ゆみりとなつみ その5

 確かに、ゆみりの突然の退席は雰囲気を壊すに十分なものだったろう。でも、元はと言えば、少女たちがいきなり絡んできたことがそもそもの発端である。こうも露骨に怒りを向けられるとは思っていなかった。

「あれでいいんですよ。あんな無遠慮な人たちには」

「無遠慮なんかじゃないよ!」

 なつみは声を荒げた。こんななつみを見るのは初めてだった。

「……せっかく声、掛けてきてくれたのに」

「声掛けてくれなんて頼んでいません」

 ゆみりはむきになって言い返した。どうして、なつみはあの子たちの肩を持つのだろう。何か調子のいいことを聞かされ、言いくるめられたのだろうか。そんな疑念がゆみりの脳裏で首をもたげた。

「声かけろなんて、頼む人はどこにもいないよ! あの子たちは友達のゆみりちゃんだからこそ話しかけて来たんだよ?」

「名前も知らないような人が友達なわけないじゃないですか」

「それは、ゆみりちゃんが覚えようとしなかっただけでしょ?」

 なつみはなおもゆみりに食って掛かった。

「楽しいの? 歩み寄って来る人を突っぱねて、自分の世界に閉じこもって。そんなんじゃ、ゆみりちゃん、いつか本当に一人ぼっちになっちゃうよ」

 一人ぼっち。その言葉にゆみりの理性は吹き飛んだ。

「もともと私は一人ぼっちです!」

 勝手に涙が流れた。

「家にいたって、学校にいたって。……だから、私は小説を読むんです。あそこにいれば、私だって一人じゃなくなるから……」

「そんなの何の解決にもなってないよ! 本の世界なんて所詮まやかし。一人なことに変わりなんかない」

「それ以上言わないで! もう、私に構わないでください」

 捨て台詞を吐いて、ゆみりは駆けだした。

頭の中がぐちゃぐちゃになって何も考えられなかった。図書館まで戻ってくると、すぐに自転車にまたがって誰もいない自宅へ急いだ。一度も後ろを振り返ることはなかった。

 家に入ると、少しだけ気分が落ち着いた。自分でも不思議であった。その理由を探ってみると、すぐに思い当たった。――自分の世界に閉じこもったからだ。皮肉交じりの自嘲にゆみりは虚しくなる。

閉め切りになった室内は蒸し風呂のようだった。ゆみりは窓を開けて、扇風機を付けた。ゆみりの家にエアコンはない。

窓のそばに膝を抱え込んで座った。住み慣れた居間の様子をぼうっと眺めた。簡素な部屋である。生活に必要最低限の家具しか配置されていない。遊びや娯楽といったものとは無縁の部屋だった。

いつもなら、こんな部屋に一人でいるのは御免である。だからこそ、図書館で孤独を解消するのがゆみりの習慣となったのだ。けれど、今日に限っては殺風景な居間の光景もさして気にならなかった。

何もする気になれなかった。小説ですらもゆみりの関心を引くことはなかった。いや、むしろ小説からは距離を置きたい。そんな気分なのかもしれなかった。初めて味わう心境である。

本の世界なんて所詮まやかし。なつみの言葉が脳裏によみがえる。強者の論理だとゆみりは思う。なつみは能動的だ。自分から行動を起こせる。思い返せば、ゲームに誘ったのも、迷子を助けようとしたのもなつみ。今日昼食に誘ってくれたのも。――そして、ゆみりがなつみと知り合うきっかけを作ったのもあの子のほうだ。

対して、ゆみりは受動的だ。強気に自身を主張しているようで、その実周囲に流されているだけである。そして、それが何だか気に入らなくて不器用な自己主張を塗り重ねてしまう。傍から見ればただのわがままである。そんなゆみりに人は寄り付かない。

ゆみりは、強くなりたいのかもしれない。正々堂々自分の意見を述べて、皆にちゃんと自分の姿を見てもらいたいのかもしれなかった。でも、生まれ持った性格を一夜のうちに変えられたら苦労はしない。

だから弱いゆみりは、小説に安らぎを求めるのである。小説であれば、作者の紡いだ筋書きをなぞるだけでいい。受動的なゆみりにも十分できる。そのくせ、次の頁を繰るか否かはすべてゆみりの手にゆだねられている。

うわべの強さ、かりそめの自由を手に入れられるのだ。

それが、弱っちいゆみりの精一杯の抵抗だった。でも、なつみはそれをまやかし呼ばわりした。偽物だなんてゆみりも分かっている。でも、他人の口からそう言われると無性に心苦しかった。

一人は厭。流されるのも厭。受動的な自分は変えられず、小説の世界はまやかし。八方ふさがりではないか。

ゆみりは顔を膝にうずめて目をつぶった。もう、何も考えたくなかった。

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