ゆみりとゲーム その4

再び中年女たちの喧しい駄弁り声が周囲に満ちる。おばさん集団と別れ、なつみがこちらに歩いてきた。

「ごめんね、お待たせ」

 悪びれた様子もなく、なつみは隣の椅子に腰を下ろそうとする。

「私たちはいつから姉妹になったのですか?」

 横目でなつみを睨んで、ゆみりはとげのある声音で問うた。百歩譲って、姉妹の設定を受け入れるにしても、なつみが姉役であることは気に入らなかった。二人は同い年なのだ。何としても一発くらいは抗議しておきたかった。なつみは鞄からゲーム機を取り出す手を止めた。

「――嫌だった?」

 なつみにしてはか細い声だった。少し寂しそうである。正面からそう言われてしまうと、まくし立ててやろうという気概もいささかそがれてしまった。

「嫌……とは言わないでおきますが、なぜあなたが姉なのですか?」

 けれど、そこは絶対に譲りたくなかった。だって妹だなんてまるで子分みたいではないか。親分になりたいわけではないが、下手に回されるのもいい気はしなかった。特になつみの下というのは何とも言えぬ抵抗感があった。

「え? それは……」

 ゆみりちゃんのが小っちゃいからだよ、なんて言ったらゲームを叩きつけて帰ってやろうと思う。

「……あたしだって、たまにはお姉ちゃんになってみたかったんだもん」

 なつみは恥ずかしそうに身をよじった。ゆみりの想定外の返答だった。なつみの言いたいことが、よくわからない。

「家に帰れば正真正銘の妹だもの、あたしは」

 ゆみりは手元の青いゲーム機を一瞥する。なつみには兄がいるのだった。

「こういう機会にお姉さん演じてみても罰は当たらないでしょ?」

 そういうものなのだろうか。兄弟姉妹のいないゆみりには、なつみの感覚にあまり実感がわかない。

 推測にすぎないが、なつみの兄は悪い人間ではないと思う。妹に気前よく遊び道具を貸してくれるのだし、兄妹仲は悪くはないのだろう。けれど、やはり妹の立場は何かと不都合なのだろうか。お姉さんになってみたいというのだし。ゆみりはそんなことをあれこれと想像した。

 それなら、今だけなつみを姉という立場に仕立ててやってもいいかもしれない。ここは自分が少し大人になろう。ゆみりはそう思った。

「……お姉さんになってみた感想はどうですか」

「うーん……」

 なつみは机に肘をついて考え始めた。いきなり訊かれたら、戸惑うのは当然かもしれない。ゆみりはおおらかな気持ちでなつみを待った。考えがまとまったようで、なつみはゆみりに向きなおる。

「……やっぱり下の子の面倒を見るのは大変そうかな!」

「どういう意味ですか!」

 お子様根性丸出しの声でゆみりは怒鳴る。なつみは腹を抱えてけたけたと笑った。本当に失礼な子だ。やっぱり、なつみの妹などふりでも嫌だった。

 なつみはいつまでもゲラゲラと、耳障りに笑っている。ゆみりは我慢の限界だった。

「……私、帰ります」

「あーん、待ってよ、ゆみりちゃん」

 ゲームを置いて、その場を去ろうとするゆみりの袖を、なつみはひしとつかんだ。けれど、ゆみりはそれを振り払う。ショックを受けるなつみの顔が一瞬だけ視界に入った。

不快な思ってまで一緒にいる必要はないのだ。そもそも、ゆみりはなつみを好ましくは思っていないはずだった。

 そうだ。別になつみは友達ではない。少なくともゆみりはそのつもりだ。友達という単語がどのような関係性を示す言葉なのかは、よくわからなかったのだけれど。

 いつのまにか喧しいおばさんたちはいなくなっていた。もしかしたら、ゆみりたちに気を遣ったのかもしれない。そんな気配りのできる大人だとは思えなかったが。

ゆみりは多目的スペースを出て行く。そして後ろ手に扉を閉めようとしたときだった。

突然流れ出したメロディに扉を引く手が止まる。紛れもなくあのRPGのファンファーレだった。小説の世界が立ち現れたかのようで、一度はゆみりの心をつかんだあのゲームの物だ。

どうやらゆみりを引き留めることを諦め、なつみは一人でゲームを始めたみたいだった。ゆみりは引き返すべきか迷った。なつみの持つゲームが、まさかあのRPGだとは思ってもみなかったのだ。

ゆみりはすがるような眼差しをなつみに向ける。向こうに気が付いてもらえればそれが一番だ。出入り口で棒立ちしているゆみりが視界に入れば、恐らくなつみは再び自分を呼びつけるだろう。ゆみりはじれったい気持ちでなつみを凝視する。

けれど、なつみはこちらに背を向けたまま、一向に画面から目を離さない。ゲームに夢中で、こちらに気が付く気配はなかった。

そんななつみの姿が、ますますRPGへの好奇心を駆り立てた。活字には五分で飽きるなつみが、あれほど熱中しているなんて。やはり一度くらいは遊んでみたいものである。

ゆみりの半身が再び多目的スペースに戻る。相変わらずなつみはこちらを見もしない。

やはり、怒らせただろうか。

ゆみりは一瞬だけ自らの言動を振り返る。そしてぶるぶると頭を振った。二つ結びにした髪の毛が頬に当たって少しちくちくした。

悪いのはなつみだ。人を馬鹿にして。ゆみりはあの子のくだらない姉妹ごっこに付き合ってあげただけである。

ならば、ゆみりに非はない。堂々と戻ればいいではないか。気が変わったから遊んでやる、と高飛車に言い放てばいいのだ。

けれど、それもゆみりはできそうになかった。やはりゲームに抱く関心が後ろめたいのだ。

物につられている自分が情けなかった。本心では許していないのに、ゲームをやりたいがために好意的な態度を取り繕うだなんて。

そんなことならいっそ――。

ゆみりは覚悟を決めて、すたすたとなつみの横へ歩いて行った。

「あの――」

 少し震えた声だった。

情けない。

一瞬、間があって、なつみはぱたりとゲームの画面を閉じた。閉じてしまってもいいのだろうか。ゆみりはなぜかどうでもいいことを考えてしまった。

なつみの黒々とした眼がすっとゆみりをとらえる。心なしか寂しそうな眼だった。けれど、なぜかゆみりは少しほっとしてしまった。きっとその眼に怒りの色が見えなかったからだろう。

「……さっきは言いすぎてしまいました。だから、その――」

 言葉の続きが言えない。他人と話慣れていないからうまく謝れそうにない。

「えっと――」

 なつみの眼がすっと細くなった。笑ったのだ。

「あたしが悪かったよ。ごめんね、ゆみりちゃん」

 ゆみりは困惑する。口籠っている間に、先を越されてしまった。

「勝手なことばっか言っちゃって、ごめんね」

 また謝られた。なつみは真っすぐにゆみりの顔を見つめてくる。ゆみりはそれを真っ向からは受け止められなかった。自然と視線をずらしてしまう。

「……もういいですよ」

 素直な子だと思う。これほど率直に謝意を伝えてくる子はあまり記憶にない。脳裏に浮かぶのは、自分勝手な子どもばかりだった。

「それじゃ、改めて」

 隙だらけのゆみりの手に、なつみは青いゲーム機を再び置いた。ほんのりとした重みを感じる。

そのまま受け入れてしまっていいものか、ゆみりは少し迷った。

話が終わったつもりはなかった。けれど、再び視線を向けると、なつみは自分のゲームを終了させようとしているところだった。先のけんかなどは、なつみにとっては既に済んだことなのだろう。これ以上蒸し返しても迷惑なだけに思えた。

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