ゆみりとなつみ その11

 図書館の入口を前にゆみりは立ち止まった。入口の自動ドアは夏の日光を照り返して鈍く光っている。ゆみりはハンカチで汗を拭う。八月の最終日とはいえ、夏の暑さはまだまだしぶとく生き残っていた。だけど、滝のようにほとばしる汗は残暑のせいだけではないような気がした。

 なつみに再会できるチャンスは今日だけだ。ゆみりはそう感じていた。

一昨日、苦心して書いた手紙は机の上からなくなっていた。前向きに解釈すれば、手紙を持って行ったのはなつみだと考えられる。だけど、単に清掃員に捨てられてしまっただけという可能性も捨てきれない。

 迷ううちに、ゆみりは入口の前から一歩も動けなくなってしまった。なんだか、館内に踏み込む最初の一歩に大きな意味があるような気がしてしまったのだ。適当に入館したら、会えるものも会えなくなってしまうような気がした。

 ゆみりにとって、目の前の図書館は巨大な箱であった。箱の中では、なつみとの再会が待っていることをゆみりは期待している。実際、箱の中身はゆみりの期待通りなのかもしれない。だけど、それは現段階においてのみなのかもしれない気もした。

 箱の中身は開けてみるまで分からない。それはどのような状況であってもそうなのだとゆみりは思う。

 物理的に箱を開けずに中身を確認する術はあるのだろう。レーザーだとかセンサーだとか言った道具を使えば、きっとそれも可能なのだ。その原理などはさっぱりわからないのだが。

 だけど、中身の正体を暴かれた時点で、その箱は開かれたも同然なのだという気もする。箱を開けることとその中身を把握することは同値なのではないだろうか。

 だったら、箱を開ける前と後で中身が変化したとしても、誰も気が付かないだろう。認知できるのは箱を開けた後の中身だけである。それ以前に何が入っていたかなんて知る由もない。

 手品や超能力でもない限り、中身のすり替えなど現実に起こるはずもない。常識的に考えればそういう結論になる。だけど、それを厳密に証明することもできないのだ。非存在の証明は往々にして困難なのである。

 だから、今この時刻になつみは眼前の図書館でゆみりを待っていてくれているかもしれないが、ゆみりが館内に足を踏み入れた瞬間――箱を開けた瞬間――なつみはどこにもいなくなってしまうのではないか。そんな不条理で滑稽な妄想をゆみりは無性に捨てきれなかった。

 ――それでも、ゆみりは箱の中身を取り出したかった。見てしまったら、箱の中身は変わるのかもしれない。だけど、見ることなしに中身を取り出すことはできないのだ。

逆に目を向けなければ、ずっと中身は不変なのかもしれない。だけど、取り出すことが叶わないのなら、それはないことと同じだ。存在するのはただの空き箱である。

覚悟を決めて、ゆみりは館内に足を踏み入れた。今までに何度も訪れたエントランスホールの光景が目に飛び込んでくる。なつみとゲームをしたガラス張りの多目的スペース。そして、二階へと続く階段。

ゆみりは階段を駆け上がり、T字になった通路を左に曲がった。扉の前でいったん立ち止まり深呼吸をした。気持ちを落ち着けて、ゆみりは図書館エリアに続く扉を開いた。

左右に広がる書架の列がゆみりを出迎える。これも幾度となく目にしてきた光景である。列の間には入らず、そのまま左へ向かえば、ゆみりの聖域だ。

いや。聖域は消滅したのだ。あそこは既にゆみりだけの空間ではない。友達と一緒に過ごすための場所だ。何と呼べばよいのかゆみりにはわからないけれど、とにかく一人で過ごす空間などではないのである。名前なんかはどうでもよかった。

いつもの席へ目を向ける瞬間、ゆみりは昨日ようやく読み終えた小説の筋書きを思い起こしていた。

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