第13話 怒りの森で

 ここはイラの森というところらしい。リリーの住んでいたあの町から目的地である聖都オラシオンへの道のりの途中にある広大な森で、人気はなく整備された道も見当たらなかった。元の町へ向かうにも、オラシオンへ向かうにも、どっちにしても簡単には辿り着けそうにない。そんな状況の中、リリーはフェルシに掴みかかって宣言した。


「俺は帰る」


 長い前髪が彼の瞳を覆い隠しているせいではっきりとその表情が見えることはなかったが、声色から察するに相当怒っていることは間違いないだろう。


「へえ? 勝手にしろよ。けど今のお前が一人で帰ろうとしても、途中で獣に食われておしまいだろうな」

「そんなのやってみなきゃ分からないだろ!? 俺のこと何も知らないくせに、知ったような口をきくな! 俺は帰る。帰って姉さんたちを……」

「姉さんたちをどうするんだよ? あの二人のために殺されてやろうってか?バカじゃないのかお前」


 そう言ってフェルシはあっという間にリリーを押し倒して組み敷く。その首に手をかけて冷静に告げた。


「思い出せよ。お前とお前の母親を傷つけて、お前の姉貴たちは幸せそうな顔してたか? 救われたって顔をしてたか?」


 リリーはその言葉に悔しそうに俯く。そして前髪に隠された瞳でキッとフェルシを睨み付けた。


「なんでお前、俺や俺の母さんのこと知ってるんだよ!? サターンに話してからあいつがあんたに話すような時間はなかったはずだ。魔法でも使わない限り分かるはずないだろ!?」


 そこでリリーは自分の言葉にハッとする。今まで彼らが人間でないなどとは考えもしなかったが、これまでの彼らの行動を思い返せばおかしいことなどたくさんあった。混乱する頭で彼は考えをまとめようとする。


「ちょっと待て。人間は魔法なんて使えないはずだ。それなのに瞬間移動が出来る時点でおかしくないか? あんたたちのこと人間に決まってると思い込んで疑いもしなかったけど、本当はそうじゃないのか? 見た目は俺たちと何も変わらないのに……。なあ、教えてくれよ。あんたたちは何なんだ!?」

「それは……」

「フェルシ、言わないで!」


 あっさり正体を明かそうとするフェルシにサターンが慌てて制止した。出来ることなら、自分達が魔族であるということは知られたくなかったのだ。ただでさえ悪化しているリリーとの関係をこれ以上壊したくない。けれど、フェルシはそんなサターンに自嘲気味な笑いを浮かべて言った。


「なあサターン、お前に色々隠しごとしてる俺が言うのもなんだけどさ。お前が人間じゃないことはお前に非があることじゃない。だから、堂々と言ってやればいいんだ。隠す必要なんかない。本当にこの少年と友達でいたいんなら、本当のこと言ってやれ」


 その言葉に、サターンは目を見開く。しばし彼は迷っていたが、それを見てフェルシに開放されたリリーがサターンの前に立った。前髪に隠されて見えないその瞳が、確かに自分を真っ直ぐに見つめているのをサターンは感じた。


「サターン。俺、お前と町を歩き回って楽しかったよ。お前のこと友達だって思いたいけど、いきなりこうやって連れてこられて、何が起きてるかも分からないしお前が誰かも分からない。そんな相手を信じるなんて出来ないよ。頼む、本当のことを教えてくれ」


 その切実な響きが、鋭いナイフのようにサターンを貫く。リリーの戸惑い、不安、恐怖、そういった感情が痛いほど伝わってきた。それはサターンにとっては初めての体験だった。他人に共感するということを理解出来なかった少年が、確かにリリーの心を理解したのだ。


「言えなくてごめん、リリー。僕たちは人間じゃなくて、魔族なんだ。この世界の魔王、ロベリア・セシリフォーリアを守るために、彼女を倒そうとやってくる勇者をやっつける旅をしてる。さっきから君と話してるフェルシも、そこで眠っているルトロスも、僕を育ててくれた兄弟みたいな二人なんだ。悪い人たちじゃないんだよ。二人は僕たちを助けようとしてくれただけなんだ。だから、あの、その……」


 サターンの声がフェードアウトしていく。リリーは驚きにしばらく声を失っていた。


「勇者をやっつける? じゃあお前たちは人間を滅ぼそうとしてるのか!?」

「違う、そうじゃないんだよ! 僕たち魔族は今まで人間に酷いことしてないだろう? これからだってしないから、ロベリアを殺すのはやめてほしいだけなんだ。だから勇者をやっつけて……ん?あれ?」


 目的を再確認して初めて、サターンは一つの疑問に辿り着く。リリーも同じことを思ったらしく、首を傾げて指摘してきた。


「それは勇者と話し合って和解すればいいんじゃないのか? 魔王を殺して欲しくないから勇者を殺すっていうのは、なんかおかしくないか?」

「うん……たしかに? 何で勇者を殺さなきゃいけないんだっけ? 別にロベリアを殺すのをやめてもらえればそれで良いんじゃなかったっけ?」

「だろ? あんたたちが人間を滅ぼすつもりがないっていうんだったら、勇者を殺しちゃ説得力がなくなるよ。誠実に話せば、勇者っていうんだから立派な人なんだろうし分かってくれるんじゃないの」


 その言葉にサターンは困った顔で答える。


「でも、僕ら魔族の言うことなんて信じてくれるかな? 今まで通った村には、魔族ってだけで受け入れてくれないところがあったよ」


 それを聞いてリリーは少し考え込んでいたが、やがてサターンの両肩に手を置いて宣言した。


「分かった。じゃあ俺があんたらを見張る。あんたたちが人間を滅ぼすつもりなら、俺があんたらをやっつけてやる」


 そして後ろに立つフェルシを指差す。


「おい、あんた!」

「はいはい、なんでしょーか」

「黙って俺を姉さんたちのところに帰す気は無いんだろう? だったら、俺に獣に襲われても撃退できるような力をくれ。戦い方を俺に教えろ!」

「俺たちを殺すかもしれない相手に戦い方を教えろって? んな無茶な要求、飲むと思ってんのか」

「言うこと聞くなら勇者にあんたらは悪い奴じゃないって証言してやるよ」


 それを聞いて、フェルシはなんとも言えない表情を浮かべたが、やがて諦めたように首を振った。


「はあ……。まあ、サターンが勇者を説得したいっていうなら良いよ。確かにお前をこのままあの町に帰すつもりはなかったし。いっとくけど俺、厳しいからな?」

「望むところだ」


 そう答えたリリーに、フェルシは足元にあった木の棒を投げ渡す。自分も棒を拾って、まるで剣のように構えた。


「サターンはあぶねーから下がってろよー」

「え、今すぐやるの!? ちょっと待って!」


 サターンは慌ててルトロスを抱えて脇に避ける。それを見たリリーもフェルシに倣って構えた。その瞳に宿る怒りの色はまだ薄らいではいない。


「あんたらの事情は分かったけど、強引に俺を連れてきたことはまだ納得してないから。ボコボコにしてやるよ、覚悟しとけ!」


 威勢のいい宣言に、フェルシは満足気に笑った。こんなにわくわくするのはいつぶりだろうか。


「望むところだ、かかって来いよ!」


 その言葉を合図に、二人の訓練、と言う建前の喧嘩が幕を開けたのだった。



※※※



 それから、二人は日が暮れるまでずっと剣の打ち合いを続けていた。最初は剣の振り方も全くなっていなかったリリーだったが、夕焼けが世界を染める頃には基本的な動きは完璧に身に付いていて、フェルシでさえ少し驚いていた。フェルシは良い生徒に出会ったことで調子に乗ったらしく、楽しそうに色々な戦術を教えている。


「二人ともよく飽きないな……」


 サターンが地面に座り込んであくびをしながら呟いた。彼はこの訓練を鑑賞するのにいささか飽きてきたところだったのだ。その時、彼の隣で眠っていたルトロスが眼を覚まし起き上がってきた。


「サターン?」

「あ、ルトロス! もう調子は大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だ。心配をかけてすまなかったな」


 優しく微笑むルトロスの表情に、サターンは安心する。もう彼は苦しそうではなかった。


「良かった。僕のせいでルトロスに無理させちゃったから……。でも、どうして僕が呼んだらすぐに来られたの? 僕があそこにいるってなんで分かったの?」


 そんなサターンの問いかけに、ルトロスは曖昧に笑う。


「俺の目はどこにいてもサターンを見守ることが出来るからだよ」


 ぼんやりとした答えにサターンは不服そうな顔をして次の質問をしようと口を開くが、ルトロスが座るサターンの肩に寄りかかって来て言えなくなった。


「まだ具合が悪いの?」

「ちょっと調子が出ないだけなんだ。気にしないでくれ」

「でも……」


 心配するサターンに、ルトロスは首を振った。彼は夕日を浴びてひたすら打ち合いを続ける二人を見つめる。そして、まるで昔を思い出す老人のような眼差しで誰にともなく呟いた。


「ああ、懐かしいな……」


 何が懐かしいの、とサターンが尋ねようとした時、彼の視界がチカチカと点滅する。その点滅の合間に、子供のような笑顔を浮かべて剣の打ち合いを続けるフェルシが見えた。けれども、その瞬間のフェルシはいつもと違って見えて、サターンは戸惑う。明滅する視界の中で、フェルシは真っ白な髪を振り乱して、桃色の瞳を細めて笑っていた。


「え……?」


 思わず目をこする。再び視界に映ったフェルシはいつもと同じ、黒髪に赤い瞳をしていた。サターンは混乱するが、ルトロスはそんな彼の様子には気づかなかったようだった。彼はただ、安らかな笑顔を浮かべて二人の訓練を見つめるばかりだった。

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