1-3 空腹と上機嫌と間接キッス

 その問いかけに、かなめは答を出せなかった。


「一緒に、暮らそ?」


 しずくの視線は、最後まで回答を求めていた。しかし、あえて振り切った。返事の前に、やるべきことがある。


「明日の朝、叔母さんに連絡する。それからだ」

「はーい……」


 要の淡々とした言葉に、雫のふてくされた声が帰ってきた。一応は聞いてくれるらしい。ホッとした、次の瞬間。


 グゥーキュルル……。


 腹の虫が聞こえた。雫が、耳まで真っ赤にしてうつむいている。そういえば、昼食すら食べていなかった。要も、自分の空腹に気がついて。覚悟を決めた。


「……今から支度するとよけいに遅くなるし、外行こか?」

「うん……」


 つまり、そういうことになった。



 大島要は、両親に感謝していた。押し付けられた乾燥機が、役に立つ時が来るなんて。

 つい数時間前まで、要は全てを放棄していた。髭も髪もボサボサだった。服もよれよれだった。

 しかし、雫がやって来て。一気に洗濯されて。風呂に叩き込まれれば。一応、外に出られるだけの格好にはなる。


「要兄、外は大丈夫なの?」

「来客に不自由をさせるつもりはないさ」


 例え、引きこもり明けの状態であろうとも。そんな言葉を胸に秘めつつ。


 アパート近くのファミレスで、要は雫と言葉を交わす。時計は既に二十一時を回っていて、雰囲気は落ち着いていた。


「えへへ……。ありがとっ」


 雫は、上機嫌だった。許されれば、ダンスでも始めそうである。


「随分とごぎげんだね」


 テーブルに通された要は、メニューを手に取り、対面の雫に見せてやる。雫はメニューに目を通しながら、要に向けて目を細める。


「決まってるじゃん。要兄とのデートだもん」

「っ!?」


 思わぬ一撃に、要は思わず周囲を確認した。。だが、誰もが食事や会話に夢中だった。


「人目があるから、その、やめてね?」

「はーい」


 心臓がうるさく弾むが、表情には出さず。要そっとたしなめる。声が明るい辺り、またやられそうで。


「さて、注文は決まったか?」

「うん。サラダとミートソース」

「そうか。ボタン押すぞ?」


 要は必要な会話だけをすることにした。雫からの攻撃が、怖かった。注文が来た後も、食べる方に集中した。


 しかし、要がハンバーグセットを食べ終えた直後。事件は起きた。


「……ちょっと多かったかな?」


 残り少ないスパゲッティをフォークで巻き取りながら、雫がぼやいた。


「サラダが多かったのかもね」


 要もぼんやりと言葉を返す。背もたれに身体を預け、リラックス。完全に気が緩んでいた。


「かもね……。うん、要兄、食べて? ほら、あーん」


 差し出されるフォーク。意図は、あからさまだった。


「いや、フォークごとこっちに……」

「ダメ。あーん、して?」


 不意討ちだった。少し目をやれば、たわわな胸がテーブルに乗っていた。

 絵面の危うさに、目だけで周囲を見る。今なら、やれるか。


 仕方ない。


 自分に言い聞かせて、顔をフォークへ。雫の笑顔が目に入り、少し視線をずらす。しかし、フォークは避けられず。


「はい、どーぞっ」


 弾んだ声が耳に通り、雫からの攻撃が口に飛び込んできた。

 要は条件反射で口を閉じ、スパゲッティを引き抜いた。味がしない。頬が熱い。周囲の目が怖い。なのに。


「……間接キッス、どお? 美味しかった?」


 雫からの追い討ちが、要に現実を思い知らせる。雫の笑顔が、彼女の勝利を知らせていて。


「……ご馳走様でした」

 

 要は、頭を下げる他なかった。



 アパートへの帰り道、雫は終始上機嫌だった。月を見上げながら、要よりも先を歩いて。


「よーにー? 私が先導してたらどっか行っちゃうよー?」


 天女のように、クスクスと微笑みかける。


「それは困る」


 雫を追って、要はスピードを上げる。不思議とそこに、不快感はなかった。

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