2-5 回想と修羅場と女性同士のハグ

 かなめには、かつて恋い焦がれた人が居た。


「オイ、大丈夫か。新入生! こんのバカ者共! アルコールの強制は、最悪の場合刑事事件だぞ!」


 春の日。新入生歓迎のコンパで潰された要を、介抱してくれた人。葉桜の下に立つその姿は、颯爽としていて。ほとんど一目惚れだった。


「よう、大島。あんまり暑いから、今日は皆でプールに行くことになったぞ。付いて来い」


 背中を追いかけ、同じサークルに入っても。その人は誰にでも親身だった。当時は知らなかったが、ファンクラブもあった。


「大島、見ろ。紅葉が一面だ。……って、お前の顔も紅葉のようになってるな」


 秋を経て。いつしか焦がれ、夢に見て。耐え切れなくなり。しかし。


「大島、済まない。私には、そういうつもりはなかった。今後も一切ない。誰の告白であっても。私はそうする」


 冬。雪の降る、ホワイトクリスマス。思い切った行為は、空振りに終わった。



 なのに、今。要は抱き締められている。いや、その行為自体は想定の範囲内だ。春野先輩……春野彼方はるのかなたは帰国子女。ハグ程度なら挨拶の部類だ。問題は。


「要兄!? 貴女、何してるんですか! 何者なんですか? 離れて下さい!」


 すぐ隣で、怒りをあらわにしているしずくだ。このままでは、女同士による陰湿な闘争劇が始まりかねない。しかし迫られている当人はあっけらかんとしたもので。


「ハグだよ、ハグ。ちなみに人に身分を問う時は、先に自らの身分を明らかにするものだ」

「っ……」


 あまりに見事な返し技に、要は気が気でない。しかし周りは見えない。人々の注目を、集めてしまいそうなのだが。はたから見れば、完全な修羅場だし。


「大島要の従姉妹の、袖ヶ浦雫と言います。要兄を、離して下さい。名乗って下さい」


 雫の、怒りを押し殺した声が聞こえた。背中に、冷汗が流れる。だが次の瞬間、視界は晴れて。


「良い名乗りだ。私は、春野彼方という。大島要の、先輩だ」


 振り向いて。雫をまっすぐ見て。堂々と名乗る春野。相変わらずの颯爽ぶりで。そのまま雫に近付いて。


「そんなに怒っては、可愛い顔が台無しになる。隠してあげよう」


 ハグ。あまりに唐突なハグ。唐突過ぎて、雫が固まってしまっている。


「んっ、んんっ……!」


 春野の細身からはみ出た、雫のツインテール。プルプルと、小刻みに揺れていて。漏れる声からしても、抵抗の意志はあったようだが。ままならず。


「うむ。実に素晴らしい身体と顔だった」


 たっぷり十秒拘束してから、春野は雫から離れた。要は、顔から血の気が引いていく感覚を味わっていた。要に百合好きの傾向はない。仮にあったとしても、それ以上にヤバい光景である。サービスより他のものが勝ってしまう。


「……。……っ」


 雫は、放心状態だ。なにが起きたのか分からない訳ではないだろう。しかし、動かない。


「む……。キャパを超えていたか。すまん、大島」

「ほどほどにしてくださいよ、先輩……」


 乱れた髪をかきあげながら、春野は要に詫びを入れる。要は仕方なく、雫の目の前に立ち。


パァン!


 両の手を、大きく打ち鳴らす。雫の身体が、ビクッと跳ね、目をパチパチやり始め。要の目を、じーっと見た後。


「……。あれ? 確かハグされて……」


 思考回路がつながったのか、ようやく言葉を発した。それを確認した要は、即座に春野と立ち位置を入れ替える。雫に近付いた春野は、いともあっさりと頭を下げて。


「済まない。少々やりすぎてしまった」


 事実だけを述べ、謝罪した。雫は、わずかに目を大きくした後。


「ハグにしては、少々強いとは思いますけど。親愛のハグということでしたら、私も怒り過ぎたと思います」


 こちらも深々と、頭を下げた。要の視界で、ツインテールが大きく跳ねた。

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