♯80 追い詰められし者
「よ、寄るなと言っている! お前らの主がどうなってもかまわんのか!」
慌てる宰相はさらにその剣をシャルへと近づけたが、なぜかシャルやリリーナさんたちは皆まったく怯える素振りがない。
その平然とした様子にはさすがの宰相も困惑してしまっていて、俺やユイ、ミリーも同じような状況だった。
「な、なんだお前たち! なぜ引かない! 本当にエイビスを殺すぞ!」
「お言葉ですが、それは不可能です」
「な、何!? どういう意味だ! わ、私は本気だぞッ!」
それでもなお近づいていくリリーナさんの強気な発言に、宰相の目が泳ぐ。
リリーナさんは続けた。
「そちらの『聖剣ゲレヒティヒカイト』は、王子の『聖剣エーヴィヒカイト』と同じく自ら使い手を選ぶ剣。たとえ剣を抜いた状態だとしても、シャルロット様以外に
「!? ば、馬鹿な……戯れ言を! ふざけるなッ! ならば試してやるッ!」
激昂した宰相はその聖剣を両手で固く握りしめて振り上げ――本当にシャルに向かって振り下ろす!
俺もそこで思わず飛び出しそうになったが――
「――なっ!?」
驚愕の声を上げるのは、宰相。
その剣はシャルの頭上でピタリと止まり、まるで不可視の壁でもあるかのように防がれて、その刀身がシャルの元へ届くことはなかった。シャルはただ、静かに目を閉じている。
「馬鹿な……こ、こんなっ、ことがあああああっ!」
宰相の腕はぷるぷると震えており、しっかり力を込めていることがわかる。しかし、それでも剣は一切動くことはなく、まるで主人を守るかのように抵抗している。
ユイやミリーはホッと息をつき、俺も同じように息を吐いた。
なるほど、これを知ってたからリリーナさんたちはあんなに落ち着いてたのか。
「――テトラ。アイリーン」
「「はいっ!」」
そう理解したとき、テトラとアイリーンの二人が牢の外に出ていた他の兵士たちも一掃して、残ったのは牢の中にいる宰相と三人の兵士たちのみ。
「宰相様、これ以上の抵抗は無意味かと。あなた様ならば、私どもヴァリアーゼメイド隊の力はご存じのはず」
「ぐぐっ……ふ、ふんっ! メイド風情が戯言を! まだだ! やれっ!」
そこで宰相が命令を出すと、残った三人の兵士たちが構えた杖で一斉に魔術を発動させ、一度はシャルを捕らえたあの光の触手のようなものが牢の中からぐねぐねと伸び、リリーナさんたちを束縛した。
「うわわっ! なにこれキモッ! つか変なとこさわらなっ――ひうっ!」
「きゃっ!? う、動けない……ですっ!? ひゃんっ! ンッ、あんっ……!」
テトラとアイリーンの悲鳴。
【神眼】を発動させていることでよくわかった。
あの魔術は――【
術者自身の魔力を具現化し、相手を拘束する呪文だ。もちろん俺の写本にも載っているが、行使するにはかなり訓練の必要な魔術らしい。とりわけ相手の魔力が弱い場合、一切持たない場合に強い効力を発揮する。
だからなのだろう、魔力を持たないテトラとアイリーンは完全に動きを封じられており、容赦なく服の中にまで入ってくるその触手に身体中をまさぐられるように締められ、苦しげな声を上げている。すぐにでも助けに行きたい思いを、しかし俺は必死に堪えた。
それでも、リリーナさんだけは平静を努めていて――
「フッ、フハハハハっ! 例えこの地に魔力を弱める作用があるとて、鍛えられたノルメルトの魔術師による拘束魔術は強力だろう! 『魔力無し』のお前たちには抜けられはせぬわ!」
「……それで、どうします?」
「は?」
リリーナさんのたった一言に、宰相が間の抜けた声を上げた。
「私どもを拘束したところで、何も解決致しません。たとえこの場で私どもを始末し、口を封じたところで、私たちが戻らないことを疑問に思ったクローディア殿下がいずれすべてを知るでしょう」
「ぐぅっ……!!」
「たとえ王が許しても、ノルメルトと裏で繋がりを持ち、あまつさえシャルロット様を罠に掛けたことを王子や国民は許しません。すべてが白日の下にさらされたとき、あなた様の地位は剥奪されるはずです」
「ぬぬっ……メ、メイドごときが、わかったようなことを抜かすなッ! このランドールの恥知らずめ! 一体誰に口をきいている! 貴様が育ってこられたのは私の温情だぞ!」
「承知しております。ゆえに説得をしております」
「余計なお世話だっ! 私の力ならばその程度の情報操作などっ!」
「他国との戦争が続き、王族や国民たちも疲弊する中、身内同士で争っている場合ではございません。無意味なことはおやめください。私どもも、これ以上戦いたくなどありません。ですが――」
リリーナさんの正論に、宰相がじりじりと身を引く。
「それでも戦いをお望みとあれば――私は自らの命を賭してでもあなただけは討ちます。メイドになったときから、覚悟は出来ておりますゆえ」
「ひっ……!」
底冷えするような言葉に震え上がる宰相。
宰相はわかっているはずだ。
追い詰められているのは自分の方であること。リリーナさんの言葉は真実みを帯びていること。
そしてテトラやアイリーンとは違い、拘束されているリリーナさんがしかしまだ本気を出してはいないこと。
端から見れば明らかに宰相側が有利に見えて、しかしそれは逆なんだ。
――と、そこでシャルがそっと口を開く。
「……やめろ、リリーナ。宰相殿」
「シャルロット様……」
「!? エ、エイビス……!」
宰相の視線を向けられて、シャルは弱りながらもその芯のある力強い声で言った。
「宰相殿。あなたは、今までヴァリアーゼのために尽力してこられた。だからこそ、その地位を与えられたのでしょう。その功績は国民皆が知るところです。一時の気の迷いはもうやめにして、私たちと共に国をより良い方向へ導くことを考えるべきだ。戦いではなく。恐怖で人を支配することではなく。それ以外の方法を持って」
「ぐ、ぐっ……!」
こんな状況になっても、まだ宰相を説得しようと切実な言葉を投げかけるシャル。そんなシャルに、リリーナさんたちはわずかに顔を綻ばせる。
だから、もうここですべては終わりかと思ったのだが――
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