♯3 二人の秘湯好き
お姉さんの優しさに感謝しつつも、責任感を感じてしまう俺。
「そ、そうなんですけど、でも混浴でそんなことしたら最低なんっす! 秘湯めぐり好きとして、温泉好きとして絶対にしちゃいけないことなんす! そんなことしちまったら他の秘湯好きに申し訳ねーし、過去の自分にも顔向け出来ないんす!」
俺が今まで行った秘湯の中には、こういう簡易的な混浴温泉も多かった。そもそも秘湯はその土地柄しっかり整備されてるところは少ないから仕方ない。
けど、中には混浴だということを利用して、女性の裸を目的にするようなけしからん男もそれなりにいたようで、そのせいで混浴することが出来なくなり、男性専用や女性専用、または温泉自体入浴禁止になってしまった場所は多くある。今の法律ではもう混浴温泉を増やすことは出来ないため、今の限りある混浴を大切にしなければならないのだ。それでもやっぱり、混浴の数は年々減っている。それは、秘湯好きとしてあまりに悲しく虚しい話だ。
だから俺は、いくら混浴だろうと絶対に女性の裸をいやらしい目で見ないことに決めていた。
なのに! 最後の最後でこんな失礼なことをしてしまった! 秘湯めぐりファンとして一生の恥だぞ! ちっくしょおおおおおお!
そんな風に頭を抱えて悶えていた俺を、お姉さんはしばらく静かに見つめていたようだ。
それから少しして。
「……ふふ、うふふっ!」
「? お、お姉さん?」
こらえきれない、といった感じの明るい笑い声が聞こえてきたものだから、俺は目を閉じたままどうしたものかと尋ねた。
するとお姉さんは言った。
「素晴らしいです。あなたは秘湯好きの鑑です」
「……え?」
「その真摯な心は尊敬に値します。けれど、そんなに苦しまないでください。わたくしは本当に気にしておりません。ですから、目を開けてこちらを見てくださいますか? でないと、わたくしの方が悪いことをしてしまった気になりますから……」
「え、ええっ? いやそんなことは! で、でも!」
思わぬ発言にどうしていいのか悩む俺。
お姉さんは続けて言った。
「大丈夫。ここには二人だけです。人目はありません。それに、当人であるわたくしが許可していれば何も問題はありません」
「そ、それはまぁ、そうなんすけど……」
「ふふ。ほら、目を開けてくださいませ」
「えっ、あ――」
目に当てていた手をお姉さんにそっと外されてしまい、俺はこわごわとまぶたを開けていく。
――そして、お姉さんと目が合った。
「わっ!」
「よかった。ようやく目が合いましたね」
「ご、ごごごめんなさい!」
「もう、それ以上謝らないでください。ほら、こうして白濁した湯に入ってしまったわけですから。身体は隠れて見えませんよ」
「……あ、ほ、ほんとだ……」
「これで、ようやくまともにお話が出来そうです」
お姉さんは優しく微笑みかけてくれた。
その笑顔に、俺はぽわーと引き寄せられる。なんというか、この世のものとは思えないほど、お姉さんの笑顔はキラキラ輝いて見えた。
銀色の髪や、エメラルドみたいな瞳はもうそれだけで芸術品だし、整った顔立ちも、陶磁器みたいに綺麗な肌も、何もかもが触れてはいけないような神秘的な気品ささえある。まるで俺の妄想に登場する女神さまのようだ。
そんなお姉さんは両手でお湯をすくいとり、それをじっと見つめたり、匂いを嗅いだり、肩口にお湯をかけたりして秘湯を楽しみ、やがて、遠くの雪景色を見つめながらぽつりとつぶやくように言った。
「本当に……この世界の温泉は素晴らしいですね」
「え?」
「特にこの国の温泉は素敵です。どこもそれぞれに風情や魅力があって、お湯の効能や柔らかさも千差万別。どれだけ浸かっていても飽きません。とろけるほど気持ち良いです」
それは秘湯に対する慈しみが感じられる優しい言葉で、それだけで俺はこのお姉さんが自分と同類なのだと感じた。
きっとこの人は、秘湯が大好きな人だ――と。
それは、どうやらお姉さんも同じ思いだったようで。
「ふふ。あなた様も、わたくしと同じみたいですね」
「……は、はいっ! お姉さんも俺と同じなんですね!」
それから、俺とお姉さんはすぐに打ち解けることが出来てしまったのだった。
話は弾み。
「へぇ……それじゃあ今は、こっちで秘湯をめぐる旅をしてるんすね」
「そうなのです。まだまだめぐり始めたばかりですけれど、ここに来てよかった……。こちらの世界の温泉は種類も豊富でよく整備されていて。何より平和なところが良いです。落ち着いて、のんびりと楽しめます。魔力もふんだんに含まれていて最高ですね」
「え?」
ま、魔力? なんかのジョークだろうか。
「えーと、お姉さんは外国の人なんすね。ていうか、冬にこんな辺鄙な秘湯に来るなんて、お姉さんも相当な秘湯マニアっすね」
「うふふ。わたくしの世界にも秘湯は多くありましたけれど、すべて行き尽くしてしまって……。それで、つい最近こちらに来たばかりなのです」
「うわすげぇっ。けど俺も同じです! 俺は逆に日本の秘湯を行き尽くしちゃって。はは、俺はお姉さんの国の温泉でもめぐりたいっすねっ!」
「そうなのですか? やはり、わたくしたちは秘湯好きの似たもの同士、ですね」
「はは、そっすね!」
「うふふ。……なんだか、とても親近感が湧いてしまいました。こうして、このとき、ここで、あなた様にお会い出来たのは、きっと運命なのでしょう」
「いやーどうっすかね。あはは!」
嬉しい言葉をもらってしまい、わかりやすく動揺する俺。
お姉さんは隣でニコニコ微笑み、なんとも色気たっぷりな流し目を向けてくる。
あまりに警戒心もなく俺と打ち解けてくれるものだから、ついつい気に入ってもらえたのかなとか、このあとどっかの旅館に行っちゃうのかなーとか、年相応なアホ妄想がむらむらと頭を駆けめぐる。
「あの、そんなに極端に目を逸らさなくてもいいですよ。ここは混浴なのですし、裸を見られることは仕方ありません。それに……先ほどの一件も、わたくしを助けるために動いてくださった結果ですから。ラ、ラッキー? だったとでも考えてくださいませ」
「ラッキー!? お、お姉さんサービス精神すごすぎますよ! でもそれ他の混浴だとマジ危ないんで気をつけてくださいね! いくら平和なところでも危険はありますから! 特に男ってやつぁ!」
「はい、心配してくださってありがとうございます。でも大丈夫ですよ」
本気で忠告した俺に、お姉さんは大人の余裕な対応でニッコリである。
マジで大丈夫かなぁ。このお姉さんなんか抜けてそうだから本気で心配なんだが……!
「ただ……実はその、わたくしとしましても、そこまでドキドキしてくださるのは少し嬉しいです。何せ、もう500年は生きている身ですから。こんなわたくしの身体でも、あなた様には喜んでいただけるのですね」
「……え? ご、ごひゃくねん?」
「ふふ」
今、お姉さん確かにそう言ったよな?
いやいや違うだろ、ジョークだよジョーク! どうみたってお姉さん二十代前半くらいだしな! こんなツヤ肌最強な美魔女おばあちゃんいないっての!
「ははっ、お姉さん冗談も上手いっすね! というか日本語も上手いですし、こっちに来てどのくらいなんすか?」
「ええと、三日でしょうか」
「三日!? へ? 三日でそんな日本語上手いんすか!?」
「うふふ。私、『言語統一』の
「スキル!? よくわからんけどすげえ! それってつまり、全部の国の言葉が喋れるってことすよね? 天才じゃないすか!」
「いえそんな。
「ほあああぁぁぁぁ……!」
薄く赤らんだ頬に手を当てて可愛らしく照れるお姉さん。
ルックスも完璧なうえに謙虚で性格も良くて頭まで良いとかパーフェクトすぎる。どうりでキラキラ輝いて見えるはずだ!
だからこそ、そんなお姉さんにあんなマネをしてしまったことがやはり申し訳ない!
お姉さんは許してくれてるみたいだけど、俺はまだ自分自身に納得がいってなかった。
これ以上謝ってもやりすぎだろうし、何かお礼でも出来ればなぁ。例えば日本に来たばっかりのお姉さんの役に立つことが出来ないだろうか。
そう思ったとき、「あっ」とあることに気付いた。
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