ゆみりとゲーム その2

「……昨日みたいなやつならこりごりです」

「大丈夫、あんなちゃっちいのじゃないよ」

 あんなちゃっちいのに付き合わされた身にもなってほしい。ゆみりは気怠そうになつみの方を向く。

 いつの間にかなつみは、両手に携帯ゲーム機を持っていた。赤と青の色違い。なつみのエナメルバッグと同じようにてらてらと光を反射している。ノートパソコンみたいに開閉が可能な型だった。横向きにすると本みたいだとゆみりは思った。

「用意周到ですね。ついでに、なんて言って、本当はそれが目的だったんじゃないですか?」

「うっ、鋭いね、ゆみりちゃん」

「誰だってわかりますよ」

 鋭いも何もない。バレバレだ。

「休憩も予定の内だったんですね」

 なつみは自分の黒髪をいじくりながら苦笑いした。

 ゆみりの家にゲーム機はない。そんなものを買う余裕はなかったのだ。

興味を抱いたこともなくはない。中世の世界を舞台にしたRPGなどは、少なからず、ゆみりの好奇心を揺さぶった。ファンファーレが印象的なそのゲームは小説の世界が現前化されたかのように感じられて、一度くらいは遊んでみたいとゆみりも思ったことはある。

だけど、叶わぬ願いを持つのは虚しいとゆみりは知っていた。だから、なるべく意識の外へ追いやるようにしていた。目の前の一対のゲーム機は遠い異国の風物のように感じられた。

「二つも持ってるなんて、すごいですね」

 若干の皮肉を込めてゆみりは言った。なつみに自慢する意図はないのだろうと思う。多分素直に遊びたいだけなのだ。けれど、家庭の状況にわずかながらコンプレックスを抱いているゆみりは、うがった受け取り方しかできなかった。自分が少し嫌になった。

「あたし、兄貴がいるからね」

 青色のゲーム機を差し出しながらなつみが言った。

「友達と一緒に遊びたいって言ったら、これ貸してくれた」

「お兄さんがいるんですか」

 兄弟がいたら、自分の毎日もまた少し変わっていたのだろうか、とゆみりはふと思った。家に帰っても一人ではない。それは鬱陶しそうでもあり、楽しそうでもあった。

ゆみりは差し出されたゲーム機を手に取った。やはり、興味はあるのだ。

「おっ、今日のゆみりちゃんは積極的だねぇ」

「べつにそんなことはないです」

 意固地に答えて、ゆみりは改めて手元の携帯ゲーム機に視線を落とした。

「……面白いんですか? こんなの」

「あれ、ゆみりちゃん、ゲームするの初めて?」

「興味ないですから。こんなことしてる暇があるなら、私は本を読みます」

 家庭の事情を話されても、困るだろうし、正直にそれを打ち明けるのは現状を肯定してしまうような気がして嫌だった。

「それじゃあ、やってみてのお楽しみってことだねっ」

 二つ折りのゲーム機を開き、なつみは電源をオンにしようとした。

「ちょっと待ってください」

 ゆみりはそれをすんでのところで止めた。ゲームに音声が付随されていることはゆみりでも知っている。図書館内でゲームをするなど非常識にもほどがあるだろう。なつみもゆみりの意図を察してくれたみたいだった。

「場所を変えましょう」

 ゆみりの記憶が正しければ、下の階に多目的スペースがあったはずである。休憩や談話の場として利用され、学習スペースの役割も担っていたはずだ。

「……下の階ならたぶん大丈夫だと思います」

 読みかけの本をポーチに仕舞い、ゆみりは青いゲーム機を手に立ち上がった。

 一階の透明なガラスに囲われた区画。一見すると喫煙所のようだが、れっきとした多目的スペースである。周囲を隙間なく囲ったガラスは防音のためだ。

 ゆみりは多目的スペースのスライドドアを開けようとして、ぴたりとその手を止めた。不機嫌な表情になっていると自分でもよく分かった。

 ガラスの奥では、中年の団体がせわしなくしゃべり続けていた。ガラスのおかげで声は漏れていないが、矢継ぎ早に繰り出されるジェスチャーは見ているだけでも耳をふさぎたくなる。さぞや中身のない談義を繰り広げているに違いない。騒音嫌いのゆみりにとっては、最も嫌いな人種の一つだった。

「ここ? ゆみりちゃん」

 ガラス張りの空間を指さして、なつみが訊いてくる。ゆみりはとっさに身体の向きを変えた。

「間違えました。えっと――」

 すがるような気持ちで周囲を見回す。休憩スペースの向こうに喫茶店があるのが目に入る。

「あの喫茶店のことです。私が言ったのは」

無理矢理にもほどがあると自分でも思う。けれど、絶対ガラスの奥へは進みたくなかった。

「あそこならゲームもできるでしょう。さぁ、行きましょう」

 ゆみりはガラス戸の前になつみを置き去りにして、足早に喫茶店の入口へ向かう。

「――ちゃん。ゆみりちゃん」

 けれど、背後から肩をつかまれ、それを邪魔される。ゆみりは即座に振り返り、目をひんむいてなつみを見た。

「なんなんですか? ゲームしたいんじゃないんですか?」

「うん、ゲームはやりたいんだけど……」

「なんです? 言いたいことははっきり言ってください」

「うん。あのね――」

 なつみは喫茶店のほうを指さす。

「あのお店、今日はお休みみたいだよ」

「え――」

 気を動転させて、ゆみりは入口の所に置かれた黒板を見やる。

 そこには白く大きな文字で「closed」とあった。

 ゆみりの肩からゆるゆると力が抜けていく。

「だから、喫茶店はまた今度にしよ」

 なつみはゆみりの両肩をつかんで、ガラス張りの空間へ向きなおらせる。

「今日は、あっちでいいじゃない」

 いや、良くない。

「おばさんたちも賑やかそうにしゃべってるし」

 だからいやなのだ。

「ゲームしたって問題ないでしょ」

 それはそうなのだが。

 よかった、となつみはほっとしたような笑顔を見せた。

「あの中にいるのがおばさんじゃなくて、怖そうなおじさんだったらあたしも多分ひるんでたな」

 多少物騒でも寡黙な爺のほうが喧しい婆より、数段ましだとゆみりは思う。

そもそもどうしてああも際限なく口を動かし続けられるのか、ゆみりにはさっぱり理解できない。会話なんてそれほど楽しいものではないはずなのに。

「行こ、行こっ。ゆみりちゃん」

 耳元にそう言い残して、なつみはさっさと多目的スペースへ足を踏み入れる。扉が開くと、中年女たちの耳障りな笑い声がどっと外に流れ出す。

このまま置き去りにして帰ってしまおうかと思った。けれど、なつみはすぐに振り向いてゆみりに手招きをした。

逃げられそうになかった。

それに、楽しそうにこちらを招くなつみを見ていると、逃げるのもなんだか癪に障るような気がした。

肩をすくめ、ゆっくりとゆみりはガラス戸の向こうへ踏み込んだ。

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