♯87 千年の悲願
そして、聖剣の刀身が淡い光を発した。
「聖剣が…………カ、カナタ殿に……応えている……!!」
背後のシャルがそうつぶやいて驚愕していた。
俺は聖剣を握りしめ、アンジェリカに近づく。
「や、やめろ……無礼な! 妾に近づくな!」
手を前に出し、後ずさりして怯えるアンジェリカ。だが背後は牢であり、これ以上逃げることは出来ない。
『――シャーレの祈りに従い、邪なる力を滅せよ。邪なる力を滅せよ――』
聞こえる。
彼女は解っているはずだ。
この聖剣の本当の力を。
だからあのとき聖剣を踏みつけることはせず、さらに宰相に聖剣を突きつけられているときはあえて弱りきって無力なフリを演じていた。
封じられた状態であれば、いくらドラゴニアの彼女でも簡単に殺されてしまう。
たとえ相手が聖剣の持ち主ですらない宰相だったとしても。それほどまでに、この聖剣に込められた聖なる力は凄まじい。
「妾を……この妾を殺すというのか! ヒトごときが! この妾をッ!!」
明らかな恐怖に怯えながらも、しかし始祖竜の姫として強気なプライドの視線を崩すことはなく、歯をむき出しにして俺を警戒し続ける。
俺は、さらにアンジェリカに近づく。
アンジェリカはなんとか抵抗しようと俺の方へ手を伸ばすが、その手からは一瞬だけボワッと弱い焔が出ただけで終わる。
俺はまた、一歩近づく。
「くっ――! や、やめろ! やめろと言っている! 近づくな!! 聞こえないのか!!!」
アンジェリカはその瞳に涙を湛え、それでもなお吠え続けた。
だが、俺が目の前に立ち、そっと剣を上げたところでついにその顔を伏せて頭を抱えてしまう。
「死ねぬ……死ねぬ死ねぬ! 死ぬわけにはいかぬ! 妾の魂をこのような場所で散らすわけにはいかんのじゃ! 来たるべき日にドラゴニアの使命を果たすまで! 我が王に出逢うまでは――ッ!!!」
震えるアンジェリカ。
そこでユイが俺の名前を呼び、俺はそちらを見て――笑って応えた。
そして、俺は聖剣――刀身の腹をそっと近づけ、アンジェリカの頭に軽くコンッとだけ当てる。
「――え?」
アンジェリカの短い声。
瞬間。
アンジェリカの身体に残っていたわずかな赤いオーラがすべて弾け飛ぶように消え去り、それはキラキラと赤い粒子になって宙を舞う。
「なっ…………あっ、あ、ああ…………っ」
アンジェリカは股をくっつけた女の子座りで周囲を――消えていく魔力の残滓を見つめていた。
「これでよし。元々魔力が弱ってたおかげで楽に終わったな」
その頃には、彼女の頭の角も、背中の翼も、折れた爪も、尻尾さえすべてが消え去っており、激しく燃えさかっていた髪の毛先も鎮火するように大人しくなっている。
「わ、わらわの……わらわの、まりょくが……」
俺の眼にはよく見えている。
全身から完全に魔力を消失した今のアンジェリカは、もはや髪と瞳が紅いだけの小さな女の子であると。
俺はへたり込んだアンジェリカの前でしゃがみ込み、
「お前さ、こういう聖剣の類いで封印されたんだよな?」
「!? な、なぜわかる!」
「こいつが言ってるんだよ。邪なる力を滅せよって。この聖剣、明らかにそういう邪悪な類いのものを消し去るためだけに造られてるからな。けど、俺にはお前の力が邪悪なモノには見えなかったけど……なんか事情があったんだろ」
「それ、は…………」
輝く刀身を見つめる。
役目を終えた剣はもう何も教えてはくれなかったが、十分に働いてくれた。だからもうこれでいい。ありがとな。
なんて、そんな思いで俺は聖剣を脇に置く。
アンジェリカはその聖剣を見て、それからそっと俺の目を見つめてきた。
「…………妾を、殺さぬのか?」
「殺さないよ。つーか無理。俺にそんな勇気ないって。しかもこんな女の子をさ」
「お、おんなのこ?」
「もしユイやシャルたちに万が一があれば俺もどうしてたかわからないけどさ。こうして話も出来るようになったし。無力な子を相手にどうにかするなんて『勇者』のすることじゃないだろ?」
「ゆう、しゃ……」
「それに、俺にはやっぱりお前……いやごめん。君が悪いヤツには見えないんだよな。なんつーか、女神様に似てるっていうかさ」
間の抜けたキョトン顔をするアンジェリカ。そこにはもう、先ほどまでの狂気的な面影はない。殺気も完全に消えている。
アンジェリカは身体から力を抜いたまま言った。
「……貴様は、貴様は、なんなんだ……」
「だから人間だって」
「ただの人間にこのような真似が出来るか! 何より聖女が祈りを込めたその聖剣は選ばれし主の力にしか呼応せんはず! だが持ち主はあの騎士の小娘であろう! なぜ貴様に扱えたのじゃ! 教えよ!」
「い、いや、それは俺もわからないけどさ。でも使えって声が聞こえたんだよ」
「なに――!? 馬鹿な……聖剣の声は、持ち主にさえほとんど……!」
「え? そ、そうなの?」
アンジェリカの言葉を聞いてシャルの方を見てみれば、聞こえていただろうシャルも呆然としたままこくんと一度だけうなずいて教えてくれた。
「う、うーん。まぁ俺もちょっと普通じゃない力持ってるからな。そのせいじゃないか? だから勇者なんて言われちゃってるわけだけど」
「勇者………………? ――あっ!」
と、そこでアンジェリカは何かに気付いたように言った。
「貴様、女神に会うたと言ったな!」
「え? あ、うん」
「であれば、もしやあの力を……【竜脈活性】の力を持っているのではないか!?」
「え? ああ、持ってるけど。それがどうかしたのか?」
「――っ!!」
そう答えれば。
アンジェリカは、言葉もなく紅の瞳でじっと俺を見つめ続けて。
「…………フフ、そうか。フフフッ! 愚かな。妾は一体何をしていたのか。アハハハハハハッ!」
それから――またおかしそうに大きな声で笑い始めた。
俺はどうしたものかとみんなに視線を向けたが、みんなもよくわからないようで困惑しているみたいだった。
やがてその声が止んだとき。
「――そうか。だが得心がいった。ならば、妾が敵うはずもない」
「……え?」
「千年だ。本当に、本当に長かった。ずっと、ずっとずっと待っていた」
「ちょ、ちょっと、どうしたんだよ? 待ってたって? 俺を?」
そうして彼女が顔を上げたとき――アンジェリカの瞳から、大粒の涙がたくさんこぼれ落ちた。
「待っていたのじゃ。ずっと。貴方を。
困惑する俺に、アンジェリカはなんといきなり抱きついてきてしまった!
「――え? え、ええええっ!? ちょ、何なに!?」
慌てる俺。そこへユイやミリーたちも何事かと駆け寄ってきてくれた。
小さな身体で俺に抱きついているアンジェリカは、パッと俺から身を離し、そして涙に濡れた瞳で俺を見上げて愛おしそうにつぶやく。
「待っていた。主様。ずっとずっと。妾は……わたしは! ここで。貴方を」
「え、え? ど、どういうこと? 主様?」
「主様! 主様……主様、主様っ!」
「わぁ! ちょ、ええ!? ま、待って待ってどういうことか説明してくれ! ちょっと! おーい!?」
なんて抱きつかれたまま身動きの取れなくなった俺。
ユイたちも何が起きているのか理解出来ないようで、ただ首をかしげるばかりだった。
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