第5話 ミミズは食べ物ではありません

 奇妙な浮揚感の中で、彼は微睡んでいた。とても喉が渇いていたことは覚えている。それから、腹が空いていたことも。それで、飲み水を探して彷徨った末、力尽きて倒れたのだった。それなら、この浮揚感は魂が天に昇ろうとする時のそれなのか?自分は死んだ?それはまずい、まだ自分は死にたくない。重たい瞼を上げようと必死になった。真っ暗な視界が徐々に開けていく。やっと目を開いた瞬間、目の前にあったのはうねうね動く長細い生き物だった。


「ぎゃああああああ!?」

「あ、起きた! ほら言ったでしょ、やっぱりこの人ミミズが欲しかったんだよ!」

「いやー、流石にそれはねーだろ……。水だろ、こいつが欲しがってたのって」

「でも、この人の顔に水かけても起きなかったのに、ミミズ近づけたら起きたよ?」

「それはまあ……確かに?」

「ほらね! きっとミミズを食べる変わった人なんだよ、早く食べさせてあげなきゃ!」

「よっしゃ、俺が口開かせるから、お前、口にねじ込んでやれ」

「おっけー!」


 見知らぬ青年が彼の口をこじ開けようとする。うねうね動くミミズがどんどん迫ってくる。彼は思った。きっと、自分は地獄に堕ちたんだ。そして今「ミミズ喰いの刑」に処されようとしているのだ、と。涙目で首を振り、なんとかミミズから逃れようと暴れまわるが、目の前の二人には彼の気持ちは全く伝わっていない。


「なんか……すっげー喜んでんな、こいつ」

「ね、僕の言った通りでしょ?待っててね、もうすぐミミズを食べさせてあげるから」

「んんんんんん! んー! んー!」


 ミミズの匂いが鼻を刺激する。土の匂いとともに、ミミズが口の中に入ってこようとする。ああ、俺、終わったな。そう思い観念して目を閉じた瞬間。


「ちょっと、二人とも何してるんだ!?」


 もう一人の青年が現れて、二人の悪魔を制止した。彼はもっと酷い目に遭わされるのか、と身を強張らせたが、三人目の悪魔の口から出た言葉は想像とは違っていた。


「病人にミミズを食わせようとするなんて、お前たちは悪魔か!」


 あ、こいつら、悪魔じゃなかったんだ。そう思った瞬間、彼の意識は再びブラックアウトした……。



※※※



「あ、また気絶しちゃった」

「お前たちがあんなことするからだろう!なんでミミズなんか食わせようとしたんだ」


 道で倒れていた銀髪の男を拾った三人は、森の中で男の介抱をしていた。近くに川がある様子だったので、ルトロスが水を汲んできて飲ませようとしたのだが。なぜかサターンがその水を気絶した男の顔に全部ぶっかけたので、仕方なくルトロスがもう一度川に向かったのだ。彼が水を汲んで帰ってきたところに、二人の同行者が目を覚ました男にミミズを食わせようとするという地獄絵図を目撃してしまった。


「だって、この人倒れる前にミミズって言ってたから」

「水ぶっかけても起きなかったってことは水じゃなくてミミズが欲しいんじゃねー? って思って」

「「親切心でやりました!」」


 ルトロスは額に手を当ててしばし黙り込む。そのただならぬオーラに、サターンとフェルシはどきりとした。二人で後ろを向いてコソコソささやき合う。


「やべー、もしかして怒らせたやつ?」

「そうみたい。えー、なんで怒ったの? 僕いい事しようとしただけなんだけどな」

「あいつが怒ると超怖いからなー。なんとかなだめよう」

「おっけー」


 作戦会議を終えて、ルトロスをなだめようと後ろを向いた瞬間、目の前に彼がいて二人は驚いた。


「ひいっ!?」

「げっ!?」


 心なしか、太陽の光さえ陰った気がする。一見にこやかに微笑んでいるのが、余計に怖かった。


「二人とも、俺がなぜ怒っているのか分からないのか?」


 二人はコクコクと頷くしかない。


「お前たちは、親切でミミズを食わされたら嬉しいのか」

「「いいえ!」」

「普通に考えて、死にかけても欲するものといえば水に決まっているとは考えないのか」

「それはだって」

「サターンがそう言うから」

「うるさい!」


 すかさず言い合いを始めようとした二人に、ルトロスが怒鳴る。滅多に声を荒らげない彼に怒鳴られて、二人はますます縮こまった。


「サターン、いつも言っているだろう? 相手の気持ちになって考える努力をしろ、と。他人の考えの全てを理解することは難しいが、理解する努力は重要だ」

「はーい……」

「フェルシ。お前は何年生きてるんだ? サターンにはまだ分からないことが多くても仕方がないが、お前はそうじゃないだろう。あんまり馬鹿なことをしていると本気で怒るからな」

「まだあんたの怒りに上があんの!?」

「反省してるのか?」

「してます! ごめんなさい!」


 その時、うう、といううめき声が背後から聞こえて三人は振り向く。その声の主は誰からも忘れ去られていた死にかけの男だった。ルトロスが慌てて駆け寄り、ゆっくりと水を飲ませる。しばらく彼はぐったりしていたが、やがて少し元気を取り戻したらしくはっきりと意識を取り戻した。


「はあああ、生き返った……! 見知らぬ人、どうもありがとう。なんかミミズを食わされかけた気がするんだけど、あれってきっと死にかけてた俺の見た悪夢だよね?」

「違うよ、それは僕が……むぐっ」

「きっとそうだろう! この世にミミズを食わせようとする悪魔のような人間などいるはずがない!」


 余計なことを言おうとするサターンの口を塞いでルトロスがフォローを入れる。しかし、その言葉に男はみるみる青ざめた。


「も、もしかしてあんたら人間か!? ひいいいい!? ごめんなさいごめんなさい! でも、俺殺してなんかいないんです、信じてください!」


 そんな男の様子を見て、三人は互いに顔を見合わせる。そして目覚めた男をよくよく観察して、全員があることに気づいた。


「銀色の髪……」

「水色の瞳?」

「もしかして……」


 三人が結論を出す前に、男がものすごいスピードで土下座する。


「ごめんなさいごめんなさい! 俺、魔族ですけど悪いことなんかしません! だから許してください! お願いします!」


 その言葉に、一行は揃って頭を抱えたのだった。

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