第12話 賛美歌と少年の嘆き
「ルトロス! フェルシ!」
リリーが刺される。そう思った瞬間、サターンに出来たのは二人の名前を呼ぶことだけだった。二人なら何とかしてくれる。頭の中にはそれしか無かった。根拠のないその考えは、けれど確かに正しかったのだ。
その後、何があったのか、実はサターンにはよく分かっていない。
「いいか、サターン。俺が良いと言うまで、絶対に目を開けんじゃねーぞ」
耳元で、フェルシの妙に優しい囁き声が聞こえて。フェルシがリリーを抱きしめてその目を覆い隠すところまでが、サターンの見た全てだった。
「いやああああああああああ!」
「うわああああああ!」
「逃げろ! みんな早く!」
そこにいた町の人々が悲鳴を上げて逃げていくのが聞こえる。思わずサターンが目を開けようとしても、フェルシが大丈夫、と言って制止するのだ。悲鳴に混じって、地鳴りのような音がする。誰かが叫ぶ声が聞こえた。泣き叫ぶ女性の声。
「なんで!? なんでこうなるの!? なんでみんなあの女とリリーのことばっかり守るのよ!? あたしたちだって辛かった! あたしたちだって悲しかったのに! 誰もお母様の死を悲しんでくれなかったじゃない! あたしたちを慰めてくれなかったじゃない! お父様は帰ってくるなりリリー、リリーって言ってばっかり! あたしたちだってもっと優しくされて良いはずでしょ!? それなのに、なんで、なんでなのよ……!」
「お姉様、危ない!」
その時、フェルシが歌い出した。普段のフェルシからは想像も出来ないほど、美しく清らかな歌声で。それは讃美歌だった。世界に溢れる愛を歌い、夢を歌い、希望を歌う祈りのメロディ。その歌声に紛れて、それ以外は何も聞こえなかった。ただ、どこかで二人の女性の叫び声が、聞こえたような気がする。でも、それさえフェルシの祈るような歌声にかき消されてやがて聞こえなくなった。
「フェルシ。フェルシ! ねえ、何が起きてるの!? ねえ、もう目を開けて良い!?」
「おい、離せよ! 姉さん、姉さんたちが!」
「ダメだよ。絶対に、目を開けないで」
そのとき、サターンは地面から溢れるほどの魔力が湧き出してくるのを感じた。目を閉じていても分かる。今、自分たちの足元に、転移の魔法陣が展開されていた。
「待って、フェルシ! ルトロスはどこなの!? この魔法陣は一体……」
「大丈夫。ルトロスはすぐそこにいるよ。魔法陣はルトロスが作ったものだ。この町を出る。今すぐに」
「待て! 姉さんはどうなったんだ!? 俺はこの町から出るつもりはない! 離せ、離せよ……!」
「ごめんな少年。お前の気持ちは汲んでやれない」
「ふざけんな! 俺は! ここにいるって決めたんだ……!」
「フェルシ、フェルシ! ねえお願い、話を聞いてよ!」
「ごめんな」
妙に穏やかな声で、謝罪の言葉だけを述べるフェルシが怖かった。すぐ側にいるというルトロスの気配を全く感じないことも恐ろしい。フェルシの言うことなど聞かず、目を開いてしまえばよかったのかもしれない。けれど、サターンには出来なかった。決定的な何かを見るのが怖かったのだ。決定的に自分たち三人の絆を壊してしまうかもしれない、《何か》を。
魔法陣に力が集まるのを感じる。目を閉じていても、光が地面から放たれるのが分かった。光がサターンたちを包み込んでいく。転移する間際、フェルシがリリーに囁く声が聞こえた。
「今まで辛かったろう。よく、頑張ったな」
周りの音が全て遠ざかっていく。何もかもが闇に飲み込まれるまで、ずっとリリーの叫ぶような泣き声が聞こえていた。
※※※
サターンが目を覚ますと、一行は鬱蒼と茂る森の中に倒れていた。フェルシとリリーもほぼ同時に目を覚ましたようで、あたりを見回している。
「ルトロス……ルトロスは!?」
「あそこだ、あの茂みの中!」
ルトロスの姿が見えないことにサターンは焦るが、フェルシが指差した茂みの中を見ると、確かにルトロスがそこに倒れていた。
「ルトロス!? 大丈夫!?」
ルトロスは苦しそうに胸を抑えながらうずくまっている。確かルトロスは朝から具合が悪かったのではなかったか? サターンはそのことを思い出して泣きそうな顔をした。
「具合が悪かったのに、あんな大規模な転移魔法を使うなんて……! しかも二回もやったんでしょう!? 僕の声を聞いて転移魔法で駆けつけてくれたうえ、あの町を出るために魔法を使ったんだ!? そんな無茶を、どうして……」
その言葉に、ルトロスは苦しそうに顔を歪めたままゆっくりと笑う。
「お前を、愛してるからだよ。俺たちには秘密が多いけど、それでも……お前を想う心だけは、本物だって信じてくれ」
「そんなの分かってるよ! バカじゃないの、僕が二人のこと信じないわけないじゃん!」
サターンが涙目で告げれば、ルトロスは少し苦しみが和らいだような表情を浮かべた。
「そうか……。そうだよな」
そのままルトロスは目を閉じる。サターンはそのぐったりした体を抱きしめて泣きじゃくっていた。
「サターン。ルトロスは休めば大丈夫だから、今は寝かせてやってくれ」
そんなサターンにフェルシは優しく声をかけ、ルトロスを抱えると茂みから出て丁寧に寝かせる。やがて荒かったルトロスの呼吸は安らかになっていった。もう大丈夫だろう、と安心したところで、サターンは無理矢理連れて来てしまったリリーのことを思い出す。
「リリー、大丈夫?」
リリーは目覚めてからピクリとも動かず、呆然として座り込んでいた。茶色の髪が彼の顔を隠してしまい、彼がどんな表情をしているのかサターンには分からない。
「……さんは」
「なあに?」
「姉さんたちは、どうなったんだ」
消えてしまいそうな声で、リリーは問いかける。そんなリリーの隣に座り込んで、フェルシが優しい声で答えた。
「大丈夫。二人はちゃんと、行きたいところに行ったよ。だから、お前はこれから自分が生きたいように生きればいいんだ」
「二人の叫び声が聞こえた。あんたたち、何をしたんだ」
「……何も。ただ、サターンが助けを呼んだから助けただけ」
「…………」
リリーはしばらく黙り込んでいたが、やがて顔を上げる。
「あんたは俺の何を知ってるんだ。なんで、あんなことを……」
その言葉に、フェルシはリリーを安心させようと微笑んだ。
「あの状況見れば何があったかは大体分かる。それに、お前によく似た奴を昔知ってた」
「……なあ、教えてくれよ。俺、これからどうすればいいんだ? 俺、母さんのところに行けるなら、姉さんたちに殺されてもいいって思ってたのに。殺されてあげたほうがいいんだと思ってたのに。それなのに……」
そう言って彼は再びうずくまってしまった。押し殺したような嗚咽が聞こえる。サターンは慰めようと口を開いたが、フェルシに優しく制止された。
「今はそっとしておいてやれ」
サターンは渋々頷く。鬱蒼とした森の奥、一人の少年の慟哭だけが響き渡っていた。
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