ゆみりとゲーム その7

 適当なボタンを押すと、タイトル画面がキャラクター選択の画面へと切り替わった。使用可能な全キャラクターの顔写真が表示される。そこに赤と青のカーソルが現れていた。ゆみりが自由に動かせるのは青のカーソルだけだった。赤いのはなつみの物なのだろう。

写真にカーソルを合わせると、そのキャラクターと乗り物の全体像が表示された。その下には、横向きに何本か棒グラフが表示されていた。なつみに尋ねると、それはパラメーターだと教えてくれた。キャラクターによって、最高速度が高かったり、加速力が大きかったり、持久力に秀でているなどと持ち味が違うのだという。

 ゲーム未経験者のゆみりにはもちろんよく理解できなかったので、結局見た目で選ぶことにした。どれも可愛くないのが玉にキズだったが、唯一ペンギンをモチーフにしたらしいキャラクターだけはいくらかましなようにゆみりの目には映ったのでそれを選んだ。

 次に現れたのはコース選択画面だった。まずは簡単なやつで操作に慣れるといいよ、となつみが勝手に決めてしまった。

 ゲーム画面に切り替わる。なつみはトラをモチーフにしたようなキャラクターを選択していた。レースに参加するのは二人のキャラクターだけのようだった。あくまで慣れることが優先なので、無関係なライバルはなつみが排除しておいたのだろう。

 画面上部に三つの赤信号と一つの青信号が現れた。左側の赤信号から順に点灯していく。最右の青信号が点れば、レーススタートなのだろう。

 たかがゲームだが、青信号が近づくにつれ無性に緊張した。徒競走のスタートラインに立ったときの感覚によく似ていた。やっぱり勝負事なんだ、と思う。けれど、失敗したらやり直せばよいのだ。そう思うと少し気が楽になった。

 信号をじっと見つめる。青になったら発進だ。

 信号が――。

 ――青になった。

 ――途端に隣に控えていたなつみのキャラクターが怒涛の勢いで驀進した。

「よっしゃああああ。スタートダッシュ成功!」

 向かいに座るなつみが唐突な歓声を上げる。

「ああ! ずるいです! フライングですよ、今の」

 遅れて、ゆみりのペンギンがのろのろとスタートした。なつみのトラははるか先だ。なおもゆみりは食って掛かる。

「いきなりあんな速く走れるはずがないです」

「タイミング合わせてエンジンかければ、誰でもできるよ」

 ケラケラ笑って、なつみが言う。

「なんなら、やり直す?」

 やり直し。ゲームの特権。

「望むところです」

 ゆみりの返事を聞くと、なつみはポーズ画面を開いたようだった。それに応じてゆみりのゲーム画面もフリーズした。

 ローディング画面が数秒挟まり、スタート前の時点へ戻る。再び画面上部に信号が現れる。赤信号が一つ、二つと点る。三つめが点灯し――。

 ――青になった。

 ばひゅんっ、と軽快な爆音。なつみのトラがロケットスタート。

変わらずのんびり、ゆみりのペンギン。

「もう一回です!」

「はいよー」

 みたび、なつみがスタート前の画面に戻す。

 けれど、何度挑戦しても結果は同じだった。成功するのはなつみだけ。ゆみりのペンギンはついぞ軽快なスタートを切れなかった。

 すでに五十回以上はチャレンジしたような気がする。いい加減に飽きてきた。

「……さっき、百回負けても百一回目で勝てば私達の勝利って言いましたよね」

 ぼそりとゆみりは呟く。

「うん、言ったよ。事実そうだし」

 笑顔でなつみが答える。

「まだ、百回はやってないですよね?」

「たぶん。まだまだ勝機はあるよ、ゆみりちゃん!」

 溌剌とした声でなつみが元気づけてくる。その気持ちはありがたい。でも――。

「……百回負けるのって意外と大変じゃないですか?」

 きょとんとした顔をして、なつみは呆然とゆみりを見つめる。

「……そだね。あたしから言っておいてなんだけど――」

 あたしも百回は負けたことないや、となつみは言った。二人はそろってため息を吐く。

「諦めないって難しいんだね」

「……難しいですね」

 館内には既に西日が差し込んでいた。数時間もの間、スタート練習に打ち込んでいたらしい。ゆみりは何だか自分が悲しくなった。

「私達は結局何をしていたんでしょう……」

 ゆみりはゲーム機をなつみに返した。電源の切り方を知らないので、画面は付きっぱなしである。なつみは二つのゲーム機の電源を慣れた手つきで切り、自分のエナメルバックにしまいだす。

「本当にね。何してたんだろうね、あたしたち――」

 でもさ、となつみは続けた。

「ゆみりちゃん、楽しそうだったよ?」

 ゲームをしまい終えたなつみの黒い眼がちらりとゆみりのほうを見た。そのまなざしにゆみりは思わずたじろいでしまう。

 夢中だったのだから、きっと楽しかったのだろう。でも、言われてみるまでは全然気が付かなかった。こんなたわいもない遊びを自分が楽しんでいたなんて。

 思い返してもばかばかしい限りである。スタートに固執して、本編のゲームなどほとんどプレイしていないに等しい。小説に例えるなら、冒頭の部分だけを短時間に何べんも読み返したようなものである。物語好きのゆみりでも、そんなことは決してやらないし、やろうとも思わない。

 事実、ゆみりは空しさを感じている。でも、それはどことなく心地の良いものでもあった。

 空しいのに、心地よい。

また矛盾している、とゆみりは思う。

悔しいのに、楽しいと言っていたなつみの言葉を思い出す。質は違うけれど、良い感情と悪い感情が同時に内在する点は同じである。そう言った気持ちを実感して、ゆみりは不思議な感覚に襲われた。

初めての経験だからである。楽しいときは楽しい。辛いときは辛い。ゆみりはいつでも自分の気持ちをストレートに表現できる自信があった。けれど――。

今は白旗を振るほかなさそうだった。

「……そうですか。なら、そういうことでいいです」

 ゆみりの返事を聞いて、なつみは満足そうににっこりと笑う。今の気分も妙だけど、この子も不思議だ。他人が楽しいことがそんなに嬉しいのだろうか。もちろん、一緒に遊んだ相手がつまらなそうだったら、悲しいだろうとは思うのだけれど。

 帰り支度を整えて、なつみが立ち上がる。

「ゆみりちゃんが良かったら、また一緒にやろ。ゲーム」

 人懐っこい笑顔を浮かべるなつみに、ゆみりは返す言葉に迷う。即答するのはなんだか気が乗らなかった。でも、拒否する理由も見当たらない。だから、数秒の間をおいて、

「別に、構わないですよ。私は」

 とだけ答えておいた。

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