第3話 禁忌の子に祝福の光を
「最悪だ」
サターンが着ているのと同じ、魔法で守られたローブのフードを目深に被ってフェルシは吐き捨てた。サターンが今まで見たこともないくらい、フェルシの機嫌が悪い。
「まあまあ。なんとか宿は借りられたし、そんなに機嫌を損ねるなよ、フェルシ」
ルトロスがなだめるが、フェルシの機嫌は直りそうにもなかった。世間知らずのサターンでも、彼の怒りがもっともだということはよく分かる。この村に入るときの一悶着はかなり酷かった。
※※※
サターンたちの住んでいたゴスラーの町から一番近いこのスペルビアの村に入った瞬間、フェルシだけが村人から異常なまでの注目を集めていた。何事か、と思った瞬間、村長と思われる肩幅の広いがっしりした中年の男が駆け寄ってきて、いきなりフェルシに殴りかかってきたのだ。
「黒い髪に赤い瞳……! こいつ、魔族だぞ!」
その村長の叫びを合図に、一斉にそこら中の村人がフェルシに襲いかかってくる。
「ちょ、おい待てや! 話を聞け!」
フェルシが必死で叫ぶも、村人たちは止まらない。村人たちに見向きもされないルトロスとサターンは必死に村人たちを止めようとするが、人の波に押されてどんどんフェルシから遠ざかっていく。サターンが魔法で蹴散らそうと呪文を口にした瞬間、ルトロスがその口を塞いだ。
「ダメだ。人間は魔法を使えない。魔法を使って魔族だとバレるのはまずい」
「でも、フェルシが死んじゃうよ!? だってもう見えなくなってるじゃん……!」
「大丈夫。あいつは死なないから。こんなくらいで、あいつは死なない」
ルトロスは全然心配していないかのような口調で言った。フリなんかじゃなく、本当になんとも思っていないときの言い方だ。何故か、ルトロスには確信があるらしかった。まるで、前にもこんな目に遭ったフェルシを見たことがあるかのような。
サターンは少し面白くなかった。自分が赤ん坊の頃から、二人は今と同じ若者の姿のまま、一緒に暮らしていたという。自分は赤ん坊の頃のことを覚えていないから、その間に二人が何をしていたかなんて分からない。ずっと一緒にいたはずの二人のことで、ちょっとでも知らないことがあるというのが彼には面白くなかった。
しかし、結局ルトロスのいうことは正しかった。突然、あんなに群がっていたフェルシの周りの人々が一斉に後退りし始めたのだ。それと同時に、ドスン!という音が響き渡る。何が起きたのか、サターンにはよく分からなかった。気がついたら、村長が地面に仰向けで転がっていたのだ。フェルシが村長を背負い投げしたのだが、サターンにはフェルシが何かの魔法を使ったように思えた。
辺りがしーんと静まりかえる。そのタイミングでフェルシは大音量で叫んだ。
「俺は魔族じゃねーよ!」
間髪いれずにルトロスが村人に説明する。
「みなさん聞いてください! 彼は俺たちの連れです。ですが、魔族ではありません。よく見てください、俺やこの子の目は赤ではないでしょう。彼の目も本当は赤くないんです。ただ、彼は妹を亡くしたばかりで、泣きすぎて目が真っ赤になってしまったんです!」
「ええええええ!?」
サターンは驚くが、フェルシはそう言われた瞬間得に涙を浮かべていた。
「俺たち、この村がとても素晴らしいと聞いてやってきたんです! ここの村人はとても立派な方々で、しかも魔族は一人もいないとか! なんて素敵な町だろう、実際に訪れることが出来たらどれほど幸せか、と語り合いながらここまで来たんです。けれど、辿り着く途中で彼の妹が川に落ちて……。どうか、俺たちに一晩の宿を貸してはいただけないでしょうか。もちろん、お金は払います。皆さんの優しさに助けていただけたらとても嬉しいのですが……」
ぺらぺらぺらぺらっと思ってもいないだろう言葉を並べ立てるルトロスの誠実そうな笑顔に、村人は目を白黒させる。フェルシも背負い投げをされて受け身を取りはしたものの、驚愕で動けずにいた村長に手を差し伸べた。
「すみません、妹のことを思うと、俺、気持ちが抑えられなくて……! 暴れ出したくなるんです。申し訳ない。一晩宿でぐっすり寝れば、もう暴れたくなくなると思うのですが……!」
次の瞬間、呆然としていた村人たちは一斉に動き出した。三人を歓迎する準備をするために。
「そうだったのですか! いやはや、これは申し訳ない! 妹さんを亡くされたばかりでおつらいでしょうに、魔族だなどと疑ってしまい大変失礼しました! さ、こちらの宿へどうぞ! 精一杯歓迎いたしますよ!」
村長がフェルシの手をとって立ち上がり、彼の様子をうかがうような笑顔を浮かべてぺこぺこする。サターンには、村人が突然掌を返すように振るまい始めた理由がよく分からなかった。言外の脅迫とか、おべっかを使うとか、そういう大人の処世術はサターンが理解するにはまだ早い。
※※※
そんなわけでなんとか宿は確保したものの、赤い瞳を隠さなければならなくなったフェルシはかなりブチ切れていた。しかも、夕食を振舞ってもらえたのはいいものの、宿屋の夫婦から魔族に関する悪口を散々されて、フェルシ以外の二人もかなり疲れている。サターンはそうじゃない、そんなわけない、魔族はそんなことしない、などと言おうとするたびにルトロスに口を塞がれた。フェルシは殴りかかる寸前だったし、温厚なルトロスでさえ少し不快そうだった。顔には出さないが、ずっと一緒に暮らしてきたサターンには分かる。
「人間は魔族よりずっと優れているって、あの人たち何回も言っていたね。それってどうして? そもそも、なんで黒髪で赤い目だと魔族だって言ってるの? 町のみんなは黒髪に赤い目の人もいたけど、そうじゃない人の方がずっと多かったよ。ロベリアだって、髪は黒いけど目は紫だったじゃない」
サターンにはこの村の色々なことがよく分からなかった。彼らの話す魔族についての知識はほとんど的外れだったし、そもそも魔族を嫌う理由が分からない。首をかしげるサターンにルトロスは悲しそうに微笑んだ。
「彼らは自分たちが素晴らしいと思っていたいだけだよ。そう思うのに、比べる相手が必要ということさ」
幾分オブラートに包んだルトロスの発言に反発するかのように、フェルシも声を荒らげる。
「高慢ちきどもの自己満足に俺たちが使われてるってだけさ。腹の立つ話だよ!」
二人の答えを聞いてもサターンにはピンと来なかったらしく、やはり首をかしげたままだった。
「じゃあ、髪と目の色のことは?」
そう聞くと、二人はしばし黙り込む。しばらく二人は顔を見合わせていたが、やがてフェルシが静かな声で答えた。
「それは多分、《禁忌の子》の伝説と魔族への嫌悪が結びついた結果だろーな」
「《禁忌の子》?」
「許されざる罪を犯した人間は、その髪が闇の色に染まり、瞳は血の色に染まる。そういう伝説さ」
サターンは小さく震えた。ロベリア・セシリフォーリアがしてくれた話の中に、闇や血が出てくるような怖い話は無かったのだ。
「でも、フェルシも町の黒髪赤目の人も、良い人だよ? そんな悪いことなんかしてないでしょ?」
「そりゃまあなー。なんて言えば良いんだろ? つまり、罪を犯した人間は黒髪赤目であるって決めたとしても、黒髪赤目なら罪を犯した人間だってことにはならないんだってことかな」
サターンはうんうん唸りながら、その意味を考える。そしてなにかを思いついたというように明るい表情になって、フェルシに言った。
「悪い人は魔族の中にもいるけど、魔族ならみんな悪い人だっていうのは間違ってる、っていうのと一緒ってことだね!」
その言葉に、フェルシとルトロスは揃って驚いた顔をする。サターンはそれには気付かずに話を続けた。
「じゃあさ、こういうことだよね? 僕、この村に入った時に、みんなフェルシに酷いことするから、人間ってみんな酷い人なんだと思ったんだ。だけど、人間はみんな酷い人たちだってわけじゃなくて、たまたまここの人たちは間違ったことを考えちゃってて、ちょっと酷いことをしただけで、これから会う人間がみんなそうだってわけじゃないってことなのかな」
話しているうちに混乱してきたのか、だんだんサターンの声に自信がなくなってくる。酷い、酷くない、でも人間はあれでこれで……などと呟きながら、くるくる目を回し始めた。
「サターン、お前が考えたことはきっと正しいよ。さあ、今日は疲れただろう。明日はまた違う村まで歩くのだから、早く寝てしっかり疲れをとらなければね」
そんなサターンに、ルトロスが頭を撫でながら告げる。サターンは撫でられたのが嬉しいのかニコニコしていたが、素直に頷くと宿のボロボロのベッドに潜り込んだ。よほど疲れていたのか、すぐにスヤスヤという寝息が聞こえてくる。
「……こいつもいつまでも赤ん坊のままじゃねーってわけか」
フェルシがサターンのあどけない寝顔を愛おしげに見つめて呟いた。まだ赤ん坊だった頃のサターンを思い出して、少し感傷的な気分になる。サターンはフェルシとルトロスが赤ん坊の頃から育ててきた子供だった。町の人たちの協力もあって、親になるなどとは程遠い存在だった彼らにも、まともな子育てをすることができた。
「最初はとんだ拾い物だと思ってたけど、案外悪くないもんだなー」
「お前がそんなことを言うなんて、珍しいな。普段からもっと優しくしてやればいいのに」
「嫌だ」
「お前も素直じゃないところは成長しないんだな」
「うっさいわ!」
幼子が目を覚まさないように小さい声で言い合った後、静かな声でフェルシは問いかけた。
「この世界は、この子が生きるに値する世界だと思うか?」
その問いかけに、ルトロスは困ったような笑顔をする。
「さあ、どうだろう。俺たちもまだこの世界のことはよく見ていないし、判断するには情報が足りないかな」
「そーですか。まあ、判断はあんたに任せるわ」
「お前はいつも変わらないな。たまには俺に文句言いたくならないのか?」
「別に?」
フェルシは楽しそうに微笑みながら、はっきりと告げた。
「俺はあんたのための剣だから。あんたに使われるなら本望さ」
その言葉に、ルトロスは嬉しそうな顔をして、眠るサターンの頬を撫でる。
「良い旅になりそうだ」
二人はしばし微笑み合って、部屋を照らす蝋燭の火を吹き消した。夜は三人を優しく包み、月は暖かな光を放っていた。
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