ゆみりとなつみ その13

扉を開ける音が聞こえた。だけど、なつみはそっちに目を遣らなかった。視覚に頼らずとも、やってきたのはゆみりだとなんとなくわかった。

気が付いたのなら、声をかければいいのに。なつみは自分自身に向けてそうつぶやいた。だけど、ゆみりと目を合わせる勇気がなつみにはなかった。

お店での一件で、ゆみりと喧嘩してしまった後もなつみは図書館に足を運んでいた。さっさとゆみりに謝ってしまいたかったのだ。

喧嘩した相手に折れてみせることに、なつみはほとんど抵抗がない。下手に出るよりも、仲たがいしたままの方がよっぽどなつみにとっては苦痛であった。他人から心底嫌われてしまうのはとても悲しかった。だから、なつみはすぐに謝ってしまう。たとえ相手が悪いと心の底では感じていてもである。

ゆみりに対してもそうだった。店でのゆみりの態度がなつみは無性に許せなかったのだ。せっかく声をかけてくれたクラスメートに、どうしてゆみりはぞんざいな態度を取るのだろう。なつみには少しも理解できなかった。

相手にされることを当然だと考えてはならない。いつもなつみはそう思っている。

だが、別に相手してもらえなかった経験があるわけではない。周囲から仲間外れにされたり、無視されたりといったいじめなんかを受けたことは一度もない。

だけど、なつみは友達と過ごす時間が好きだった。やっぱり一人ぼっちは寂しい。できる限り、誰かと一緒にいたかった。なつみも寂しがり屋なのである。

だから、他人が自分の存在を認めてくれることは嬉しいことである。それは当然のことなんかではない、となつみは思う。

だから、ゆみりが刺々しい態度を向けてきても、なつみはさして気にならなかった。これが自然だとすら思っていた。むしろ、初めて訪れた図書館で同じ年頃の子と出会えたことが嬉しかったような気がする。一人ぼっちで本を読んでいるなんて退屈の極みではないか。

だけど、自分以外にまであの横柄な態度を見せて欲しくはなかった。ゆみりをクラスメートと認め、話しかけてきたあの子たちを手荒に追い払ってほしくなかった。

一緒の時間を過ごすにつれ、ゆみりだって本当は誰かと一緒にいることが嫌いなのではないと分かりかけていたから、なおさらだったかもしれない。

だから、思わずなつみは怒ってしまった。ゆみりにもう少し素直になってほしかった。なつみはそういうつもりだった。

だけど、結局は自身の癇癪にすぎなかったのかもしれないとも思う。友達を大事にする。それは大事な心掛けだとなつみは信じている。でも、あくまでそんなものはなつみの一人よがりにすぎないのだ。いかにも友達のためと言った体で怒ってみせたけれど、実のところは自分勝手な価値観の押し付けなのかもしれなかった。

ゆみりは泣いていた。独りぼっちなことくらい本当はわかっている。心の奥底から絞り出すような声だった。だけど、なつみはそれに耳を貸さなかった。それだけでなく、畳みかけるようになつみはさらにゆみりを責めてしまった。物語の世界なんかまやかしにすぎないと、あの子には極めて辛い事実を無情に突きつけてしまった。ゆみりだって、自分と同じ寂しがり屋なのだとわかりかけていたというのに。

だから、なつみだって悪いのだ。悪いと思うなら、ちゃんと謝ったほうがいいに決まっている。なつみだってそのくらいのことはわかっている。だからこそ、喧嘩をした翌日には、すぐなつみは図書館に赴いた。

ゆみりはいつもの椅子に座っていた。だけど、まるで魂が抜けてしまったようにぼうっとしていた。一度その姿を見てしまうと、謝る気力はみるみるとしぼんでいった。

決して罪悪感が消えてしまったわけではない。だけど、すぐに謝ってしまえばいいなんて、安直には考えられなくなってしまった。

謝るのは悪いことをした人である。ゆみりに対して罪悪感を抱いているのだから、なつみは悪い人だ。ならば、なつみは早くゆみりに謝らなければならない。そんなことはわかっているのだ。

だけど、実際自分の過失を認めてしまうと、なぜだか謝ることがとても怖いものに思えてきてしまった。

変だと思う。

友達との仲を保つため、なつみはすぐに謝るようにしてきた。だけど、そんなときは大抵そこまで悪いことをしたなんて思っていない。なつみのごめんねはいつも形式的なものなのである。謝れば許してもらえる。そんな風に軽く考えていたのかもしれない。

だけど、今は本当に自分が悪いのだと自覚しているのに、ちゃんと謝ることができない。どうして謝るべき時に謝ることができないのだろう。書架の陰からゆみりを見ていたなつみは、そこから一歩も動けなくなってしまった。

その日から、なつみの毎日は物陰からゆみりを見つめるだけのものになった。時折、ゆみりがこちらに気付きそうなそぶりを見せることがあった。だけど、なつみはすぐに身を隠したり、その場から逃げたりして、ゆみりの視線をかわし続けた。そして、今もなつみは正面だけをまっすぐに見つめてゆみりの視線を避けている。

ゆみりの方から手紙をよこすなんて、なつみには思ってもみなかった。花柄の折り紙の封筒に入った可愛らしい手紙だった。文面もあの子なりに気を遣ったことがよくわかるものだった。そして中身は会って話がしたいという趣旨であった。だけど、どんな話をするのかについては一切言及していなかった。

ゆみりはなつみに一体何を伝えたいのだろうか。なつみはひどく不安だった。正直な気持ちを告白すれば、まだ逃げ続けていたかった。だけど、ここで向かい合えなければ、ずっとこのままになってしまうような気がして、なつみは逃げるに逃げられなくなった。

だから、なつみは一緒の時間を多く過ごしたこの席でゆみりを待つことにした。

ゆみりがこっちを見ている。なつみはまだ逃げ続けている。早くここまでやってきて、隣の席に座ってほしい。なつみは書架と書架の間の虚空を見つめてそんなことを考えていた。

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