第2話 魔王の愛し子
「あのなー、サターン。お前、本当に何も考えないで飛び出したらどうなってたと思うよ? 太陽の光に焼かれて一瞬で死んでたぜ? これからは俺らの言うこと聞いてから行動しようなー」
フェルシが気の抜けるような調子で説教してくるのを、サターンはほとんど聞いていなかった。フードと眼鏡が邪魔で見えづらいが、彼の目の前には今まで見たこともなかったものしかないのだ。興味をそそられる数多の物体に呼ばれるように、サターンは一人勝手にふらふら歩き始めようとした。が、ぶかぶかの真っ黒なローブの首元を捕まれて先に進めない。抗議しようと振り向けば、やれやれとため息をつくルトロスの姿。
「気になるものがたくさんあるのは分かる。だが、ここはブロッケン山とは違うんだ。命の危険だってごろごろ転がってる。勇者を倒すなら、こんなところで死ぬわけにいかないだろう?だから、俺たちの話をちゃんと聞いてくれるかい?」
誠実な蒼い瞳に真っ直ぐ見つめられると、サターンは何故かノーと言えなくなる。だから、今も大人しく頷くしかなかった。
「なんでルトロスの言うことはちゃんと聞くかなー。俺の言うことも、もうちょいちゃんと聞こー?」
「やだ」
「ああ!?」
「フェルシのくせに、なんか文句あるの?」
「なんだと、世間知らずの甘ったれ坊主が生意気な口聞きやがって、その辺に置いてってやろーか!?」
「はいはいどうどう」
故郷の町を勝手に一人で飛び出していこうとするサターンを捕まえたフェルシとルトロスは、まず旅に必要な道具を準備した。生まれてから今までほとんど太陽の下に行ったことのないサターンにとって、太陽の光は非常に危険だ。だから、二人は魔法で守られたフード付きの真っ黒なローブと眼鏡を彼に与えた。それをしっかり身につけていれば、光に焼かれることもない。
それから、探すべき勇者についての情報も仕入れた。どうやら、神託では勇者は「真っ白な髪に桃色の瞳を持った、勇者の剣を引き抜く力を持ったもの」であると告げられているらしい。「勇者の剣」がどこにあるか、それはこの世界に生きる者は皆知っていた。始まりの地と呼ばれる聖なる都、オラシオン。そこには太古の昔から、「勇者の剣」と伝えられる引き抜くことの出来ない剣がある。勇者がその剣を既に抜いているかどうかは分からないが、必ず都に一度は訪れる。むやみに探し回るよりオラシオンへ向かう方が勇者を探すのは遙かに楽だと思われた。
ここまでの前準備の全てを、フェルシとルトロスがサターンに全部説明して理解させるのはかなり骨の折れる作業だった。実際、骨を折ったのはルトロスだが。フェルシは途中途中で話を聞かなくなるサターンとしょっちゅう口げんかになってルトロスの心労をより増やすだけだった。そうして三人の旅の目的地が決定したわけだが、サターンにとっては結局どこが目的地でも良かったに違いない。彼は初めて見る青い空や緑の草原、背の高い木々に圧倒され、勇者を倒すという目的さえ早くも忘れ去っていた。
「ねえねえ、あれ何? あの空飛ぶ生き物!」
「あーれーはー、えーっと……なんだっけルトロス?」
「あれはモズという鳥だな。獲物を仕留めて食べるまでの習性が特徴的なことから、絞め殺す天使、という風にも呼ばれるな」
そんなルトロスの説明にフェルシがげんなりした顔をする。ルトロスは物知りだが、一つの答えを求めて質問をすると百の答えを用意してくるところがあった。面倒くさがりのフェルシはそれをとても嫌がる。
「天使……。それって、あの鳥という生き物は神様の使いってこと?」
そんなフェルシを無視して、サターンは楽しそうな笑顔で問いかけた。神や天使は、魔王ロベリア・セシリフォーリアがよくしてくれるおとぎ話にたくさん登場していた。天使に会えたなんて、と感激するサターンをよそに、フェルシは苦い顔をする。
「神の使い、ねえ……。あの鳥は人間が勝手にそう呼んだだけで、別に神とは関係ないぜ。お前がそんなキラキラした顔で嬉しそうに神とか言うのを聞くの、すごく気持ちが悪いからやめてくれよ」
「フェルシ、神様に向かってなんてこと言うの!? 神様は偉い人なんだから、そんな風に言っちゃダメなんだよ! ね、ルトロスもそう思うよね?」
ルトロスが同意してくれると思ってサターンが彼に問いかけると、ルトロスは見たこともないような怖い顔で空を見上げていた。
「ルトロス?」
サターンがもう一度声をかけると、ルトロスはもういつもの穏やかで優しい笑顔に戻っていた。
「いや、なんでもない。ほらほら、二人とも。こんなところでぐずぐずしていたら、野宿することになってしまうよ。初めて外に出て、いきなり野宿するのはサターンの体に良くない。すぐそこの村まで日が落ちるまでに行くぞ?」
「えー! 野宿したいよ! ロベリアの話で、森の動物さんと一緒に落ち葉のベッドで寝るっていうのがあったんだ! 僕、それやりたい!」
「ばーか、今は春だぜ? 落ち葉なんかあるもんか!」
「はる? ってなに?」
「……そうか、ゴスラーの町には四季なんかなかったもんな。ルトロス、説明よろしくー」
「サターン、春というのはね……」
※※※
賑やかな一行がいなくなった後の静かな魔王城の玉座で、ロベリア・セシリフォーリアは一人、絵本を見つめていた。それはまだサターンが幼かった頃、彼女自ら読み聞かせてやった絵本。心優しい主人公が、温かな家族や隣人たちの元で育ち、周囲の人々を助け、やがて皆を苦しめる悪いドラゴンを倒す、という物語だ。初めてこの絵本を読んでやったときの、サターンのキラキラした笑顔を思い出す。
「僕がやっつける、だなんて。少しは大人になったかと思っていたけれど、まだまだ甘えん坊の子供ね」
一人呟く魔王の顔に浮かぶのは優しい笑顔。その笑顔を見て、彼女が世界を滅ぼす魔王であると信じるものなどいるはずがない。それどころか、まるで聖女のように清らかでさえあった。
「あなたが帰ってきたいと甘えるから、私も待っていてあげたいと思ってしまったじゃない。あなたがここにもどってきたとき、帰る家がなくなっていたら、あなたは泣いてしまうでしょう? だから、私も頑張ることにしたわ」
まるでそこに愛し子がいるかのように、彼女は一人呟く。そして絵本を側の小机に置くと、すっと立ち上がって部屋を出る。そこには城で彼女に仕えてきたたくさんの臣下たちが整列して彼女を待っていた。ロベリアは一人一人の顔をしっかりと見ながら歩いていく。魔王城の城の扉を開け放てば、町中の人々が城前広場に集まっていた。ざわめいていた人々は魔王の姿を見て一斉に静まり返る。静寂が支配する広場で、ロベリアは民衆一人一人を見つめながら、これまでの人生を思い返していた。
あの男性は素晴らしい歌声を聞かせてくれた。あの女性の作ってくれた服はとても美しかった。あの老紳士が聞かせてくれた昔語りは非常に勉強になった。
彼女にとって、その全てがとても大切な思い出だった。生まれ落ち、魔王と呼ばれたその日から、こうなることは分かっていたけれど。だからといって、簡単に諦めるにはまだ、この町での思い出は色鮮やかなままだ。
ルトロスに言ったことは本心だった。サターンが勇者の手にかかるくらいなら、自分が命を捧げたほうがいい。彼には勇者と戦うことなく生きて欲しかった。
けれど、サターンがあまりに無邪気な顔でやっつける、なんて言うものだから。やってみてもいいか、なんて思ってしまった。
「私が死ななければ世界は崩壊するというけど、世界が崩壊したところを見たことのある人なんていないのに、どうして絶対そうだって言い切れるのよ」
ロベリアは小さく呟く。脳裏に愛し子の笑顔を思い浮かべながら、彼女はゆっくり息を吸った。
「聞きなさい、ゴスラーの民よ!」
花のように気高くて、凛とした声が響き渡る。その紫の瞳に、迷いはもう欠片もなかった。
「勇者が選ばれた、というのは皆が知っているでしょう。それはそう遠くない日に私たち魔族を滅ぼすために攻め込んできます。この世界の崩壊を食い止めるには私が命を捧げなければならないというけれど、私はその運命を簡単に受け入れることはしないと決めました。
私が死ななくても、世界の崩壊は食い止められるかもしれない。その可能性が全くないと言い切れない以上、私が生を諦めるということはあなたたち民への侮辱でしょう。私は戦います。私たち魔族は世界に仇なす行いなどしていない。なら、生きる権利は私たちにもあるはずです。
強要はしません。私はこの町の皆を愛しているし、皆に生きて欲しい。けれど、人間に怯え隠れて暮らすことに幸せがあるとは思えないから。幸せな未来のために、戦いましょう。私たちの家を、守り抜きましょう」
そして彼女は天に向かって手を挙げる。その手には一輪のアイビーの花が握られていた。
「ゴスラーの未来のために!」
民衆から歓声が上がる。皆にはロベリアが勝利の女神のように見えた。ロベリアは心の中で旅立った愛し子に想いを馳せながら、民の歓声に送られて城へと消えて行く。城の扉の閉まる音こそ、魔王軍の宣戦布告の合図だった。
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