ゆみりと迷子 その1

 時間の感覚は一様じゃない。物理的な長さが等しくても、実際に体感されるスパンは人それぞれで、永遠が一瞬にも、一瞬が永遠にも感じられたりする。

最近は一日が短くなったような気がする。いつも通りの時刻に起床し、いつも通り自転車を走らせ、隣町にあるこの図書館へやってくる。何の変哲もないただの日常。お気に入りの物語を片手に、ゆみりはいつもの聖域に収まる。

幼い女の子が目の前を歩いて行った。目深にかぶった青い帽子の隙間から、ちらりとこちらに視線をよこした気がした。けれどそんなものは気にしないのだ。そしてゆみりは小説世界への没入を開始する。もちろん作品は少女と魔法使いの物語である。

物語は中盤に差し掛かっていた。魔法使いとの契約に一抹の不安を感じながらも、結局少女はその申し出を承諾した。魔法使いの言葉に嘘偽りはなかったようで、少女は自分の望む姿を手に入れた。

病弱な彼女はもういなかった。精力的に家業の手伝いができるようになり、家庭の貧困も徐々に解消されていった。今となってはむしろ裕福といえるかもしれなかった。

だが、それもこれもすべて魔法使いのおかげであることを少女は知っていた。これまでだって両親は精一杯仕事に従事していたのだ。そこに少女の手が加わったくらいで現状を打開するほどの恩恵など生じるはずがなかった。すべては不思議な魔法の力による巡り合わせだった。

だから、少女は日々、魔法使いへの感謝の気持ちを忘れないようにしていた。今の生活は決して当たり前のものではないのだと常に自分に言い聞かせた。けれど、裏を返せば、それほどに少女は新しい生活を謳歌していたのである。

「おはよー。ゆみりちゃん」

そこへ極めて自然になつみがやってきて、物語は中断された。

「……おはようございます」

ゆみりが挨拶を返すと、なつみは慣れた様子で隣に腰を落ち着けた。エナメルバッグを静かに床に下ろす。その前をさっき見かけた青い帽子の女の子が再び通っていった。

すでにゆみりの聖域は崩落したと言っていい。なつみはすっかりここに居ついてしまっている。まったりと背もたれに体を預けたなつみは、とても居心地がよさそうである。

だが、ゆみりも当初に比べれば隣の席でくつろぐ少女がだいぶ気にならなくなっていた。先ほどのように読書を中断させられても、それほどの不快感はない。もちろん全くないと言えば嘘になるんだろうけれど。

なつみがゆったりとした動きで、バッグから何かを取り出した。デフォルメされた少女のイラスト。ゆみりと選んだあの物語である。

本を開き、挟んでいた栞を抜いてなつみはそれを読み始めた。一連の動作を横目で見ていたゆみりはふと気がついた。

既になつみは物語を半分以上読み進めていたのである。

二人でゲームをした日から数日が経っていた。だから決して不自然なことではないのだけれど、あれほど読書が苦手そうだったのに、とゆみりは少し意外に感じた。

やっぱり時間が経つのが早い。ゆみりは改めてそう思った。

物語の世界へ帰還しようとゆみりも再び本を手に取った。

そして。

みたび、あの青帽子の少女がゆみりたちの前を通りかかって、そのまま足を止めた。

首を左右にめぐらし、少女はゆみりとなつみを交互に見る。三人はしばらく互いの姿を見つめ合っていた。

「なんなんですか?」

 最初に口を開いたのはゆみりだった。嫌悪感丸出しの口調である。年下が相手でも普段の態度を曲げる気はさらさらなかった。

他人を凝視するのは失礼である。そう教えられなかった子どもが将来、先日の中年女たちのようになるのだとゆみりは固く信じている。

だが青帽子の少女が、ゆみりの高圧的な言動に動じた様子はなかった。無表情のまま二人をしげしげと見つめている。

「ゆみりちゃん、ちょっと怖いよ。言い方も、顔も」

 横からなつみが小声で指摘する。言い方はさておき、怖い顔をしたつもりはなかったのだが。険悪な口調に表情がつられてしまったのだろう。

 なつみが身を乗り出し、女の子の前にしゃがみこんだ。女の子を下から見上げる体勢になる。それに合わせて、少女の視線も下がる。

「きみ、どうかしたの? お姉さんたちにご用?」

 マニュアルに則ったようななつみの台詞に、ゆみりは少し鼻白んでしまった。

 ゆみりは幼児語の類が嫌いだった。三年生にもなって、大人に幼児語で話しかけられたのは嫌な思い出だ。小柄なゆみりにとってはなおさらである。耐え難い屈辱だった。

幼子にわかりやすくものを伝える配慮なのだろうが、使いどころを間違えると単に相手を馬鹿にするだけの言葉に成り下がってしまう。

少女は二年生くらいに見えた。ゆみりだったら標準語で話す。なつみの台詞は決して幼児語ではないが、声音にそれが出てしまっている。

「……ご用、と言えば、ご用です」

 けれど、なつみの言動には特に気も留めず、少女はか細い声でそう言った。今は下を向いているせいか、少し聞き取りづらかった。

「……お母さんが迷子になりました。どこかで見ませんでしたか?」

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