ゆみりと小説 その7
「――ん? あれ、寝ちゃってたのかな?」
ゆみりに腕をつかまれたまま、寝ぼけたなつみが声を出した。しまった、と思ったときには既に遅かった。咄嗟のことで思わず手を伸ばしてしまっていた。寝ぼけ眼をゆみりに向け、なつみはうっすら微笑んだ。
「やっぱり、起こしてくれた」
なつみをつかんだ自分の腕を、ゆみりはじっと見つめた。半袖のシャツから伸びた白く細い腕は忌々しいくらいに、しっかり力がこもっていた。
ゆみりは乱暴になつみを引き上げて座席に放った。背もたれにどっかり体を預け、にやにや笑いを向けてくるなつみが腹立たしかった。
ゆみりは首を垂れて、電灯を反射してぴかぴか光る硬質な床に視線を落とした。
反射的な動きだった。だから、ゆみりになつみを起こすつもりなんて全くなかった。落ちるなら落ちるで、そのままにするつもりだったのだ。
「ともあれ、これはあたしの勝ちでいいよね?」
なつみはうなだれるゆみりの肩に手を置いた。ゆみりはかみつくような目線をなつみに送った。ひっ、となつみは一瞬ひるんだ。
「わざとやったんじゃないですか?」
「え、なにを?」
なつみはきょとんとした。
「本当は起きてたんじゃないですか?」
いやいや、となつみは顔の前でぶんぶん手を振った。ゆみりはなおも食って掛かる。
「体を落とせば、私が反射的に支えるだろうと見越していたんじゃないですか?」
ちゃんとなつみが眠っていたことは、ゆみりが一番よくわかっている。でなければ、あんなに喧しくいびきを掻くはずもない。それでも、何か一言文句をつけたかった。
無性に悔しかったのだ。
「……あたしにそんな演技力あるように見える?」
なつみの言うことは全くの正論だった。昨日はあんな粗末な嘘を吐いたなつみだ。演技も下手そうだった。ゆみりは再びうなだれた。
「……罰ゲームはなんですか」
観念するようにゆみりは言った。本当ならこの子を追い払うチャンスだったというのに。返り討ちにあってしまうなんて。
「ん、そうだなぁ――」
なつみは宙を見上げて思案する。聞かずとも、その答えはすでに分かっているような気がしたが、やはり少し緊張した。結果の悪いテストが返される直前みたいだった。なつみの視線が小柄なゆみりの身体を射止める。
「――やっぱり、やめとこうかな」
晴れ晴れとしたような口調だった。思いがけぬ発言に、ゆみりはよろよろと顔を上げた。
「……どういう風の吹き回しですか?」
なつみは足元の床に視線を下ろした。
「落っこちるの止めてくれた、お礼かな?」
なつみは首だけ、ゆみりの方に向けた。
「ここの床、すっごく硬そうなんだもの。落ちたら痛そう」
両手で腕をさすって、なつみは怯えるような仕草をした。
けれど、礼などされる筋合いはないとゆみりは思った。確かに図書館の床は石質であり、とても硬そうだ。でも、ここの机は胸の高さほどまでしかない。ずり落ちたところで大した怪我はしないだろう。それなのに――。
「ゆみりちゃん、なんか顔が固いよ」
「固くないです。私はいつもこういう顔ですから」
悔しいような、腹立たしいような、妙な感覚だった。なんだか二重の意味で敗北してしまったような気がする。
突然口許に手を当てて、なつみが小ばかにするように笑った。むっとして、ゆみりは食って掛かる。
「なんですか? その笑いは」
「いや、本当は罰ゲームやりたかったのかなって。ゆみりちゃんも結構乗り気じゃない」
そう言って、なつみは再びくすくすと笑った。固い顔の意味を取り違えられたみたいだった。ゆみりの中で何かが暴発した。
「乗り気なわけないです! あなたは本ッ当に失礼な人ですね‼」
「お静かにお願いします‼」
ゆみりの怒鳴り声に、間髪入れず司書の一喝が投下される。二人はそろって短く悲鳴を上げた。
「ば、場所変えようか?」
なつみがひそひそ声で言う。ゆみりは恨みがましい目でなつみを睨んで、
「あ、あなたのせいですからね」
「え、怒鳴ったのはゆみりちゃんだよ?」
なつみの抗議を無視して、ゆみりはさっさと席を立つ。せかせかと歩き去ってゆくゆみりの小さな背中を、なつみは早足で追いかけた。
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