第四話 大島要、数人の者と問答すること

4-1 布越しのハグと欲望と斜め上の決断

 風呂の中、夢でも見ていたかのように。大島要おおしまかなめほうけていた。


 今思い出しても、刺激の強すぎる日々だった。引きこもり。押しかけ。胸。同居。買い物。胸。再会。酒盛り。盗み聞き。サンドイッチ。胸と胸。もう一個再会。逃亡。キス。メイドさん。奉仕。昏倒。初仕事。苦いコーヒー。


 芋づる式に導き出された記憶が、要の脳を駆け巡り。感情を引き出していく。ああすれば良かった。こうしたらどうなっていただろうか。やけに胸の記憶が多い。俺は胸フェチなのか。


 しかし初仕事までが約半月で。今日に至るまでの半月は、別の意味で大変だった。あの奉仕された日。しずくは要を困らせたくないと言っていた。しかし雫は。その分ギリギリを攻めてくるようになった。


「山芋、カキ、アボガド……。なんで夕食のたびに、精力のつく食材が付いてくるんですかねえ。なんかこう、際どい格好をされたり、やたらと距離が近かったり……。思い出すだけで、もう……」


 ぴちゃり。天井から、水滴が落ちる。誘惑して、襲わせようとでもしているのか。そんな疑惑さえ、要には浮かんで。


「あののしかかり、ヤバかったな……。寝静まってから……。はあ……」


 大島要は男である。男である以上、隠し切れないものはある。欲望の決壊は、以前よりも早くなっていた。


要兄ようにい、大丈夫?」


 ノックの音。かかる声。高い声が、心地よい。雫だった。


「ごめん。今出るよ」


 思考を打ち切り、お湯を流す。吸い込まれていく水に、そっと危うい思考を乗せていく。そんなイメージを起こして。要は風呂から出ようとして。


 ニコニコ顔の雫が、タオルを広げて待ち構えていた。


「それ、俺のタオル」

「知ってる。えいっ!」


 足ふきマットの上。水を散らしたくはない。要はタオルアタックを避けられず、あえなく布越しのハグを受けてしまった。


「ごしごし。ごしごしっ」

「じ、自分で拭け」

「いーじゃん。んもー」


 布越しにもかかわらず、雫の柔らかさが襲いかかって。弾んだ声が耳を焼いて。手が肌を刺激して。なのに、雫の表情はタオルの向こうに隠れていて。要にもある邪な感情が、大いに刺激される。だが、雫に向けて解き放てば。

 分からせることはできるだろう。からかうような言動をやめてくれるかもしれない。しかし。今までの関係では、いられなくなってしまう。信用を失ってしまうかもしれない。


「うぐ……。し、雫ちゃん。後は細かいところだから……。ね?」


 そんな恐怖が、要を優しい兄貴分に押し留めていて。


「分かった」


 雫を、物分りの良い妹分という立場に押し込めていた。



 夜半。要は、居間に寝床を戻していた。雫の寝室は、かつては閉め切っていた隣の部屋に移っている。一緒に寝たいと雫にせがまれたが、要もそれだけは阻止した。なぜなら。


「……またやっちまった」


 要にも、欲望の処理が必要だからである。こればかりは、雫に察知されるわけにはいかなかった。ここ数日、夜半過ぎ。要はトイレにこもるようになっていた。

 ため息を付きながら、そっと水を流していく。自己嫌悪は、深まるばかりだった。


「どうしたものか」


 布団の上に乗って、要は考え込んだ。雫は、大切だ。傷つけたくはない。大事にしたい。しかし雫の望みは、他にあるようで。ほんのりと見え隠れしていて。


「でも。直接聞くのは、怖い」


 お前は真面目過ぎる。神楽坂輝かぐらざかてるをはじめとして、様々な人間に言われてきた。なんでも正面から受け止め過ぎる。反応が正直過ぎる。そう言われてきた。

 要は、この一月で改めて思い知らされた。俺が正直過ぎるから、雫は。本当に困る寸前を狙ってくる。要は楽になりたかった。


「そうだ、家出しよう」


 ポツリと湧いた考え。しかしそれは、要にとっての名案だった。

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