4-7 回想とおんぶと帰り道

 八年前。大島要おおしまかなめ、十二歳の夏。盆の頃だっただろうか。袖ヶ浦そでがうら家に、家族で出かけた折の出来事だ。


 まだ幼いしずくと連れ立ち、近くの森で遊んでいた。当時から雫は要によくなついていて、どちらの両親も微笑ましい目で二人を見ていた。特に叔母からの信頼は厚く、多少のことでは咎められなかった。

 その信頼が、仇となった。好奇心から森の奥へ分け入った要は、ちょっと目を離した隙に。雫を見失ってしまったのだ。


「雫ー! 雫ー!」


 背の低い雫を探して要は、わずかな隙間も見逃すまいと。自分の体に傷がつくのも気にせずに、あちこちを見て。必死で叫んで。


「雫ー! し・ず・くー!」


 腕時計なんて持っていなかったから、何分経ったかも分からずに。だんだん日が西日になって。声がかれてきて。


「よおおおにいいい! よおおおにいいい!」


 ようやく、かすかな声を拾って。木でひっかき傷を作りながら、声の方向へ向かって。


「ようにー! よおおおにいいい!」


 徐々に声は、泣きべそ混じりで大きくなって。要はそれに、導かれて。


「雫……。よかった」

「よーにー……。こわかったよう……」


 互いを見つけ、抱き合って。


「もう大丈夫。離さないから」

「うん……。よーにー、すき……」

「うん……」


 雫の頭をなでて。離さないように抱き締めて。温もりと、想いを伝え合って。



 大島要は、思い出す。


「ああ、そうだった。俺は……」


 泣きべそ混じりの声が、記憶を導き。要を誘導する。


「俺は、とっくに……」


 走る。運動不足だから、息は苦しい。でも関係ない。さまよったツケだから。離さないとまで言ったのに、離していた。向き合っていなかった。小賢しいことばかり、考えていた。

 我が家の方向へ走る。声が近付く。ああ、どれだけ心配掛けたのだろう。近所迷惑で怒られそうだ。


「要兄! 要兄、どこー!?」


 やがて見える、小さいシルエット。しかし悲痛で大きな声。余程不安だったのだろう。とうに遅い時間だというのに、雫は普段着のままだった。

 要は手を上げる。自分はここに居ると、しっかりと示して。


「雫、こっちだ! 俺はどこにも行かない!」


 置いて行かれる不安さと。はぐれた時の不安さ。あの時と形は違えど。きっと同じタイプの不安だ。だから要は、力強く言い。


「ようにいっ!」


 雫は早足で駆けて来る。それはどこか危なっかしげな、慌てた様子で。


「ように……痛っ!」


 足が絡まり、転倒する。


「雫っ!?」


 要は小走りで近寄る。どうやら無事に受け身は取れたらしく、顔に傷は付いていなかった。要はしゃがみ込み、目線を合わせて。雫に向けて、手を差し出した。


「雫、行こう。俺達の家に。一緒に帰ろう」

「うん」


 要の前に見えるのは、涙を浮かべた雫。だけど口元は、微笑みの形で。雫の手が、要に伸びて。


「ん……せっと!」


 要はつかみ、引き上げる。見れば左の膝が、擦り剥けていて。


「痛っ……」


 軽く捻ったのか、雫は右足を引きずっていて。要は、軽く息を吐くと。


「雫」


 背を向けて、屈んでみせた。


要兄ようにい、私重いよ? このくらい、自分で歩けるし……」


 雫は断って、自分の足で歩こうとするが。


「っ!?」


 やはり見ていて痛々しく。要は再度背を差し出して。


「ありがと……」


 小さな声と同時に、背中に重みと。柔らかさを得た。八年前よりも重い雫は、要に別の重みも感じさせて。


「んむ……!」

「要兄? 重かったら言ってね?」


 大丈夫。要はそう、言いたかった。だが、それでは足りないとも思った。二度と雫に。このような不安は抱かせたくない。だから。


「大丈夫だよ。いつか言ったよね。『離さない』って」

「!? 要兄、それって……」

「さあね。帰ってからにしようか」


 曇っていた夜空には、いつの間にか月と星がきらめいていた。



第四話・完

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