ゆみりとなつみ その7
嘘。
もう一度、なつみと初めて出会ったときのことを思い返す。確か――ゆみりの睥睨にひるんだなつみは、その後しょうもない嘘を吐いたはずだ。あからさまな嘘を。
なつみは。
嘘が吐けないのだ。根っこから素直なあの子は嘘が下手なのだ。なつみの嘘を見破る機会は何度かあった。
なつみが嘘を吐けば、すぐにわかる。そして別れ際、ゆみりに浴びせた言葉に偽りはないように感じられた。
ゆみりはすっと立ち上がった。洗面所へ行き、涙の伝った顔を洗った。泣くと頬に痕が残ってしまう。それを帰ってきたお母さんに見られたくなかったのだ。
濡れそぼった顔をタオルで拭いて、ゆみりは思った。
ちゃんとなつみに謝ろう。あの子は自分が嫌いなのではないのだ。あの子は――なつみは、ゆみりの友達である。
家を出ると、陽が少し傾きかけていた。腕時計に目を遣る。午後四時だった。
普段帰るのは何時ぐらいだったろう。はっきりとは思い出せなかった。茜色に空が染まったら家に帰る。それがゆみりとなつみの暗黙の了解だった。だから、自分たちがいつごろ帰り支度をしていたのかほとんど記憶にない。
でも、空はまだ所々青かった。たぶんいつもまだ帰っていない。
ゆみりは自転車にまたがり、力いっぱい漕ぎ出した。なつみがいるかもしれない。いつもと同じ席に座って、ゆみりが謝りに来るのを待っているかもしれない。今なら、きっと間に合う。ゆみりは前だけを見て、必死にペダルをこぎ続けた。
図書館に到着すると、ゆみりは入口へ急いだ。自動ドアが開くまでの時間がじれったい。空を見上げると、先ほどより赤味が増している。夕暮れた空がゆみりを焦らせた。
二階へ駆けあがり、いつもの場所へ急ぐ。そこには――誰もいなかった。ゆみりは息を弾ませ、書架の間の通路をしらみつぶしに見て回った。なつみの姿はない。
三階に上がる。なつみはいない。
四階。やっぱりいない。
最後の望みをかけて、ゆみりは五階に上がった。
ゆみりもこのフロアには来たことがなかった。異国の書物が書棚を隅から隅まで埋め尽くしている。得体のしれぬ文字の群れに思わずゆみりはひるむ。親しみが一切感じられない空間だった。孤独が強く実感される。
先日、なつみもここへ迷い込んだらしかった。ひよりの母親を探して、こんなところまでやってきてしまったらしい。
その時のなつみも、今みたいに心細かったのだろうか。母親を探すなつみはかなり責任を感じていたみたいだった。たった一人で責任をしょい込んでいた。自分の行動が実を結ぶかどうか不安だったに違いない。
そんななつみを、ゆみりは無神経に館内放送で呼び出したのだった。あの子は恥ずかしいと言っていた。謝りはしたけど、なつみは何を思っていたのだろう。やっぱり――怒っていたんだろうか。
いや。ゆみりは首を何度も振ってネガティブな妄想を払い飛ばした。あの子は嘘を吐かない。それに、たとえ怒っていたとしたって、それも含めて謝ればよいのだ。早くなつみを見つけよう。
気合を入れ直し、ゆみりは一本一本の通路を丁寧に見て回る。書架の陰から通路を覗くとき、もしかしたらと期待が高まった。だけど、その期待は何度も裏切られた。目の前にゆみりの望む少女の姿が立ち現れることはなかった。
ゆみりは机の角に脇腹をぶつけた。思いのほか深く食い込んですごく痛い。なつみを探すのに夢中で目の前のそれに気が付けなかったのだ。全ての通路を探し終わり、ゆみりはフロアの隅の閲覧スペースにやってきていた。
大きな窓からは真っ赤な夕日が差し込んでいた。誰もいない図書館の一室を禍々しいくらいに赤く染め上げている。
それは幾度となく目にしてきた光景だった。この茜色に追い立てられるようにして、ゆみりたちは帰り支度を始める。
――時間切れであった。
そう悟った瞬間、ゆみりは急に力が抜けた。手近にあった椅子を引いて座った。改めて夕日を見遣る。とても悲しい色をしていた。
なつみはいない、と本当はわかっていた気がする。読書嫌いのなつみがこんなところへ戻ってくるはずがないのだ。ましてや、ゆみりとけんか別れした直後である。間違いなく、この場所はなつみにゆみりを連想させるはずだ。
ゆみりは願っていたのだ。なつみがここにいることを。すぐにごめんなさいの一言が伝えられることを。
でも、そんなうまい話があるはずもなかった。結局なつみには会えなかった。ゆみりは夕日から目をそらした。これ以上眺めていると、また泣いてしまいそうだった。ゆみりは立ち上がり、夕日に背を向けた。
――もう、私に構わないでください。
自分の言葉が脳裏をよぎった。あんなことを言ってしまった。なつみは真に受けてしまっただろうか。また、後ろ向きの妄想にかられそうになる。
――でも。なつみを信じるしかない。ゆみりにできるのはそれだけだった。
明日も来る。
ゆみりはそう決めた。あの子がやって来るまで、ゆみりはいつもの席で待ち続ける。そして、きちんと相手の顔を見て謝ってみせるのだ。
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