5-4 ビジネスライクと些細な変化と線の引き方

 もう既に、十は通ったはずなのに。未だに神楽坂かぐらざか邸は慣れなかった。


「こんにちは、大島です」

「ああ、先生ですか。どうぞ」


 門前でインターホンを押せば、返事が来て。扉が開く。目の前に広がるのは、和式の外装を持った、平屋建ての住居。


「いつもありがとうございます」


 入口前まで大介だいすけが現れ、かなめを中へと連れて行く。


「いや、こちらこそ。ところで最近、てるさんを見ないのですが……」

「姉さんでしたら、最近はあちこちへ勉強に出かけていますよ。思うことでも、あったんじゃないんですかね」


 大介のセリフに、要は先日の出来事を振り返る。自分からフっておいて、案外未練たっぷりだった幼馴染の。本心を吐き出した最後の賭け。

 それを容赦なく。心からの言葉で要は切り捨てた。そこはもう、決定事項だった。なにを言われようと、揺るがない局面だった。


「……あの方なりに、前へ進んで行こうとしているのでしょうか」

「さて、存じませんね」


 彼は実用的なのだろう、と要は思った。良し悪しはともかく、自分にとって影響があるか。関係があるか。それが神楽坂大介の判断基準らしい。


「始めましょうか、先生」


 いつの間にか、部屋の前に着いていた。扉を開けば、そこには十分な広さの個室が広がっている。


「ええ。始めましょう、大介君」


 監視役。アドバイザー。生徒が優秀過ぎて、教師が教わっている部分もある。そんな関係。だが、実用的な関係と見れば。それでも十分だった。



 お疲れ様でした。

 言葉を交わして部屋を出て。要は少し遠くに、その姿を認めた。迷う。いくら自分の決意を確認していたとはいえ、あの日の言い草は反省会レベルだった。しかし自分の言葉は曲げられない。あくまでビジネスライク。そう決めて、廊下を歩く。


「あら、いらしてたんですね」


 耳に響く言葉は、なんでもないようで。しかし普段の言葉遣いとは異なっていた。顔には笑み。表情だけの笑いにも見えるけど。


「ええ。仕事ですから」


 心の中でホッとしている自分に、嫌気がさす。でも、顔には出さずに言葉を返す。


「そうですね。……では、紅茶が冷めますので。失礼します」


 反応を少し気にしたが、あまりにもサラリと。会話は打ち切られた。これは失礼しましたと、謝罪だけして。要は神楽坂邸を去っていった。


「……一応無視されないだけ、マシなのかなあ」


 離れた場所で、一言ぼやく。そしてもう一つ。


「勉強の成果って、凄いな」


 再会してから、似合わないなと感じていた女性らしい服装。それが今日は、不思議な程に似合っていた。



 要の、一日のスケジュールは終わった。しかし一日というくくりでは。ある意味ここからが本番だった。


「ただい……のわっ!?」

要兄ようにい、おかえりーっ!」


 グラマラスでミニマムな弾丸が、助走をつけて飛びついてくる。まずその一撃を受け止めるのが、外出した時の日課だった。


「ご近所に響くから、せめて声だけは抑えてほしいんだけど……!」

「ごめんなさい、つい……」


 分かっている。望んでそうしているとはいえ、一人で家事をしているしずくの。寂しさや、心配の具合は。要には測り切れない。だから。


「……ゲームしよか。少しだけ」


 要なりに、距離を近付ける行動を選ぶようになった。スマートフォンの、通信対戦アプリ。寄り添いながら、楽しく遊べる。心を擦り減らさずに済む、現時点でほぼ唯一の作戦だった。


「うんっ! 要兄、今日の夕食はね。アボカドのサラダと、シーフードカレーだよ!」


 見上げるように寄り添ってくる雫は、やっぱり犬のようで。でも大事な妹分だ。だからこそ。ほだされつつも、線は引きたい。


「おお。それは楽しみだ」


 心の内に、一つの決心を。要は定めた。やはりそろそろ。話さなければ。

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