にとっては愛すべき故郷だ。もっとも、彼はここ以外の場所を見たことは一度として無かったが。


 彼が育った場所、魔王城はブロッケン山と呼ばれる山の中にあった。山を形成する花崗岩の奥の奥、山の中心部まで山を掘り進めると、突如魔石に囲まれた外の山とは全く異質な洞窟に行き当たる。そこに魔王とその臣下たちがひっそりと暮らす小さな城と城下町があった。


 ゴスラーというその町に住む住人は魔族と呼ばれる強い魔力を持った人々だったが、見た目は人間と全く変わらない。魔族は人間に比べると信じられないほど長生きする代わりに、子供はほとんど生まれない種族だ。だから、ゴスラーの町で数百年ぶりの子供として育ったサターンは、町中のみんなに愛されて育った。優しくて温かい、愛すべき故郷。サターンにとってゴスラーの町は大きな家であり、町の人々はみな家族だった。だから、その知らせが彼には決して受け入れられなかった。


「ねえ、何言ってるの、ロベリア? 嘘だよね、今の。いつもの意地悪な冗談でしょう、ね? そうだよね?」


 泣きそうな顔で問いかけるサターンに、ロングストレートの黒髪に紫の瞳を持った少女は悲しそうに微笑む。


「いいえサターン。あなたが大切だからこそ、そんな冗談は言えないわ。本当のことを隠すことも出来ない。あなたの人生、選ぶ権利はあなたにあるもの。後悔のない選択には、正しい情報が必要不可欠だわ」


 この世界の魔王、ロベリア・セシリフォーリアは見た目こそ十六、七の少女だが、実際は気が遠くなるほどの時間を生きていた。その静かな眼差しや悟りを開いたような落ち着いた雰囲気が、彼女の過ごしてきた年月の長さを物語っている。彼女は少女の姿で母親のような表情を浮かべて、彼女の座る玉座にすがりつくサターンを抱きしめた。


「神託が下ったわ。私たちを滅ぼすための勇者が選ばれた。遠くない未来に、私は殺される。この町にいたら、皆も同じ目に遭うわ。だから、選ぶのよ。ここにいて最期の時まで私と共に戦うか、ここから出てどこか新しい場所で生きていくか。選ぶのはあなたの自由だけど、私はあなたに生きて欲しい。わがままを押しつけてごめんなさい。でも、あなたは私たちの最後の子供だから、生きて欲しいの。私の分まで、私がいなくなった後の幸せな世界を見届けて欲しい」


 悲痛な声で祈るように語りかけるロベリアの言葉を、サターンは全く受け入れられなかった。彼は抱きしめる彼女の腕をゆっくりと外して首を振る。納得出来ない、という感情が顔にありありと浮かんでいた。


「なんで殺されるって決めつけるの? 勇者が襲ってくるのなら、僕らがロベリアを守ってみせるよ。だって、勇者って悪い奴でしょ? 優しいみんなやロベリアを殺しに来る悪い奴はみんなでやっつけちゃえばいいんだ。それなのに、なんでみんな最初から諦めてるの?」


 その問いに答えたのは、サターンの後ろで様子を見守っていた二人の青年だった。


「それはなー、サターン。この世界はそう決まってるからさ」

「世界は崩壊しかかっている。それを止めるには魔王を殺すことが必要だ。だから、ロベリアが勇者に殺されなかったとしても、世界が崩壊して結局皆死ぬ。そう決まっているんだ。ロベリアは世界の未来のために犠牲になろうとしてくれているんだよ」


 軽薄そうな黒髪の青年が肩を竦めて答える。腰まで伸びた黒髪をいじり、真っ赤な瞳を退屈そうに細めていた。彼の後を継いで詳しく説明した誠実そうな青年は短い紺色の髪が印象的だが、その蒼い瞳は悲しげに伏せられている。


「フェルシはなんでそんなに興味なさそうなの!? ルトロスまで諦めたようなこと言って、らしくないよそんなの!」


 今まで自分と片時も離れず一緒だった兄弟のような存在の二人までが諦めきった様子なのを見て取って、サターンは憤慨した。しかし、フェルシは激昂するサターンの頭をくしゃくしゃ掻き回して首を振る。


「これはお前がかんしゃく起こしてどうにかなる問題じゃねーの。俺らだって、お前があれしたいこれしたい、あれ欲しいこれ欲しいっていうのを全部叶えてやってきたし、今回だってそうしてやりてーよ。だけど、そういう訳にはいかねー問題なんだなー、これが」


 いつも適当なフェルシの瞳が真剣であることは、ずっと一緒に生きてきたサターンにはよく分かった。彼はフェルシが真剣になることなんて一生ないと思っていたから、これ以上ないほど動揺する。でも、今まで町中のみんなから甘やかされて育ったわがまま坊主はそんなことでは折れなかった。今まで、欲しいと思って手に入らなかったものなんて一つもないのだから、今回だってそうに決まっている。


「分かった。じゃあ、僕が一人で行くよ。僕が勇者をやっつけてくる!」


 サターンには自信があった。彼には類い希なる魔法の才能があり、強力な魔法も彼にかかれば簡単に操ることが出来る。勇者なんて悪人に負けるはずがない。彼がこの町の外に出たことがないことや勇者がどこにいる誰なのかも分からないこと、その他色々と問題が山積みであることは、彼の頭には全く無かった。


「じゃあね、ロベリア。僕、必ず勇者を倒して帰ってくるよ。それまで元気で待っててね! 町のみんなにもよろしく!」


 そして笑顔で魔王に手を振ると、魔王城を勢いよく駆け抜けて出て行く。そのあまりに無鉄砲で唐突な行動に、残された三人はしばし唖然としていた。


「えっ……? 待って、サターン! 一人で行ってはダメよ!」

「ちょ……! おい待て、サターン!」


 ロベリアが慌てて取り乱す。その姿を見てハッとしたフェルシがサターンの後を追いかけて走り出した。


「ロベリア、俺とフェルシがあいつと一緒に行きます。勇者を倒すのを諦めさせて、あの子が生きていける場所を一緒に探します。だから、どうか安心して」


 動揺で泣き出しそうな顔をするロベリアに、ルトロスが言い聞かせる。落ち着いた様子の彼の言葉に、魔王も冷静さを取り戻して頷いた。


「分かったわ。あなたたちが連れてきてくれた子だもの、あなたたちに任せるのが一番ね。お願い、どうかあの子を幸せにしてあげて」

「もちろんです。どこの誰とも分からない俺たちを迎え入れてくれたあなたたちの優しさに報いるために、あの子のことは必ず守ってみせましょう」


 そう誓って、ルトロスも走り去った二人の後を追って走り出す。残された魔王は、両手を硬く握りしめて祈るように呟いた。


「彼らの旅路が、幸せに続くものでありますように」

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