ゆみりと迷子 その6

それで、ここの本が古いとわかるのは、その装飾ゆえです」

 場を仕切りなおすように、ひよりが言った。なつみは当初の話題をすっかり忘れていた。

「今はもう、本は飾らないの?」

「いいえ、装飾製本の文化は生きています。けれど、今ではずっと個人的なものになっているようで」

「個人的?」

「はい。お店で買った普通の本を、持ち主が好きなようにアレンジするんです。ラメを塗ったり、アクセサリーをくっつけたりして」

「装飾っていうより、デコレーションみたいだね」

 色とりどりのアクセサリーに飾られた携帯電話を思いだした。前に一度だけテレビで見たことがある。なつみ自身は携帯電話を持っていない。

「ここにある本は、それとは違いますでしょう?」

 改めてなつみは周囲の書架に視線を巡らせた。きらびやかな点は同じだが、造りはずっと丁寧だ。なつみなどにはとても作れそうにない。

「当時は書物の装飾を専門にした職人さんがたくさんいたそうです。このフロアの本は彼らによって作られたのでしょう」

「職人さんたちはいなくなっちゃったの?」

「そんなことはないです。でも、昔に比べればお仕事は減っているのではないでしょうか?普通の本屋さんで豪勢に装飾された本なんて見たことないでしょう」

 適当な書架から、ひよりは一冊本を引き出した。茶色い革で設えられた表紙に、やはりピカピカと光る金属の帯が複雑な模様を描いている。

「こんなにきれいなんですもの。やっぱり値段が高くなってしまいます。お客さんに買ってもらえなければ、本を売る意味がなくなってしまいますから」

「でも、それは昔だって同じじゃないの?」

 昔の人に限っては気前が良かった、なんて調子のいい話はないだろう。案の定、ひよりはこくりとうなずいた。

「同じでしょうね。――でも、その当時本を買う人は皆お金持ちだったんです。だから、装飾にかかるお金なんて気にも留めなかったのかもしれません」

「お金持ち以外は本を読まなかったの?」

「今とは違って、本はすごく高価なものだったそうですよ。紙がすごく貴重だったそうです。それに、昔は誰もが文字を読み書きできたわけではないですから。お金のない人たちは本を読まないんじゃなくて、読めなかったんですね」

――良かったです、わたしは十分に本を読める時代に生まれてとひよりは言った。

 なつみは文字の読めない生活を少し想像してみた。読めなくても、あまり困らないような気がしたのである。

読書週間のないなつみは元々文字に接する機会が少ない。そもそも文字に出くわさないのなら、文盲が問題になることはないだろう。文字が読めなくたって、会話をすることはできるのだし。

それに、最初から読めないのであれば、読書感想文の宿題などに煩わされることもないのかもしれない。言語能力よりも、自由な時間のほうがずっと価値のあるものになつみには思えた。

「ひよりちゃんは本当に本が好きなんだね」

 正直、少し呆れていた。ひよりにしても、ゆみりにしても、本好きの気持ちはよくわからない。

はいっ、とひよりは元気よく答え、すぐに不思議そうに首をかしげた。

「なつみさんは好きじゃないんですか?」

 なつみは困り顔になって苦笑いした。

「うん、一人で本を読むのはあたし苦手だな。今みたいに誰かとおしゃべりしてるほうがずっと楽しい。……たぶん、あたしは文字が読めなくても何も困ることはないと思うよ」

「そんなはずはないですよ!」

 ひよりは平素に似合わず強い語気でそう言った。

「活字に触れなくても、なつみさんだって漫画を読んだり、ゲームをすることはあるでしょう?」

 言うまでもない。漫画もゲームもなつみは大好きである。

「漫画の吹き出しにあるのは何ですか? ゲームのルールを説明するものは何ですか?」

「あ……」

 文章であり、文字である。

なつみは途端に文盲が恐ろしくなった。

「……あ、あたしも良かったな。文字が読めて」

 そうでしょう、とひよりは朗らかな笑みをなつみに向けた。

「文字が読めなかったら、わたしたちはどんな生活をしているんでしょうね」

 思うよりずっと文字は重要なものだったようだ。なつみは改めて文盲の生活を想像した。

「うーん、あたしはたぶん家にいないね。外で友達引っ張りまわして遊んでると思う」

 文字が読めないなら、文字を遣わずに遊ぶまでである。漫画もゲームも好きだけれど、それにこだわる必要もないのだ。なつみは外遊びも大好きである。

「なつみさんは外遊び好きなんですね」

 少し寂しげにひよりは呟く。

「ひよりちゃんは嫌い?」

「……嫌いなわけではありません。でも、屋内にいるほうが私は好きです」

「家で本を読む方がやっぱり好き?」

 ひよりはこくりとうなずく。

「でも、小学校だと外遊びを強制されたりするんです。読みたい本があっても、教室にいると叱られます」

 なつみの通う学校でも時折見られる光景だった。昼休みに教室でたむろしていると、教師が校庭に出るように催促するのである。

 自ずと外で遊ぶなつみは、それを不自由に感じたことはなかった。けれど、ひよりのような子にとっては違うのだろう。きっと、なつみにとっての読書感想文のようなものなのだ。

 強制は反発を生む。思えば、学校はいつも執拗に読書を勧めてきたような気がする。本離れは家の環境によるものだと思っていたが、実のところは違うのかもしれなかった。

 学校は嫌いじゃないが、もう少し自由を与えてくれてもいいのにとなつみは思う。

「そんなときは嫌々外に行くの?」

「仕方ないですからね。――でも、本も一緒に持ってっちゃいます。校庭の隅にいい木陰があるんです。そこでゆっくりと読書です」

 紙が陽に焼けちゃいそうだから本当はやめるべきなんでしょうけどね、とひよりは言って苦笑いした。ちょっぴり恥ずかしそうである。確かに校庭で本を読んでる児童はかなり珍しいだろう。少なくともなつみは目にしたことがない。

 でも、ゆみりも同じことをやりそうな気がする。外遊びは、あの子もあまり好きじゃないのではないだろうか。

――いや、ゆみりは先生の圧力にすら屈しないかもしれない。教室にいるところを見とがめられても、あのきっつい眼差しで追い返すのかもしれない。そこまで反抗的ではないかもしれないけれど。

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