第17話 誰が為の剣
アンジェラと別れたあとも、フェルシはずっとその場を離れることができなかった。池に落ちて浮かぶ桜の花びらを見つめて、ただ一人で涙を零すばかり。そんな彼の背後に、誰かがゆっくりと歩み寄ってきた。後ろを振り向くこともないまま、フェルシはその男に声をかける。
「あんたはいつも、あっという間に俺を見つけるな。ガキの頃から、かくれんぼであんたに勝てたことなかったし」
フェルシは涙を見られないよう、両腕でごしごし目をこする。その手をやんわりと抑えて、ルトロスは微笑んだ。
「お前は俺の可愛い弟みたいなものだからな。見失ったりしないよ」
「嘘つけ、本屋で俺を置き去りにしたくせに」
「置き去りって、勝手にいなくなったのはお前の方だろう」
「そりゃそうだけどさ……」
ルトロスがフェルシの頭を優しく撫でる。いつもなら嫌がるはずのフェルシも、このときばかりは幼かった頃のように甘えてすり寄った。
「終わらせてくれってさ」
池に浮かぶ花びらを見つめながら、心ここにあらずといった様子でフェルシは呟いた。ルトロスは穏やかに微笑みその言葉を聞くばかり。
「花は散る様こそ美しい、だって」
その時、強い風が桜の花びらを散らした。その花びらに遮られる視界の中、ルトロスはフェルシの姿が違って見えて目を丸くする。呆然と池を見つめるフェルシを、ルトロスは後ろから優しく抱きしめた。
「じゃあ、終わらせるか」
「決めるのはオラシオンに行ってから、じゃなかったのか?」
「お前がそうしたいなら、ここで決めてしまうのも悪くない」
池を覗けば、そこには二人の姿が映っていた。白い髪に桃色の瞳をした迷子の少年と、その背後に立つ巨大な……。
「ここは不思議なところだね。俺には、お前があの頃の姿に見えるよ」
「ここを訪れた男女はお互いの真実の姿を見ることが出来るんだとよ。でも、別に男女じゃなくても見えるんだな」
「俺たちが特別なだけかもしれないがね」
フェルシの腰まで伸びる長い髪を手にとって、ルトロスは愛おしげに撫でる。
「黒い髪も綺麗だけど、あの頃の白い髪はとても綺麗だった」
「あの頃の俺のままでいて欲しかった?」
「いいや、今のお前も好きだよ」
「気色悪い」
ぴしゃりと返すその声は、いつものフェルシの調子に戻りつつあった。彼は空を見上げる。街の明かりにかき消されて星は少しも見えないが、三日月は俗世の明かりに負けずに美しく輝いていた。
「白い髪に、桃色の瞳の勇者、ねえ……」
「オラシオンに向かうまでに勇者の噂を聞くかと思っていたが、全く聞くことはなかったな。まだ、勇者は世界に見出されていないのかもしれない。案外、お前が勇者なのかもしれないな」
「ご冗談を。もう、誰が勇者なのかあんたは検討ついてんだろ?」
フェルシの問いに、ルトロスは楽しそうに笑う。
「まあ、な。終わりは見えているが、もう少しこの愉快な旅を続けるのも悪くはない」
そこで初めて、フェルシはルトロスの方を見た。彼の笑顔を見て、フェルシは仕方ない、とでも言いたげに肩をすくめため息をつく。
「あんたの判断に従うよ。俺はあんたのための剣だから、あんたに使われるなら本望さ」
いつかの言葉を口にして、フェルシも笑った。もう、その笑顔はいつものフェルシのものだった。
※※※
神の創った世界はある一定のサイクルで腐敗し、再構築が必要になる。そこで神は再構築のスイッチとして「魔王」を作り、そのスイッチを押す者として「勇者」を作り出した。だから、「勇者」と「魔王」は生み出され続ける。世界が完全な崩壊を迎えないためには、必ずいつかスイッチを押さなければならなくなるから。全ては愚かな神が、完璧な世界を創れなかったことを「魔王」の悪行とするための、壮大な「言い訳」にすぎなかった。
けれど、愚かな神は理解していない。その「言い訳」の果てに積み上げられた犠牲者の怨恨は、いつか創造主さえ貫く刃となることを。使い回しの世界の型に、使い回しの概念を嵌め込んで。神は今日も、ハリボテの世界を創り出す。そのうちのいくつかが重大な欠陥を生じようとも、神の知ったことではなかった。その罪深さに気づかぬまま、数多の命を贄として、神は今日も世界に君臨している。
※※※
聖都は大混乱に陥っていた。自ずと見出されるはずの勇者は未だ現れず、教会の聖職者たちは慌てに慌てていた。白い髪に桃色の瞳の人間を見つけ次第片っ端から勇者の剣を引き抜かせてみたものの、抜けるものは一人もいなかった。白い髪に桃色の瞳の人間などそう多くもなく、教会は完全にお手上げ状態になる。
もはややけを起こした教会は、とうとう聖都中の人間に剣を抜かせてみることにした。抜けたものには莫大な報酬を用意する、と謳ったものだから、街中の人々が殺到する。それでも勇者の剣を抜けるものは現れない。教会は困り果てた。なんとかして勇者の剣を抜くことができないものか。悩む彼らの頭から、なぜ勇者の剣を引き抜く必要があったのか、という理由はもう忘れ去られていた。
※※※
翌朝サターンが宿屋で目を覚ますと、他のみんなはもう起きて支度を始めていた。まるで昨日からこの部屋にいたとでもいうようにしれっと出発の準備をしているフェルシを見て、サターンは飛び起きる。
「いつ帰ってきたの、フェルシ! あれだけ最初に言ったのにはぐれるなんて、僕らがどれだけ探したと思ってるのさ!」
そんなサターンに、フェルシはへらへら笑ってごまかした。
「まあまあ。無事に合流できたんだからいいだろ? ほら、早く出発準備しないと置いてくぞー」
「はぐれたのはそっちなのに、置いてくとかありえないでしょ! リリー、フェルシをこらしめて!」
「了解!」
サターンの頼みを受けて、リリーがフェルシに飛びかかる。
「うわ!? おい、やめろって、放せよー!」
「俺たち、街中探し回ったんだからな! このくらいの罰は受けて当然だ!」
「ごめんなさい、反省してます、だから放せー!」
「反省が足りてない!」
「リリー、もっとやっちゃえー!」
楽しそうにじゃれ合う三人を、ルトロスは父親のような兄のような、優しい目つきで見つめていた。
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