幕間 英雄は空からやってくる


「ユイねえさま、どうしてアイたち『ハイエルフ』は、この里にとじこめられているのですか?」


 まだ舌っ足らずで背丈も低い、幼き容貌の児女が尋ねた。

 その子と手を繋ぐのは、『ユイ』と呼ばれた年若くも見目麗しい娘。

 艶やかな銀髪、大きな瞳は美麗な翠で、肌は透きとおるような白。童顔と華奢な体つきながら、豊かな胸元はギャップある魅力を備え、その耳は一般的種族とは異なり少々の尖りを持っていた。

 ユイは穏やかな口調で答える。


「アイ。いつも言っているでしょう? 私たちは『アルトメリア』族のエルフであって、『ハイエルフ』というのは外の人間たちが付けた俗称なの。誇りあるアルトメリアの一員としてちゃんと覚えておきなさい」

「そ、そうでした! わかりましたねえさま!」

「うん。そしてね、私たちアルトメリアは閉じ込められているわけではないのよ。私たちの持つ魔力は大きすぎて……争いの原因になってしまうの。だから、私たちは戦争が終わるまで、長きに渡って隠れ住んでいるのよ」

「そうなのですかぁ……。でも、アイたちはどうしてこんなおんせんだらけの山中に暮らしているのです?」


 自らを『アイ』と呼ぶ幼女は目の前を指差す。

 二人の前に見えるのは、まるで湖のような規模の白濁した一面の湯。

 巨大な温泉であるそこからはもくもくと湯気が立ち上り、空へ登って消えていく。


 それだけではない。

 周囲の様々なところからも同じように湯けむりが立ち上っており、二人の住む山奥の里はいわゆる『温泉郷』と呼ばれる秘湯の集まった特殊な地だった。


 ユイはアイの手を握りながら再度答える。


「それはね、これらの温泉には膨大な魔力の『効能』があるからなの。私たちは遠い昔からずぅっとこれらの温泉に浸かり続けて、この地を守ってきた。アイも、毎日入っているわよね」

「はいっ。とってもきもちいいです! アイも魔力いっぱいなんですよね!」

「そうね。そのおかげで、私たちアルトメリアのエルフはこの世界のどの種族よりも強大な魔力を持つ種族になった。でも……あくまで魔力を持っているだけ。私たちは、とても脆弱な種族なの。だから、私たちは………………」

「……ユイねえさま? どうしたの? くるしいの?」

「……うぅん、大丈夫よ。ありがとうアイ」

「えへへ、よかったぁ」


 会話の途中で表情を曇らせたユイだったが、すぐにまた穏やかな笑顔を取り戻し、アイの頭をそっと撫でる。アイは頭上に広がる青空のように快活に笑った。


 それからアイは目の前の巨大な温泉を指差して言う。


「ねえさま。でも、むかしからこのおんせんにだけは入ってはいけないきまりなのですよね? それはどうしてなのですか? とっても広くて、きもちよさそうです!」

「それはね、この『万魔の秘湯』の『効能』が強すぎて、私たちアルトメリアのエルフにも耐えきれないほどだからなの。十秒も浸かっていたら服が溶けて、やがて身体もなくなってしまうのよ」

「ええーっ! と、とけてしまうのですか? スライムみたいにどろどろになっちゃうのですか!」


 わかりやすく驚いて目をパチパチさせ、自らの頬をぷるぷる揺らしてみせるアイ。

 それを見てユイはくすりと微笑み、続ける。


「そう。私たちが魔術でも使えたら違ったのだろうけれど……だから、けっして入ってはダメよ。これは里の掟なの。わかっているわよね?」

「は、はい! みんなにも入っちゃだめっていっておきます!」

「良い子ね、アイ。約束よ?」

「はい! ユイねえさまとの約束は、ぜったいにまもります! だってアイ、スライムみたいになりたくないです~!」

「ふふ、そうね」


 仲睦まじい姉妹はしばらくそうして笑いあい、手を繋いだまま二人して空を見上げた。


 アイが言う。


「ユイねえさま。はやくせんそうがおわるとよいですね。そしたら、ねえさまたちと外の世界へあそびにいけますよね! 外の世界は、すっごく広いのですよね!」

「アイ……」

「でんせつのとーりに、ゆーしゃさまが空からたすけにきてくれたらいいのになぁ。ね、ユイねえさま!」

「……うん、そうね。いつか、そんな日がきたら……」


 ユイは膝を曲げ、そっと妹を抱きしめた。


「……ねえさま? やっぱり、どこかくるしいのですか? おなかがいたいのですか? アイにまじゅつがつかえたら、ねえさまをなおしてあげられるのになぁ。アイたちはエルフなのに、どうしてまじゅつがつかえないのかなぁ」

「アイ…………ごめんね……」

「ユイねえさま? どうしてあやまるのですか?」


 ユイは悲しげにその眉尻を下げ、アイを抱きしめる手をわずかに強める。だがアイはその理由がわからずに困惑する。


 そのときだった。



「――あっ! ね、ねえさま! たいへんです! 空に!」


「――え?」



 アイが突然上空を指差して大声をあげ、ユイはその手を離してアイが指差す方向に目を向けた。


 すると――空から一人の人間が落下してきていた。


「ねえさま! ゆーしゃさまです! ゆーしゃさまですよ!! でんせつは本当だったんですね! わ~~~~い!」


「――ひ、人!? そんなっ、まさか、ほ、本当に……っ!?」


 ユイは何度も目をパチパチとさせ、信じられないものを見たように驚愕した。

 二人の視界に映るその人間は、自由落下しつつ何かを叫んでいたようだが、二人には何を言っているのか聞き取れない。距離もあるが、どうも言語が違うようだった。


 やがて――その人間は巨大な温泉に凄まじい音を立てて墜落。


 大きな湯しぶきが上がり、少女たちの近くへも飛んでくるほどだった。



 ――少しの間を置いて。



「……た、大変っ! アイ! すぐにみんなを呼んできて! 早くっ!!」

「は、はいっ! わかりました!」


 ユイの声にアイは一度大きく震え、それから森の方へ駆けていく。

 一方で、ユイはほとんど悩むこともなく。


「すぐに助けますからっ! 待っていてくださいっ!」


 とても広いその温泉。膨大な魔力の解けた『万魔の秘湯』。

 入れば決して無事ではすまないはずのその温泉に、だからユイはあえて・・・服を着たままためらわずに飛び込んだ。

 

 そしてすぐに落ちてきた人物――少年の元に辿り着き、その意識を確かめる。

 落下の衝撃で少年は気絶しており、さらに湯を飲んでしまっていた可能性もあるため、ユイは一切迷うこと無くその場で彼の口に自らの口を合わせ、人工呼吸を行った。


 そっと唇を離す。

 少年は、まだ目を覚まさない。


 知らない顔。見覚えのない姿。ユイは、この少年に初めて会ったはずだった。


 しかし。

 心が激しく訴えた。

 絶対に助けなければならないと。

 自分でもどうしてなのかわからない強い衝動に駆られた。この人だけは助けなければならないと確信していた。


「起きて……起きてください……どうか、どうか……!」


 そしてまた、彼女はその口を近づける――。



 多種多様な人間たちと魔族たち。

 魔物。そして神族まで。

 あらゆる生命が輝き続ける神世界『アスリエゥーラ』。しかし、かつての人々と魔族との争いで疲弊した世界。



 ――その日。

 後に新たな世界において『英雄』と呼ばれる勇者は、空から秘湯に落ちてきた。


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