ゆみりと小説 その2

「……どうして私があなたの本を選ぶんですか。読みたいのを読めばいいじゃないですか」

 本心からの言葉だった。無理に勧められた本は大抵つまらない。書物は自分自身で選び取るのが一番である。

「その読みたいものってのがないのよ」

 少女は合わせた手をほどき、うんざりしたような表情をした。うんざりなのはゆみりの方だった。

「本なんて無理に読むものじゃないです。読みたいものがないなら、家でゲームでもしてればいいじゃないですか」

「そうもいかないのよ‼」

 突然語気が強まった。

「しぃ! 声が大きいです。図書館では静粛に。常識じゃないですか」

「あれ? そうなの? ごめんね」

 少女は照れたようにはにかんだ。

「……来たことないんですか? こういう所」

「うん、恥ずかしながら初めて」

 館内に林立する書架から書架へ、少女は視線を移した。ほうっ、と嘆息したように息を吐いた。

「これだけたくさんあると、どれを読んだらいいのかわかんなくなっちゃうよ」

「目についたものを手当たり次第に読んでいけばいいんです。……あ、目につくものがないんでしたね」

 嫌味を込めたつもりだった。杜撰な対応を重ねれば、いずれ向こうから去ってくれるだろう。ゆみりは一刻も早く物語の世界に帰りたかった。

「そこなのよ!」

 今度は精一杯音量を抑えた声だった。まだまだ引き下がる気配はない。やはりこの子はかなりハートが強い。

「だから、君に本を選ぶの手伝ってほしくて」

 話が振出しに戻った。ゆみりは露骨にため息をついてみせた。

「さっきも言ったじゃないですか。読みたくないなら読む必要はないんです」

「さっき言ったじゃない。そうもいかないって。今年から読書感想文の宿題が出るようになっちゃって」

「感想文、ですか」

 読書感想文は、ゆみりの小学校でも課されていた。当然ながら、ゆみりはとうに終わらせていた。感想文は嫌いだったが、処理するのは造作もない。教員の好みそうな小説を選び、相手の喜びそうな文章を適当にでっち上げればいいのだから。

 本当はそんな気配りも必要ないと思う。お粗末な文章であっても却下されることはないだろう。大事なのは出すか、出さないかだ。だから、面倒ならば、適当な作品を選んで、巻末のあらすじなどを参考にそれっぽいことを書いておけばいいのだ。

 それなのに、この少女はきちんと本を探そうとしている。図書館を訪れるのは初めてだと言っていたから、普段は書籍などには目もくれないのだろうに。見かけによらず、結構真面目なのかもしれなかった。

「そう、だからね、感想文の題材にできるような本を誰かに選んでほしくってさ」

 少女は再び顔の前で手を合わせた。

「……どうして私なんですか?」

「え?」

 少女はあごに手を当て考え込む。

「うーん、まずあたし、今までろくに本なんて読んだことないのね。だから、あたしくらいの歳に推奨されるような図書じゃ、ちょっとレベル高いかなって思ったの」

「それで、年下の私に?」

「そう! 年下でも、あたしなんかよりずっと読書してそうだったからさ」

 確かに大人が勧めて来るような作品は、ある程度活字慣れした児童でないと読み進めるのは苦痛かもしれない。少女の判断はある意味正しいと言える。

「……仕方ないですね。あなたにも簡単に読めそうなものを見繕ってあげます」

 面倒だが、このまま隣にのさばられても困る。さっさと適当な本を渡して帰ってもらうことにした。

 見たところ、相手は中学生である。それなら、小学校高学年向けぐらいの作品を渡してやればいいだろう。けれど、ゆみりは背伸びをして、その年代向けの小説はあまり読んでいないので、どの作品がそれにあたるのか見当はつかなかった。

「わーい! ありがとう!」

 少女は、隣に座るのを許したときと同じように、素直に喜びを表現して立ち上がった。こんな風に自分の気持ちを率直に表す子は、ちょっぴり珍しくゆみりには感じられた。

「これで何とか乗り切れそう。――まったく、あたしも災難なものよね。今年で卒業だってのに、最後の夏休みで、こんな課題につかまっちゃうんだから」

「三年生、なんですか?」

 ゆみりはぽつりと訊いた。中学生と言ってもそこまで年上だとは思えなかった。いささか子供っぽい挙動のせいかもしれない。

「三年生?」

 大きな眼を丸くして、少女は疑問の声を上げた。だけど、すぐに合点が行ったらしく、小さな声で笑いだした。

「あはは、もしかして中学生だと思った? 違うよ、あたしまだ六年だよ。小学生」

 ゆみりは絶句した。同い年だったのだ。

「だから、君に声かけたの。中学年向けなら、何とかあたしにも読めるかなって」

「……私も、六年です」

 怒りに震える声でゆみりが言う。少女の微笑が瞬く間に硬直した。予想だにしなかったのだろう。慌てて弁解を始める。

「うそ! ごめんなさい。なんか……ちんまりしてて可愛らしかったから、つい、その……」

「どうせ私は、ちびですよ!」

 置かれた状況も忘れて、思わず大声を張り上げてしまった。

「館内ではお静かにお願いします!」

 遠くにいた男性の司書に注意されてしまった。彼は迷惑そうにこちらを睨んでいる。

「ちょっと、場所変えよっか」

 少女は乾いた笑いを漏らしながら、ゆみりの背中を押した。司書に睨まれていては気まずいので、嫌々ながらもゆみりはそれに従った。

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