3-4 追憶と逃亡と頬へのキス

 卒業も近付いて、たまの登校日。その日のことを、かなめはよく覚えていた。春先のけだるい暖かさ。いよいよ蕾になろうとしている校庭の桜。そんな中で幼馴染は、なんでもないように言ってのけた。


「一度、付き合ってみないか?」



 てるは、あえて明言した。


「私と要は、かつて一週間程。交際していた」


 要も、あえて大げさにうなずいた。隣に座るしずくにも、事実を知らしめるためだった。


 始めが向こうの勝手なら、終わりも向こうの勝手。それが二人の交際だった。「ごめん。やっぱりなんか違った」。それが終わりのセリフだった。サバサバと、いつもの調子で。輝は言ってのけ。要はただ、わかったとだけ返した。

 あまりに変化がなさ過ぎて、付き合ってるとはとても言えなかった気もしたが。記憶に残っている辺り、そこそこ良い思い出だったのかもしれない。


「で、卒業後。私の母が、こっちの大介の父と再婚した」


 大介がうなずいた。要は小さく口を開いた。まさか、あの人が本当に野望を叶えるなんて。色んな意味で豪快で、きっぷのいい人だったけど。


「ま……。連絡取ってなきゃ、知る由もないわなあ」

「姉さん、もう少し言葉を」

「大介、父さんも母さんも居ないんだ。そんな風に気を張ってたら倒れっちまう」


 輝の言葉は、すっかり往年の口調に戻っていて。要も思わず微笑みかけて。隣からの殺気に気付く。要は慌てて当人の方を向くが、時既に遅く。


「私帰る!」


 椅子を蹴り、雫は席を立ってしまう。


「ちょ、ま……」


 ワンテンポ遅れた要は、部屋からの脱出を許してしまう。


「く、すみません。中座します!」


 仕方なく要は会釈だけ残し、小走りで雫を追いかけるのだった。



 しかし意外なことに。さして遠くない地点で、要は雫を発見できた。雫はちょっとした分かれ道で、自分の行き先を見失っていたのだ。そっと近付き、捕まえる。


「離して!」

「声が大きい」


 身体に触れてしまっているが、背に腹は代えられず。要はそっと、洗面所の方へと雫を連れて行く。


「もうアイツとは、なんでもないんだ。ただの友人の一人。幼馴染。さっきも言ったように、それ以上でもそれ以下でもない」

「うん。それは信じる」


 大前提をもう一度言うと、雫はうなずいた。しかし直後。


「でも、三人で会話してた。私だけほっとかれた。嫉妬なのは分かってる。でも」


 近付かれる。抱きつかれる。要は、内心を押し殺す。


「私は? 私は、要兄の、なに?」


 問いかけは、一つ答えを間違えれば危ういもので。雫の上目遣いを避けるように、要は高い天井を仰いで。そのまま事実を並べる。


「従姉妹。昔からの付き合いの妹分。同居人」


 要は一度言葉を切り、雫を見る。まだ上目遣い。頬が膨らんでいる。ならば、ダメ押しの事実を。


「今は、居ないと困る。助かっている。大事な人だ」


 ぽふり。


 頭に手を置いてやる。温もりを、そっと伝える。


「要兄……」


 見上げる雫の、目が潤んでいた。やり過ぎたか。


「……。ありがと」


 頬に、柔らかい感触。その意味は、要でも分かる。


「戻る……。謝って、お話してみる」


 それきり離れて。再び雫が先頭に立って。歩き出そうとして。


「道、分かるか?」


 要は思わず、問い掛けてしまった。



 改めて雫を先導しながら、要は思う。なぜ雫は、俺に謝罪をさせなかったのだろうと。全て雫が悪いわけではない。要もまた、気を配っていなかった。それを感じ取られたのは、ハッキリと分かった。なのに。


 気を使わせているのか。


 結論に至り、そっと振り向く。雫は数歩後ろを、のんびりと歩いていた。


「ん? 大丈夫だよ、要兄」


 なにを感じたのか、雫はそう言って。いたずらっぽく微笑んで。


「後でたっぷり、なにかするから」


 軽い調子で言われた言葉に、要は背筋を震わせた。

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