ゆみりとなつみ その15

一階の多目的スペースには誰もいなかった。これなら大声で泣かれても迷惑にならない。話もゆっくりできそうだった。

ゆみりは窓際の席まで歩いて行った。なつみと一緒にゲームをした時と同じ場所である。ゆみりとなつみは並んでそこに腰かけた。

一通り泣き終えたなつみは脱力したようにうつむいていた。疲れてしまったのかもしれない。号泣すると思っている以上に体力を使うのだとゆみりは知っていた。

「……本当は、あたしが先に謝りたかったよ」

 隣でなつみがぽつりと漏らした。ゆみりは身体をなつみの方に向けた。

「謝る必要はなかったと思います。……悪いのは私の方でしたから」

 ゆみりの言葉になつみは首を横に振った。

「もしそうなら、もっと早くあたしは謝れていたと思うよ。口先だけのごめんねは、あたし得意みたいだから」

 なつみの言いたいことが、ゆみりにはよくわからなかった。ゆみりは口先だけでも、ほとんど謝ったことがない気がする。――相手がいなかったからだ。

「でも、本心から謝るのは思うよりも難しかった。なんだか怖くて」

 あたしは臆病者だね、となつみは言った。浮かない表情で視線をガラスの外に向ける。だけど、ゆみりには何となく違和感があった。以前にも、こんなやり取りをした記憶があったのだ。

 ――そうだ。ゲームに誘われたときのことである。だから、場所もおそらく今と同じであろう。まるで世話のかかる小児のような扱いを受け、ゆみりがへそを曲げたのである。

一月ほど前の出来事にすぎないが、なんだか少し懐かしく感じられた。思い返してみれば、あれはほんの冗談だったのだと今はわかる。だけど、あの時はまだなつみのことが気に食わなかった。意識的にこの子のあらを探していたような気さえした。ゆみりは少し恥ずかしくなった。つまらないことで怒りだしたものである。

だけど、そんな偏屈なゆみりに対して、なつみはすぐに謝ってきたような記憶がある。ゲームのファンファーレにつられて戻ってきたはいいが、あの時ゆみりは素直に謝ることができなかったのだ。口ごもっているうちに、さっさと向こうから謝られてしまったのだと思う。

別になつみは臆病でもない。ゆみりはそう思った。あの時に関しては、臆病者はゆみりの方だった。だから、ゆみりはなつみにそう言ってやった。ゆみりとしては慰めの言葉のつもりだったが、なつみの表情はますます沈んだ。

「……ああいうのを口先だけって言うんだよ。正直、自分が悪いとは思っていなかった」

 それはそうだろう。あのくらいで毎回機嫌を損ねられたら、たまったものではない。なつみの言う「口先だけ」というが、ゆみりも少しずつ分かってきた。仲違い防止の緩衝材と言ったところだろうか。確かにそれは形式だけで、真意はこもっていない。

「ごめんね……」

 はぁ、とため息をついた。また、言っちゃったとなつみは呟いた。今のもなつみとしては口先だけだということだろう。

「それは何に対する謝罪ですか?」

「ゲームしたときのごめんねは口先だけだったことに対してのごめんね」

 面倒な話になってきた。あの時ゆみりにかけた言葉が口先だけであったことを、なつみは謝った。だけど、なつみにしてみればそのごめんねも口先だけのものなのだろう。すると、もう一度謝る必要が出てきて――。

 永遠に終わらないではないか。じれったいことこの上ない。

 ゆみりは、外を向いたままのなつみの頭を両手で挟んで、無理やり自分の方に向けた。

「もう謝らないでください。あなたは悪いことなんてしていないんですから」

「でも……」

「むしろ、私は――」

 嬉しいんです、とゆみりは言った。

「嬉しい?」

 ゆみりはしっかりうなずいてみせて先を続けた。

「あの時の言葉は口先だけだった。それは事実なのかもしれないです」

 ゆみりは真っすぐ、なつみの眼を見つめる。

「でも、あなたはそれを面と向かって伝えてくれたじゃないですか」

「それが……何なの? よくわかんないや、あたしには」

 変なことを口にしている自覚はゆみりにもあった。たぶん、ゆみりの感覚がずれているのだ。最後まで自分の考えを伝えても、恐らくなつみは首をかしげるだろう。

 ――だけど。

「そういうのって――友達みたいでいいじゃないですか」

 なつみの告白に、ゆみりはそんな感想を抱いていた。本心を打ち明けるなんて、友達同士でなければできないだろう。ゆみりなんて他人相手であれば、ろくに口すらも利かなかったのだ。隠す真意すら持ち合わせていなかった。

会話を交わさねば、本心を隠す機会は訪れない。言葉を交わしたところで、赤の他人同士であれば一度隠した気持ちはずっとそのままになるのだろう。だけど、互いが友人だと認め合えたなら、本心の纏ったベールがはがされる機会も、いずれは訪れるのではないだろうか。友達同士とはそんな関係なんじゃないか。ゆみりは内心、そう考えていた。だから、これはあくまでゆみりの身勝手な想像である。

 案の定、ゆみりの感覚がなつみに伝わることはなかったようだ。なつみは難しい顔をして、ますます首をひねっている。以前図鑑で見かけたフクロウみたいだった。

「うーん、友達なら、最初から嘘は吐かないんじゃないかなぁ」

 なつみのつぶやきに、ゆみりは眉を顰める。

「……あなたは、自分が嘘を吐いたと思っているのですか?」

「うん……口先だけの言葉、思ってもいないことを言うのは――嘘だと思う」

 深刻な面持ちでなつみがそう言った直後。

「あっはははははは」

 突然甲高い笑い声をあげたゆみりに、なつみはより一層困惑の表情を見せた。

「それなら、やっぱりあなたは嘘なんてついてないですよ」

「どういうこと?」

 ゆみりは笑いをこらえつつ、なつみの疑問に答えた。

「あなたは嘘がへたくそなんですよ。あなたの言葉に嘘があればすぐわかります」

「嘘がへたくそ?」

 自分では気が付いてなかったようである。怒ればいいやら、喜べばいいやら。なつみはなんとも複雑な表情を浮かべている。ゆみりは幾分落ち着きを取り戻して先を続けた。

「そうですよ。だから、あの時のごめんなさいが嘘だったとしたら、私はあのまま家に帰ってたと思います」

「でも、口先だけだから素直に言えたんだと思うんだけど……」

「それはあなたの思いこみです。実際はそれほど本心からかけ離れた言葉ではなかったということです。現に私は嫌な気持ちがしませんでした。もしあなたが嘘つきだったら――二度と会わなかったかもしれないです」

 少しずつ心を開けたのも、その正直さによるところが大きいとゆみりは思う。こうしてゆみりと話をしている状況そのものが、なつみが嘘つきでない何よりの証拠だ。

「だから――あなたは臆病者なんかじゃないです。少なくとも私はそう思います」

 なつみの眼をまっすぐ見つめて、ゆみりはそう言ってやった。ゆみりなりの精一杯の慰めだった。だけど、なつみは何の反応も示さなかった。口も開かず、ゆみりの顔を見つめ返すばかりである。

 やっぱり会話も難しい。ゆみりはそう思った。

手紙を書く際には、文章で気持ちを伝えるほうが、会話なんかよりよっぽど難しいと考えていた。だけど、ゆみりは口頭ですら、ろくに気持ちを伝えられないようだった。今までのつけが回ってきているみたいだった。友達のいないゆみりは言葉を発する機会も少ないのである。

「……ちょっと驚いちゃった」

 随分と遅れて、ぽつりとなつみがつぶやいた。唐突に返ってきた反応にゆみりは我に返る。

「ゆみりちゃんがそこまで本気になって話してくれるなんて思ってなかったから」

 こんな言い方したら失礼だね、となつみは言って困ったように笑った。

「別にかまわないですよ」

 実際落ち込む人を励ましたのは初めてだと思う。他人を元気づけるために熱弁をふるうなんて、確かにゆみりらしくはない。

「――でも、おかげでちょっぴり元気出たよ。ありがとう、ゆみりちゃん」

 なつみは朗らかに笑ってみせた。ゆみりの気持ちはちゃんと伝わっていたらしい。だけど、思わず、ゆみりは視線をそらしてしまう。その笑顔は明らかに自分に向けられたものであり、ゆみりはなんだかこそばゆくなってしまったのだ。

 それに、面と向かって感謝される機会もあまりない。こんな時はどういう反応を見せればいいのだろう。ゆみりにはよくわからない。だから、ゆみりは思ったままのことを口にした。

「調子が戻ったみたいで――良かったです」

 なんだか当たり障りのない言葉になってしまった。やっぱり会話も難しい。今みたいな返事で本当に良かったのだろうか。柄でもなくうじうじと考えてしまう。だけど、ちらりと横眼で見ると、その表情には明らかに快活さが戻っていた。だから、きっとこれで良かったんだと思うことにした。

「ゆみりちゃん」

 ゆみりを呼ぶ声にも張りが戻っている。いつものなつみだ。だけど、ゆみりがゆっくり顔を向けると、なぜかなつみはにやにやしていた。

「何ですか? その顔は?」

 思わずまた、むっつりとした声音になってしまう。

「いや、さっき笑ったゆみりちゃんを見て。やっぱり、笑った方が可愛いなって」

「……そういうことは、面と向かって言うことじゃないと思います」

 だけど、ゆみりは内心少し嬉しかった。もちろん、可愛いと言われたことがではない。なつみの前で笑えたことが、ゆみりには大きかった。仲直りしたらそうしたいと、ずっと思っていたからだ。

「……照れてる?」

「照れてなんかないです!」

 既視感のあるやり取りだった。だけど、その時とはずいぶん心境が違うような気もした。だって、本心を言えば、照れていないこともなかったからだ。

 けたけたと笑いながら、今度は自分のバッグをあさり出した。なつみはもう次の話題に移ろうとしているらしい。完全になつみのペースだ。

 バッグから一冊の本を取り出し、ゆみりに見せる。デフォルメされた少女のイラスト。ゆみりと一緒に見つけた児童小説である。

「ちゃんと読み終わったよ」

 自慢気になつみは笑ってみせた。本嫌いのなつみにとって、完読は一苦労だったのかもしれない。だけど、今日は既に夏休みの最終日である。今読み終えてなければ、提出は間に合わないだろう。

「当たり前です。感想文はもう書けたんですよね?」

 馬鹿な質問である。当然、そんなものは書き終えていることだろう。

だが、ゆみりの予想に反して、なつみの表情は急激に曇り出した。さっきまでの笑顔は瞬く間にどこかへ行ってしまった。

「その顔は……もしかしてまだ書いてないんですか?」

 なつみはぎこちなくうなずいた。親に詰問される子供みたいだった。

「どうしてですか。全部読んだんですよね? 何にも思わなかったんですか?」

 なつみは答えに窮しているみたいだった。眉間にしわを寄せて微かに唸っている。

 読書好きのゆみりであれば、どんな作品であろうとある程度の感想は思い浮かぶ。だけど、読書嫌いの人間はどうなのだろうか。ゆみりが思う以上に、感想を抱くというのは難しいのだろうか。

「……いや、面白かったんだよ? 読んでみて良かったって思ってるよ?」

 ――そうではないようだ。ますます意味が分からない。

「じゃあ、どうして書いてないんですか? 夏休みは今日で終わりなんですよ?」

「それも分かってるんだけど……。いざ書き始めてみると、『面白かった!』の一言で終わっちゃうんだ……」

「……一年生じゃないんですから。もう少し頑張りましょうよ」

「うん……」

「それに、正直に書かなくたっていいんですよ。あんなの適当なことでっち上げておけば」

「そんな器用なこと、あたしにできると思う?」

 ――無理であろう。この子はうまく嘘が吐けないのだ。

「――ゆみりちゃん、書き方教えて」

 結局そこに落ちつくのだろうと、ゆみりも薄々感じていた。あきれ返ったように、ゆみりは大きくため息を吐いた。

「しょうがないですね。早く紙を出してください。時間がないです」

 ぶっきらぼうにゆみりが言うと、なつみは再びバッグをあさり出した。一通り中身を確認して、ひょいと顔を上げる。

「……ごめん。原稿用紙、家に置いてきちゃった」

 やる気はあるんだろうか。

「どうするんですか? 紙がなきゃ、書けるものも書けないですよ?」

「大丈夫だよ!」

 自信満々になつみは言い切る。その自信はいったいどこからやって来るのだろう。

「ゆみりちゃん――家おいでよ」

「えっ……」

 唐突な誘いに、ゆみりは言葉に詰まってしまう。誰かの家に遊びに行ったことなんて一度もない。

「ほら、早く! 時間ないんだよ」

 頼んできたのは向こうなのに、身勝手なものである。返答も待たず、なつみはゆみりの手を取って早々に歩き出す。

「ちょ……。私はまだ行くとは一言も」

「来てくれなきゃ、あたしに明日はないよー」

 振り向いたなつみは、満面の泣き顔を作ってみせた。

「そんな顔したって……」

 ダメなものはダメです、とは言えなかった。代わりにゆみりはもう一度大きくため息を吐いた。

「……あなたは本当に自分勝手ですね!」

 精一杯憎まれ口をたたいてやった。だけど言葉とは裏腹に、ゆみりの顔には柔らかな笑みがこぼれていた。

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本から始まる夏休み 茅田真尋 @tasogaredaru

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